実体的な面会交流請求権なるものはないと考える根拠(1) 原則的実施論批判(3) | 金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

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石川県金沢市在住・ごくごく普通のマチ弁(街の弁護士)が,日々の仕事の中で離婚,女と男と子どもにまつわるいろんなことを書き綴っていきます。お役立ちの法律情報はもちろんのこと,私自身の趣味に思いっきり入り込んだ記事もつらつらと書いていきます。


 ども~っす。
 連載になってきましたヽ( ̄▽ ̄)ノ
 前記事はこれ。
面会交流調停が簡易迅速~でいいのだろうか!? 原則的実施論批判(1)
私は「別居親は監護親に対して面会実施を要求する権利がある」とは考えません~原則的実施論批判(2)

なんかね~,サイドバーの最近の記事を眺めてますと,面会交流関係の記事がやたら多くなっております。

2.
 んでもって,この記事のタイトル,実体的な面会交流請求権なるものはないと考える根拠。

 まあ,面会交流権なるものについて,いろいろな見解の対立はあります。
 そんななか,ぼやっとした話をしていると話がこんがらがってワラワラのモラモラのデイヴィデイヴィになって収集がつかなくなってしまいます。
 このように問題設定します。

(1)
 非監護親(別居親)が,監護親(同居親)に対して,監護親が養育監護する子どもと非監護親との面会交流実施への協力を請求できる法的な権利があるか。
(2)
 監護親(同居親)は,非監護親(別居親)に対して,監護親が養育監護する子どもと非監護親との面会交流実施に協力すべき法的義務があるか。

上記(1)と(2)は表裏一体です。

「法的な権利がある」

ということは,

相手がそれを拒絶したとしても,相手の意思に反してその要求を正しいものとして実現できる

ということです。

「相手の意思に反してその要求を正しいものとして実現できる」

とは,もっと露骨に表現しますと,

自分の意思を,
国家権力の力によって,
それが正しいものとして,
相手の意思に反して強制
できる


ということです。

国家権力の~

とか書いちゃいますと,

左か!
●●●員か!
まさか●マルじゃないだろうな!

などと超短絡的な反応をされる方々がネットリとしたコメントをウヨウヨとお寄せになるかもしれませんが,

これは,右だ左だ関係なしの話です。

「法的な権利」とは,相手の意思に反してでも,相手にはそれを受け入れなければいけない法的義務があるものであり,相手がその法的な義務を受け入れないと,裁判をやって,国家のお墨付きをもらって,それでも相手がいやといったら,強制執行という国家の権力行使でもって執行官という裁判所のお役人が無理矢理実現するものだということでございます。

3.
 では,そういう権利は,どこから発生するものなんでしょうか。
 
 まあ,ここま難しい話をし出すと大変ですので,サクッと答えます。

 法律から発生

 します。

 理由は,

 最終的に国家権力にその強制を実現させるもの

だからです。

 法律もないところに国家権力が私人と私人の争いごとに出張っていって,一方に味方して強制的に国家権力でもって何かをやったらですねぇ,・・・・

それは,

いつの時代のお話?

とか,

北のどこかの将軍様が統治される国?

とか,

「『法』の内容がどうであるかはトップに選ばれたオレ様が決める~」ってお国のお話?~

とか,言いたくなるわけです。

民主国家においては,国家権力が出張るには,基本的に法律の根拠が必要なんですね。

もちろん,厳密な話をしますと,法律に明確に書かれてない権利もありますよ。
プライバシー権とか肖像権とか。
でもそういうのは,不法行為訴訟とか人格権に基づく差し止め訴訟とかの積み重ねで「権利」として確立されていったものでして。
「民主国家においては,国家権力が出張るには,基本的に法律の根拠が必要」というところを否定されちゃったら,そらぁ,あなたどの国にお住まいですか?と聞きたくなるわけです。

そこで

「日本」

と答えられて,そこで,「あ,やっぱり!」なんて言っちゃうと笑えないギャグになってしまう今日この頃でございますが。

4.
 面会交流については,平成23年に民法が改正されておりまして,平成24年4月1日から,次の民法766条が施行されております。

(離婚後の子の監護に関する事項の定め等)
第766条
1項
  父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
2項
  前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。
3項
  家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
4項
  前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。

 この民法766条1項の規定の仕方からしますと,

(1)
 非監護親(別居親)が,監護親(同居親)に対して,監護親が養育監護する子どもと非監護親との面会交流実施への協力を請求できる法的な権利がある。
(2)
 監護親(同居親)は,非監護親(別居親)に対して,監護親が養育監護する子どもと非監護親との面会交流実施に協力すべき法的義務がある。

というような結論を導くことはできません。

民法766条1項において規定されましたのは,

「子の監護についての必要な事項」として,
①子の監護をすべき者
②父又は母と子との面会及びその他の交流
③子の監護に要する費用の分担
④その他必要な事項

を,「協議」で定めるということ,

その協議において,
「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」
ということです。

そして,2項において,その協議が整わないとき,又は協議をすることができないときは,家庭裁判所が,同項の事項を定めるとしています。

つまり,民法766条1項2項は,
①「子の最善利益を考慮して」,父母が,監護についての事項について協議して定めること
②その協議が整わない,協議ができないときに,家庭裁判所が,監護についての事項を定めること

を規定しており,非監護親の監護親に対する実体的な面会交流実施協力請求権みたいなものは,全く規定していないわけです。
面会交流は,「子の監護についての事項」の一つと位置づけられているわけです。

この点,
裁判例からみた面会交流調停・審判の実務』(梶村太市著)では,次のように解説されております。

~~引用開始~~
この1項で,例えば韓国民法837条の2第1項の規定「子を直接養育しない父母の一方と子はお互いに面接交渉できる権利を有する」などのように,たとえ抽象的にでも「親子が交流する権利」だと規定しなかったのは,「それが権利として認められるのか,認められるとして親の権利か子の権利か,その法的性質はどのようなものかなどについて,なお議論が分かれてい」るから,「子の監護について必要な事項の例示として面会交流を明記するにとどめ」たとされた(飛澤知行編著『一問一答平成23年民法等改正ー児童虐待防止に向けた親権制度の見直し』(商事法務,2011)10頁以下)。
 すなわち,面会交流は実体的権利=実体的請求権としては規定されず,単なる監護の一態様とされたに過ぎないのである。今日まで各種の実体的権利説が唱えられているが,いずれも外国法の模倣か独自の解釈で,理論的根拠がなく,人間関係諸科学上の根拠もなく,実務の指針にもなり得ない。このことが今回の改正法で確認されたのである(前掲書1頁)。
~~引用終了~~

5.
 ところがですね,某家裁の調査官の中には,この民法改正でもって,面会交流は特段の事情がない限り原則実施すべきだと言い切って無茶な面会交流を強行しようとしたりとか・・・・。
 改正民法766条の正確な理解がなされておらず,間違った理解の上で,面会交流の強行を後押ししている風潮があるように見受けられます。
 困ったものです。

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