シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。


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2012年の5月18日未明。
永世最高位・飯田正人が他界されました。享年63歳。

早いもので、あれからもうすぐ5年経つんですね。

亡くなった1ヶ月後。

飯田さんにとって思い出深い場所でもある、

池袋でお別れ会が開かれました。

若き日の飯田さんが脱サラして、

マネージャーとして働き始めた麻雀店が、

池袋にあった「ハッピー」。
その後、立教大学の近くに「リツ」という麻雀店を、

長年に渡り経営していたのです。

リツを閉めた後は、

主に「マーチャオ」のゲストプロとして、

お客様に「麻雀プロの強さ」だけでなく、

「麻雀の楽しさ」を伝えてきました。
もちろん、池袋店にもよくいらっしゃいました。

リーグ戦を休場した後も、

亡くなる数ヶ月前まで、

マーチャオのゲストプロとしての仕事をしており、

一見元気そうな仕事ぶりを見たファンや後輩選手からは、

飯田さんのリーグ戦復帰を願う声もたくさんありました。

それを聞いた飯田さんは、
「お店なら代走を頼めるけど、競技麻雀は代走を頼めないからね」
と、苦笑いをしながら話していたそうです。

もうリーグ戦に復帰できそうにない体調にもかかわらず、

最期まで麻雀で生きていたかったのだと思います。
簡単に言いますが、なかなか出来ないですよね。

麻雀に対して溢れんばかりの愛情を持っていた、飯田さんだったからこそ、

その日のお別れ会に、多くの人が集まったのでしょう。

天国でも楽しく麻雀打ってるんだろうな~、きっと。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

飯田さんが亡くなった後に、デビューした選手、

競技の世界に興味をもった人が、どんどん増えてきています。

 

そういった方々に、こういう昔話を伝えるのが、

私のようなオッサン選手の役割なのかな、

と、最近特に思うようになりました。



また何か思い出したら書きますね。

若い方々のために。

そして、飯田さんのために。

 

ではまた~。

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以前、「はこパラ」という、麻雀に特化したSNSがありました。

いや、正確には、まだあるのですが、

実質、開店休業状態です。

 

ちなみに私は、2006年~2012年まで利用していました。

今も一応、アカウントはあるんですけどね。

 

今回は、そこで書いた日記のお話です。

 

 

 

タイトル戦決勝オーラスにおける、

「トータル4位による、トータル4位が変わらずのアガリ」

について書いた事がありまして。

これは私の実体験でもあるのですが。

 

その時、私はトータル2位で、

「トータル首位から役満を直撃」

が優勝条件でした。

 

残り2巡、私の手牌は四暗刻単騎のリャンシャンテン。

一応目指すけど、形作りです。

 

そこで、トータル4位の人が、

「タンピン三色ドラ1ツモ」のハネ満アガリで締めくくったわけです。

ちなみに、この半荘自体は、その人がトップになりました。

 

 

正直な感想としては、

「元々勝負はほぼついていたから、きれいな最終形のアガリで終わって、まぁ仕方ないかな」

という程度だったんですね。

 

 

ところが、そのアガリに対する否定の声が、

私の予想以上に多かったんですよね。

 

 

ちなみにこれは、7年前の出来事なのですが、

現在なら、どのくらいの賛否の比率になるのでしょうね。

個人的には少し気になるところなのですが、

今回は本題ではないので、また別の機会にでも。

 

 

 

 

で、その日記に対するコメントを、いくつか貰ったわけですよ。

その中に、飯田正人さんのコメントがありました。

実は飯田さんも、はこパラやっていたんですよね。

 

飯田さんは、2004年の最高位決定戦において、

最終戦のオーラスに、

「自らのアガリでトータル4位を確定させて終局」

した事がありました。

 

その時の逆転条件は、

トータル2位の役満直撃、

トータル3位のラス親(あと20万点くらい稼がなくてはいけない)。

飯田さんの優勝条件は、なし。

 

 

ちなみに、その時の出来事も、私の日記に引用したんですね。

それを受けた、飯田さんのコメント(原文のまま)です。

 

「私の所謂『アガラス』について説明すると、最終半チャンのオーラス、親の村上プロが先行リ-チ、私は完全なベタオリ体勢。向かう気力もないし、意味もない。
ところが、その内に役無しテンパイが入ってしまった。一巡だけ 、一瞬だけのテンパイ。
この瞬間私は考えた。
次のツモでアガリならアガってしまおう。勝負の体勢は決まっている。ここでアガラない方が逆におかしいのではないか?勝負をゆがめることになるのではないか?
そう考えて私はトータル四位ではあるがアガったのです。悔いはありません。」

 

 

実は、その年の最高位決定戦最終日、

私も観戦していました。

 

その時の飯田さんの、

「どうしていいものか」

と言いたげな困った表情で、

一瞬戸惑いながらの、「ツモ」が、

私には強く印象に残りました。

 

 

その出来事から、およそ6年後、

飯田さんから、その時の心境を聞き出せた事が、

私にとっては、凄く嬉しかったですね。

 

下っ端の私が書いたこんな日記に対しても、

丁寧にコメントをくれた、飯田さんの真摯さが伝わってきました。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

飯田さんのお話は、次回で最終回の予定です。

しかし、飯田さんにまつわるお話を思い出したら、

また書くかもしれません。

 

ではまた~。

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飯田正人さんシリーズも第3回。

今回は、飯田さんとの初対戦のお話です。

 

※※※※※※※※※※※※※※※

 

今回は、2008年のお話です。

 

2006年に創設されたタイトル戦、最高位戦Classic。

第2期までは、基本的に「最高位戦所属の選手限定」のタイトル戦でした。

 

第3期、つまり2008年から、他団体所属の選手も出場できるようになりました。

 

私が初めて「麻雀プロを目指そう」と思って、

最高位戦を受験したのが、1995年の事。

その当時のルールが、まさに最高位戦Classicで採用されているルールだったのです。

そして、当時最高位として君臨していたのが、飯田さんだったのです。

 

 

 

私は、この第3期から初参戦。

運にも恵まれて、プロ予選、本選を勝ち上がり、

準決勝に進出しました。

 

準決勝には、第2期最高位戦Classic、

つまりディフェンディングシードの飯田さんが待ち構えているのです。

 

飯田さんとは、公式戦初対戦。

麻雀プロを目指した頃から、念願13年。

ついにこの日がやってきたのです。

 

 

当時の準決勝は、2日間で行われました。

初日は半荘4回、2日目は半荘4~5回。

最大半荘9回打つ事になります。

システムは、半荘2回を同一メンツで戦い、

それを3セット行います。

そこで下位4人が敗退となり、残り12人で半荘2回。

さらに9~12位が敗退となり、残り8人で半荘1回。

 

 

準決勝の初日、

ついに、飯田さんと公式戦初対戦。

麻雀プロを目指した頃から、念願13年。

この時がやってきたのです。

 

ちなみに他の同卓者は、

鈴木たろうさん(協会)、山田田さん(RMU)でした。

準決勝だから当然とはいえ、

手ごわい相手ばかりですね。

 

 

その結果は、なんと私の2連勝。

正直、バカヅキというのもありましたが、

内容的にも、悪くなかったと思います。

 

 

その年に、たまたま私が優勝したというのもあったでしょうが、

準決勝での戦いぶりを、飯田さんもよく覚えてくれていたようで、

「しもいでくん、こないだ強かったねぇ」

と、話してくれたり。

 

その後、何度かお会いするたび、

「おぉ、しもいでくん、久しぶりだねぇ」

と、挨拶してくれたり。

 

問題は、最後まで「しもでくん」と呼んでくれなかった事ですかね(笑)。

 

でも、そんな事はいいんです。
憧れの人に、自分の存在を知って貰えた訳ですからね。

 

 

 

私よりも飯田さんとの付き合いが深い人もいるでしょうし、

私よりもマージャンが強い人はたくさんいます。

それにもかかわらず、大した事ない麻雀しか打てない私が、

飯田さんが勝った次の年に優勝できたのは、

何か不思議な縁を感じてしまいます。

 

出来ることなら、もう一度、この感動を味わいたい。

そう思いながら、今日もマージャンを打ち続けています。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

飯田さんの話、もう少し続きます。

ではまた~。

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今回も引き続き、飯田正人さんのお話です。

 

今回は、2004年頃のお話。

挨拶を交わす程度には面識はあったのですが、

当時は、まともに会話をした事がほとんどありませんでした。

そんな距離感の付き合いだった頃のお話です。

 

※※※※※※※※※※※※※※※

「無双位戦」という、タイトル戦がありまして。
μの三原孝博さんが決勝に残ったので、

観戦していた私が採譜係を買ってでたのです。

 

ちなみに無双位戦とは、

当時の麻雀専門誌「月刊プロ麻雀」が主催していた、

オールカマーのタイトル戦。

大きいタイトル戦ではありませんでしたが、

本戦大会には、各団体のタイトルホルダーが、

シード選手として出場する、という、

ハイレベルなものでした。



そして、優勝したのが、飯田さん。

ちなみに前回に引き続き、2連覇です。
いやはや、何回タイトル取れば気が済むのかと思ったものです(笑)。



大会終了後は、会場のすぐ近くの居酒屋で打ち上げ。
打ち上げの幹事を任されたのが、当時まだ若手(?)だった私でした。

ところが、当時の会場は日本橋。
場所柄、価格もかなり高かっただけでなく、

予想以上に早々と帰る人が多かったから、

食べ物も飲み物も余ったわけです。

そして、出された伝票を見ると、血の気が失せる値段。
会場内は凍りつき、私もオタオタしてしまいました。


その様子を一部始終見ていたのでしょう。

飯田さんがたまりかねたのか、
「今日、優勝したからさ~、これで足しにしてよ」
と、1万円札5枚を片手に、優しい口調で言ってくれたのです。

若かりし私は、ノータイムで、

「ありがとうございます!」

と、感謝の言葉を述べて、受け取りました。
とにかく「ホッとした」という気持ちがいっぱいでしたね。


もう、何と言うか、
「この人には、麻雀どころか、人としても一生追いつけないなぁ」
と、感じました。

しかし、この世界に身を置いた以上、

そういう人たちを目指して精進しなければいけない、

と改めて思ったわけです。

 

 



今回の話は、ひとまずここまで。

 

「強くて優しい」

という言葉がピッタリなエピソードですね。

 

打ち手としても、人としても尊敬される理由を、

垣間見たような気がしました。

 

 

あれから13年。

飯田さんの域は、まだまだ果てしなく遠く感じます。

一歩一歩近づけるよう、日々精進ですね~。

 

次回も引き続き、飯田さんのお話です。

ではまた~。

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今年も、最高位戦Classicが開幕しました。

今期で第12期となります。

 

この最高位戦Classic。

第8期より、永世最高位でもある、故・飯田正人さんの名前を冠し、

「飯田正人杯・最高位戦Clasic」

という名称となりました。

 

今回から数回は、

しもで先生の話は、少しお休みして、

飯田正人さんのお話をしようかと思います。

 

 

飯田さんに深く関わってきた人、

長く付き合ってきた人は、

私よりもたくさんいるはずです。

ましてや、私は所属団体も違いますから。

 

それでも、飯田さんの事を、

改めて書きたいと思ったのです。

 

 

 

昔、このブログでも書いた事はありますので、

昔の記事の修正や加筆という形になると思います。

ご了承ください。

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

私が「麻雀プロ」という存在を知ったのが高校生の頃。

近代麻雀各誌に、最高位戦のリーグ戦のレポートが載せられていたのです。

 

当時の最高位が、飯田正人さんでした。

ちょうど連覇していた頃だったと思います。

 

「プロってどれだけ凄いんだろう」

と、奥能登の田舎の少年は、まだ見ぬプロの存在に憧れを持ったものです。



 

高校を卒業して、名古屋の専門学校に入学した私。

当然(笑)、勉強はそこそこに、フリー麻雀店に通うようになるわけです。

 

そこのフリー麻雀店で目にしたのが、「月刊プロ麻雀」という、麻雀専門誌でした。

待ち時間やゲームが終わってからは、月刊プロ麻雀を読むのが日課になりました。

 

そこで印象に残ったのは「ビッグ4」という言葉。

当時のトッププロ、安藤満さん、飯田正人さん、井出洋介さん、金子正輝さんの四人のことです。

一昔前からの競技麻雀ファンの方はご存知ですよね。




その後、最高位戦を受験して落ちたり、新しい団体(当時・麻雀連合)に入ったり。

いろいろあって、月日が流れていきました。

当然、いろんな人との交流が増えていきました。

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

時は流れて、2003年の夏。

 

池袋の麻雀店の勤務が終わった後、

たまたま遊びにきてくれた、安藤満さんとの酒の席に同席させてもらいました。

その時の酒の席の話は、以前ブログでも記事にしましたね。

 

色んな話をした後、

「麻雀プロとは」という話題になりました。

 

「飯田さんについて、どう思われますか?」

という私の問いに対する、安藤さんの回答が印象的でした。

 

「飯田くん? 彼はプロじゃないからね」

 

当時の私の頭の中は「?」マークばかりでした。

 

あれだけタイトルを獲った飯田さんに対して「プロじゃない」って言いのけるわけですよ。

ただただ驚くばかりでした。

 



 

その酒の席からしばらくして、

安藤さんが言わんとしていた事を、私なりに解釈してみました。

 

安藤さんが考えていた「麻雀プロ」としての意識は、

「麻雀プロは勝つだけでなく、魅せる事も大事」

「ファンを増やす事を意識しなくてはいけない」

という事だったのでしょう。

 

一方、飯田さんの麻雀は、

「勝つ事に徹する」

「ファンの目を意識しない麻雀」

に見えたのでしょう。

 

実際、外れていなかったと思います。

ただ、だからこそ、

飯田さんはあれだけのタイトルを獲得できたのだと思います。

もっとも、安藤さんの言葉もすごく説得力を感じたので、

「確かになぁ」と思ったものです。



 

しかし、さらにしばらく経って、改めて考え直してみました。

 

安藤さんは「エンターテイメント性」を求めていたように思います。

もちろん、麻雀の実力がある事が前提なのは言うまでもありませんが。

 

一方、飯田さんの麻雀は、決して「エンターテイナー」ではありません。

例えて言うなら、

「アスリート」

もしくは

「格闘家」

だったのだと思います。

勝つ事に対してストイックな姿勢。

これもまた、競技者として大事な要素です。

 

飯田さんのスタイルも、「これはこれで一つのプロの姿なんだろうな」と思うようになりました。

 

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

今回は、学生時代から、選手になって数年くらいまでのお話です。

 

この時点では、飯田さんとお話した事は、ほとんどありませんでした。

いろんな人から、飯田さんにまつわる話を聞いて、

飯田さんの人物像を想像したものです。

 

誰に聞いても、飯田さんを悪く言う人がいないので、

いつかは会ってお話を聞いてみたいものだ、

と思ったものです。

 

飯田さんのお話、あと何回か続きます。

ではまた~。

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