今回の突然の死刑執行については、
いろいろな論議がなされることとと思います。
千葉法相の決断については、
議員に落ちたから、
とか
叩かれたから、
とか
イデオロギーの都合、
とはわたしは思いません。
いくらなんでもそんなことで
人気や信頼が回復するなんて
計算で行ったことではないでしょう。
もしそうなら計算が間違いすぎている。
なにか自分の評判などどうでもいい、という
捨て身の覚悟を感じるのはわたしだけでしょうか。
いや。
覚悟があるからそれでいい、という話ではありません。
日本が死刑存置国である以上、
法相として義務を遂行する、
という言葉がすべてであると感じました。
そう思って行ったのであろうと。
ここでいろいろなひとが、
おそらくは
廃止論者も存置論者もだと想像するのですが、
違和感を感じている理由は、
おそらく、
「廃止論者であるはずの法相が、
とりあえず執行してみることで、
自らの論を確認したのではないか。」
という疑念が払えないからだろうと思うのです。
つまり、
なにかモルモットのように死刑囚が使われた
という印象です。
まあ実際そういう面があるのではないか、
と想像してしまうのではありますが、
それはこれからの法相の発言なりを
フォローしていかないと想像の域をでません。
しかし、これは合法であり、
義務の遂行といえば確かに遂行なのです。
わたしたちの国は死刑のある国ですから、
死刑確定囚をいかなる理由で、
刑執行してもそれは、
なんの問題もない、
職務遂行なワケです。
千葉法相は、
死刑に立会をされたそうです。
決断のすべてを支持はしませんが、
わたしはこのことは支持します。
歴代法相でははじめての立会だそうです。
わたしは廃止論の持ち主ですから、
そんなことをする前に、
なぜなんとかならなかったのか、
あまりに浅はかな方法ではないのか、
とも思うのですが、
その前段となった大臣の思考は
いまの段階では解らないので評価できません。
もしわたしの想像の通りであったら
なんと幼稚な、とも思うのです。
しかし、
立会をし、見届けた。
という行為そのものは、
わたしは支持するということです。
誰にでもできることではありません。
あなたがもし法務大臣だったらできますか?
ものすごい意思の力だと思います。
強い意思の力というのは
それだけで不気味な印象をひとに与えるものですから、
今回のことは、
いろんな意味で騒ぎにもなるでしょうし、
どこに納めたらいいか、ということで
しばらくは落ち着かない世論が
繰り広げられることでしょう。
廃止論者の方が批判するのはとうぜん解りますが、
その範疇を超えていろいろな方が揶揄したり
騒いだり
意見されたりしているのは、
今回の千葉法相の行動が、
日頃、ブラックボックスの中に放り込まれた
「わたしたちが望みそこに在る死刑」
をまざまざと白日のもとに晒したからだ、と
わたしは感じています。
死刑が在る。
ということ。
そろそろ徹底的に考えるべきなんじゃないでしょうか。
わたしも準備をしなければ、と
思っています。