麻雀名人戦の採譜体験から、数ヶ月経ちました。
1996年の秋だったか冬だったか。
当時働いていた「サークル21」のオーナーが、
橘高正彦さん(当時、101競技連盟所属)に代わるかどうかの頃です。
そんなある日、橘高さんから、
「今度、井出さんが新しくプロ団体を作るんだけど、受けてみない?」
という、受験のお誘いがありました。
「井出さん」とは、当時の「日本麻雀最高位戦」の代表、井出洋介プロの事。
当時の井出プロは、テレビ番組にたくさん出演したり、
「井出名人の○○」みたいなゲームソフトが登場したり、
まさに、麻雀界のスーパースターのような存在でした。
その井出プロが、麻雀プロの理想を追い求めるべく、
最高位戦を退き、新しく団体を設立しようというのです。
麻雀名人戦の後、
「また、競技麻雀のプロを目指してみようかな」
とは思ったものの、
その時は、自分の実力にまだまだ自信がありませんでした。
しかし、
「このタイミングで、こういう話が来たのも、何かの縁かもね」
と思い、受験してみる事にしました。
2年前に最高位戦を受験した時は、自分の意志と決断があってのものでしたが、
この時は、それほど自分の意志があったわけでもなく、
「じゃあ、受けてみようかな」
という程度の意識でした。
まぁ、何はともあれ、再び麻雀のプロを目指す事となった、しもで青年。
そうこうしているうちに、試験の日がやってきたのです。
今回の話は、ひとまずここまで。
新団体設立のきっかけは、
井出洋介プロが「月刊プロ麻雀」という麻雀専門誌上で、
「この指とまれ」を宣言した事です。
1996年の新年号あたりでしょうかね。
停滞している状態だった、麻雀プロ、競技麻雀の世界を、
もっと認知してもらうために、志がある者は私と一緒に立ちあがろうではないか、
という感じの記事だったと思います。
細かいニュアンスとか、間違っているかも。
こういう時に、我らが麻雀博士がいればなぁ。
ちなみに、新団体の仮の名称は「μ(ミュー)」でした。
現在の「通称」としても、使われています。
後の正式名称でもある、「麻雀連合」は、実は後付けだったのです。
(※その後「麻将連合」に改称)
試験当日も、まだ「麻雀連合」という名前すら無かったんじゃないかな~。
オッサンの記憶なので、アテにはなりませんが。
ではまた~。