広隆寺弥勒菩薩の指折り事件 | ネコ好き☆SHINACCHI blog

広隆寺弥勒菩薩の指折り事件

広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)。

いろいろとエピソードの多い像である。

・国宝第一号
・京大生がその余りの美しさに、像に触れ、右手薬指を折ってしまった。
・ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を「人間実存の最高の姿」を表したものと激賞した。
・韓国ソウルの韓国国立中央博物館に非常に良く似たブロンズ像(韓国国宝第83号)がある。

等々。

ライバル関係にある?中宮寺の菩薩半跏像には、この種のエピソードがほとんど無いのと対照的である。

ま、4番目の韓国国宝第83号の像との類似以外は、ほとんど全く意味の無いものだ。

が、この像の美しさを語る時には必ず持ち出される話題なので、無視するわけにもいかない。

「国宝第一号」が「国がナンバーワンの仏像であると認定した」というような意味合いではないことは既に書いた

次に京大生の指折り事件を検証してみよう。

ほんとうに「その余りの美しさに、像に触れ」たのだろうか?

事件当時の新聞記事を見てみるのが一番良いと思われる。


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(1960年8月20日 読売新聞夕刊)

国宝弥勒菩薩の指を折る 京大生が自首


京都右京区太秦、広隆寺でさる十八日午後一時ごろ山内の霊宝館にある国宝弥勒菩薩(みろくぼさつ)の右手クスリ指が第二関節から折れ指さきの二、三センチがなくなっているのを案内人が見つけ太秦署に届け出た。同署で捜査中、午後四時三十分ごろ川端署へ左京区吉田下大路町京大法学部三回生A君(20)が折れた指さきの破片二個を持って自首した。
 A君は「話のタネにしようと思い像の口にキスした際、ホオが像の右手に触れ折った。破片を持って嵐山に逃げ、途中道ばたへいったん捨てたが引き返して拾った」と自供。同署では帷子ノ辻付近で残りの破片を全部見つけた。
同寺では十九日午後から拝観を当分中止する一方、文化財保護委西川新次技官らが調査した結果、来月から修理を始め一週間 ― 十日間で復元できる見通し。
(1960年8月20日 読売新聞夕刊)


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(1960年8月20日 毎日新聞朝刊)

折れた弥勒菩薩の右手指 京大生、持帰る


【京都】さる二十六年新国宝第一号に指定されている京都右京区太秦、広隆寺=清滝英弘住職(53)=の弥勒菩薩像の右手薬指が約三センチ折られていることが十八日わかり、同住職から東京の文化財保護委員会と太秦署に届出た。
同署では捜査中十八日夕方左京区吉田下大路町一四××××方京大法学部三年生、○○○○君(20)が”私が弥勒菩薩の指を持ちかえった”と届出た。太秦署で文化財保護法違反容疑で身柄不拘束のまま調べている。
調べによると十八日午後一時ごろ友だちと二人で同菩薩を見物に行った時、あまりの美しさにキスしたくなって近寄ったところ左ほおが指に触れ折損してしまったのでポケットに入れて持ち帰ったといっている。
なお折られた指は○○君が十八日川端署へ提出したので太秦署で保管しており、近く京都府教委文化財保護課が修理する。
【注】弥勒菩薩=推古三十一年朝鮮から渡来したものと推定される優美、均衡、力、官能など白鳳時代の美の粋を集めた作品で、ほぼ等身大。
(1960年8月20日 毎日新聞朝刊)


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(1960年8月20日 朝日新聞朝刊)

国宝「弥勒菩薩」の右手の指を折る 京都広隆寺 学生いたずら


【京都】京都右京区太秦、広隆寺霊宝殿にある国宝、木造弥勒菩薩(みろくぼさつ)像の右手クスリ指が第一関節あたりから折られ、三つの破片になって落ちているのを十八日午後一時ごろ案内人が見つけ、びっくりした清滝英弘貫首から京都府教委文化財保護課と太秦署に届けた。同課からの連絡で文部省文化財保護委員会の西川新次技官、奈良美術院国宝修理事務所の辻本干副所長が十九日、京都府教委文化財保護課の中根金作技師らと調査し、ほぼ元どおりに修理できることが分かったが、太秦署の調べで拝観の学生のいたずらが原因とわかり、国宝の維持管理に大きな警告を与えている。

 事故をみつけた日の夕京大法学部学生A(20)が、川端署に自首し、太秦署で身柄不拘束のまま文化財保護法違反の疑いで調べたところ、十八日午後一時ごろ友人と二人で弥勒菩薩を見にきて、監視人がいなかったのでイタズラ心を起こし、台に上がったとき、左ほおが像の指にあたり、ポトリと落ちた。驚いて三つに折れた指を霊宝殿から外に持ち出して捨てようとしたが、思いかえして像の足もとにおいて逃げ帰った。有名な弥勒さんにホオずりしたことを友だちに自慢するつもりだった」といっている。

 この弥勒菩薩は本体の高さ八十五センチ余り、台座の高さ五十三センチ、推古天皇時代新羅(しらぎ)から伝来したものといわれ、奈良中宮寺の弥勒菩薩像とならんでその端正な美しさはあまりにも有名。昭和二十六年六月、文部省文化財保護委員会から第一号の国宝に指定され、同寺はほかの仏像とともにコンクリートづくりの霊宝殿に安置し、拝観料をとってみせている。

 同寺の話でも、これまでに像の美しさに魅せられて、一晩でもいいから弥勒さんの前で泊めてほしいという申し出や、じっと見つめて、感きわまって泣き出す人もあり、また案内人の玉水建蔵さん(65)がちょっと目をはなしたすきに、台にかけ上がり、抱きついた中年男もあったそうだ。
弥勒菩薩の指をこわした京大生は下宿先で次のように話した。

弥勒菩薩の実物を見たら“これがホンモノだろうか”と思った。期待はずれだった。金パクがはってあると聞いていたが、木目も出ており、ホコリもたまっていた。ちょうど監視人もいなかったので、いたずら心が起こった。なぜ像にふれようとしたのかあのときの心理はいま自分でも説明できない。
(1960年8月20日 朝日新聞朝刊)


三紙三様で、よくもこれだけ違う内容になるな、という感じだ。

最も異なるのは、「折れた指を京大生がどうしたか」、「像に触れた動機」の2点だ。

・折れた指を京大生がどうしたか

【読売】破片を持って嵐山に逃げ、途中道ばたへいったん捨てたが引き返して拾った。折れた指さきの破片二個を持って川端署に自首。太秦署が帷子ノ辻付近で残りの破片を全部見つけた。
【毎日】ポケットに入れて持ち帰った。これを十八日川端署へ提出したので太秦署で保管。
【朝日】三つに折れた指を霊宝殿から外に持ち出して捨てようとしたが、思いかえして像の足もとにおいて逃げ帰った。

真相は知るよしもないが、監視人が一番異変に気づきやすいのは朝日のケースだろう。

ただ指が折れていただけなら、そう簡単に異変に気づくことはなさそうだ。

が、足下にその折れた指の破片があれば、すぐにわかる。

どうして各紙でこんなに異なる記述になったのか興味が湧くが、まあ、これはどうでもいい。

問題は「動機」の方である。

・像に触れた動機

【読売】話のタネにしようと思った。
【毎日】あまりの美しさにキスしたくなった。
【朝日】弥勒菩薩の実物を見たら“これがホンモノだろうか”と思った。期待はずれだった。金パクがはってあると聞いていたが、木目も出ており、ホコリもたまっていた。ちょうど監視人もいなかったので、いたずら心が起こった。なぜ像にふれようとしたのかあのときの心理はいま自分でも説明できない。

朝日の記者は学生の下宿先まで行ってインタビューしたと思われる。

これはもう、朝日の記事に軍配を上げざるを得ないだろう。

そう「その余りの美しさに、像に触れた」などというのは、全くの嘘っぱちで、真相は逆なのだ。

「美しいと聞いて来たが、ホコリもたまって汚くて期待外れ。いたずら心が起こった」ということなのだ。

広隆寺の弥勒菩薩の話となると、この種の事件も、像の評価を高めるような全く逆の歪曲をされてしまう。

まあ、その方が双方(像と学生)にとって印象的に良いから、このように形を変えて伝わっているのだろう。

さて、この京大生はその後どうなったのだろうか?

現在は、大阪弁護士会に所属する有名弁護士になっている。

50年前に20歳、現在は御年70歳である。

昨年、ちょっとした事件を起こして、テレビのニュースでも報道された。

なにしろ相手は弁護士だ。

訴えられでもしたら恐いので、この程度にしておく。

朝日と読売の記事にある西川新次技官(1920.12.11-1999.9.18)は慶大の名誉教授。

東大寺南大門仁王像の解体修理の際には、チーフとして活躍された。

学生時代に講義を拝聴したことがある(といっても俺は慶大OBではない)。

目がギョロっとしていて、一見恐そうだが、とてもやさしい先生だった。

偉ぶらず、学生の言うことにも良く耳を傾けてくださった。

拝観のむずかしい寺院に行く時は、紹介状を書いて下さったりした。

他の学者の説の批評などは結構辛辣だった。

そして、仏像の解説以外に、ときどきボソッとつぶやく一言が面白かった。

京都国立博物館寄託の安祥寺五智如来坐像を解説していた際、

「安祥寺といえば、これほど寂れて荒れ果てた寺もない。まあ、それがまた魅力でもあるのですが」と言われた。

安祥寺は完全非公開の寺院のようだが、いまどうなっているのか、それ以来気になってしかたがない。

「お寺に行くのは、まあ夏はやめておいたほうがいい」とも言われた。

日本の夏の寺院拝観は確かに厳しく、夏以外には拝観できない場合を除いて避けるようにしている。