シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。


テーマ:
オクトパス倶楽部には、いろんな人がいましたね。


私が働き始めた頃の常連だった、明村諭さん。
当時は大学に入りたてで、毎日のように、
いや、毎日打ちに来ていましたね~。

後年、何かの酒の席で、
「オイラが藤沢にいた頃、明村くんは毎日来てて、
月に300半荘くらい打ってたからね~」
と話していたら、当の本人が、
「いや、しもでさん、400ですよ(笑)」
ですって。

まぁ、その後、
茅ヶ崎の麻雀店でアルバイトを始めたそうな。

そのうち、それだけでは飽き足らず、
麻将連合の試験を受けて、合格。

しばらくして、八翔位戦を2連覇。
そして、今や認定プロ。
プロリーグの最高峰でもある「μリーグ」で活躍中。
次世代のエース候補にまでなったわけです。

現在は、関東各地でマージャン教室の講師を務めています。

経歴は私と似ているのに、ずいぶん差がついたなぁ(笑)。
いや、笑いごとではないので、私も頑張ります。はい。



藤沢店で働いて、しばらくした頃、
私よりも少し若い、小太りの新規さんがやってきました。

そのうち、常連になって、
楽しそうにモロひっかけリーチばかりしてましたね~。

ここまでは、よくいる「ちょっとオモロイお客さん」なのですが、
木村プロと忍田プロの麻雀に惚れたようで、
その流れで、麻将連合の大会に毎回のように、
参加するようになりました。

その後、μカップで2回優勝。
全国の麻将連合ファンの間で、
「熱心な強豪選手」として名が知られる存在になりました。

その後、ネット麻雀「天鳳」にもハマり、
サンマ九段になりました。
麻将連合だけでなく、天鳳サンマ勢にも、
「beesono」の名が知れ渡る事になるとはね。
ちなみに、ハンドルネームはローマ字読みで。

本名は、薗辺達哉さん。
薗部でも園辺でもありませんから、気を付けてくださいね。



意外な(?)ところでは、
現在プロ協会に所属している、横田知裕さん。

プロにあまり興味が無さそうにしていたように見えたので、
協会に入ったと聞いた時は、驚きましたね~。

採譜の丁寧さにも定評があり、
協会屈指の採譜職人とも呼ばれているとか。



私に勤務時期とは被っていませんが、
坂本大志さん(最高位戦)は、
オクトパス倶楽部がフリー麻雀デビューの店だったとか。

友添敏之さん(最高位戦)にも聞いたら、
関東在住の頃、オクトパス倶楽部によく行ってたそうな。


年齢制限(30歳以下)があっただけに、
若者のフリーデビューにはピッタリのお店だったのでしょうね。




今回の話は、ひとまずここまで。

競技麻雀の関係者だけでなく、
常連の方々も面白い人、個性的な人がたくさんいましたね~。

麻雀続けていれば、時々ではありますが、
元常連や元スタッフとの久々の再会があったり。

いやはや、麻雀の縁というのは、面白いなぁ、
と改めて感じました。


「まだ紹介されてないっ」
っていう人も何人かいると思います。

たくさんいるので、1回では紹介しきれないのです(笑)。

残りの人は、もう少しお待ちを。


ではまた~。
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1999年の初夏。
「オクトパス倶楽部」の藤沢店に勤務する事となりました。

当時の大まかな条件は、こんな感じ。

12時間勤務で、週休1日。
ただし、2年間勤務すると、週休2日。
対局日は月1日のみ公休扱い。
100ゲーム以上打つと、ささやかなゲーム代バック。
店内の食事、寮費は無料。

これでも当時は、麻雀店勤務の条件としては、
まぁまぁ良いほうだったと思います。
いやはや、時代を感じますね(笑)。

まぁ、何よりも、
とにかく名古屋から出て行きたかった気持ちが強かったので、
それだけで充分満足でした。




私が働き始めた頃のオクトパス倶楽部に勤務していた競技選手は…。


総合責任者の木村和幸プロ。
木村プロについては、前回述べた通りですね。


専属プロとして、忍田幸夫プロも、
当時は週2~4日勤務していました。
ニコニコしながら、点棒を稼ぎまくっていました。
あ、これは今も変わらんか(笑)。


この2人がお店の看板みたいな存在でしたが、
とにかく鬼みたいに強かったですね。




本厚木店の店長だったのが、岩田文夫さん。
当時は麻将連合のツアー選手でもありました。

一時期は、麻雀劇画の原作をやっていた事もありました。
「麻雀探偵ジュン」で検索してみてくださいね。



私より少し後に入ってきた、渡辺穂高さん。
短期間ではありましたが、
麻将連合のツアー選手として、競技活動をしていました。

選手活動をやめた後、しばらくは競技マージャンから遠ざかっていましたが、
最近になって、μカップなどに参加してくれるようになりました。

選手時代も実力はありましたが、今の方が断然強く感じます。
木村プロの麻雀を一番受け継いでいるのではないでしょうか。


私と入れ違いを含めると、他にも何人かいました。
まぁ、ここでは私が出会った人を優先させたいので、あしからず。




今回の話は、ひとまずここまで。

今回は、主に藤沢店のスタッフを紹介しました。

「オレの出番はまだか~」
と思っている人も、まだまだいる事でしょう。

でも、オクトパス倶楽部には、
実力抜群な人、個性の強い人が結構いたんですから。
まぁ、もう少し待ってくださいな。

その中には、後に競技選手になった人も沢山います。
麻将連合のゴールド会員になった人もいたなぁ。

というわけで、他の方々は、次回以降に回しましょう。

ではまた~。
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1999年の5月あたりでしょうか。

いろんな方々に相談をした結果、
再び関東でお仕事をする事になりました。

新しい職場は、神奈川県の藤沢市にあった、
「オクトパス倶楽部」という、フリー麻雀店。
1000点につき、うまい棒5本貰えるお店でした。


まずは、オクトパス倶楽部の歴史について、
少しお話しましょうか。

オープンしたのは、1994年あたりだったと思います。
当初は、うまい棒5本の東風戦としてスタート。
しかし、思うように客足が伸びず、
すぐに、うまい棒5本の東南戦に切り替えました。

さらに画期的だったのは、
「原則として、30歳以上のお客様はお断り」
というもの。

年配のお客様がいる事によって、
店内の雰囲気が悪くなるのを恐れたのですね。

すると、その戦略は大成功。
7卓置いてあるお店だったのですが、
満卓になる事も結構あったそうです。


しかし、私が働き始めた時は、
藤沢周辺にも、うまい棒5本のお店が増えてきた事もあり、
全盛期よりも客足が少し落ち始めた頃でした。



そして、オクトパス倶楽部といえば、この人ですね。
開店当初から店長として運営に携わっていた、木村和幸プロ。

木村プロは、21歳の時に最高位戦でデビュー。
その後、ストレートでAリーグに昇級。
第22期最高位決定戦では、
「アガれば優勝」というところまで行った事もありました。

その後、「最高位戦の若手のホープ」の座を捨て、
麻将連合を受験する、という道を選んだのです。



そして、2度目の関東上陸となった、しもで青年。

前回と違い、今回はツテを頼ってきただけに、
そうそう簡単には辞められません。

さてさて、どうなる事やら。



今回の話は、ひとまずここまで。

これだけ歴史のあった麻雀店だけに、
当時の常連さんやスタッフには、
現在も活躍している競技団体所属選手や、
熱心な愛好家が、たくさんいたんですよね。

「出番はまだか」と待ちわびていた皆さん、
もうすぐですからね(笑)。

ではまた~。
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今回は、麻将連合(当時・麻雀連合)発足当時の対局について、
もう少し詳しくお話しようかと思います。

関東再上陸編だと思ったであろう一部の方々に、
深くお詫び申し上げます。m(_ _)m


麻将連合が発足する以前の公式戦といえば、
選手同士のリーグ戦がメインでした。

当時のプロアマ混合の公式戦は、
發王戦(最高位戦)
王位戦(プロ連盟)
マスターズ(プロ連盟)
阿佐田哲也杯(月刊プロ麻雀)
くらいだったでしょうか。


そこで、麻将連合が発足するわけですが、
初年度は既存のリーグ戦を行いませんでした。

行われた公式戦は、
μカップ、麻雀日本シリーズといった、
プロアマ混合の形式だけでした。

本当は「プロアマ混合」と表記するのは、
好きじゃないんですけどね。
適当な言葉が思い浮かばないので、あしからず。




麻雀日本シリーズは、1年限りで休止しましたが、
μカップは、現在も毎年7~9回ほど開催されています。


1年目には、1回だけ「所属選手+後援者限定」で、
本戦だけ開催した回もありました。


2年目の夏の、μカップin福井(北陸と表記してたかな?)。
予選は福井県民ホールのイベント会場で行われたのですが、
なんと、「手積み卓」だったのです。

開会式で、その日の運営だった高見沢治幸選手が、
手積みの作法について、丁寧に説明していたのが、
一番印象に残っています。


発足して5年目くらいまでは、
競技マージャンというのもよくわからずに、
なんとなく参加していた人がまだまだ多かったと思います。
1年に1人平均で、トラブルを起こして帰ってしまう人がいましたね。

参加者に原因がある場合もあれば、
運営側の不手際が原因だった事もありました。

もっとも今では、そういう事は無くなりました。
参加してくれている皆さんに改めて感謝します。




あと、今でも時々話題になる「時間制限」。
μカップでは、
予選が「50分+1局」、
本戦は「60分+1局」、
準決勝「70分+1局」、
決勝は「時間無制限」、
という基本システムとなっています。

時間制限の際の1局の区切りですが、
多くのところは「親がサイコロを振ったか」が、
基準になっています。
μカップでも、当初はそうでした。

しかし、そうなると、
洗牌(牌をかき混ぜる)をせずに、
すぐに卓の開閉ボタンを押して、
牌山が上がってくる前にサイコロボタンを押す、という、
「負けていて早く局を進めたいから、作法そっちのけでやってしまう」
人が発生してしまうわけです。

そこで、
「1局の区切りは、アガリもしくは流局が確定した時点」
というように改正されたのです。

おかげで、作法が乱れる事が激減したと思います。



今回の話しは、ひとまずここまで。

競技マージャンにおける「時間制限」については、
色々な意見がありますよね。

ブログで書くのは結構大変なので、
どこかの酒の席で話そうかな(笑)。


ではまた~。
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今回は、1997~99年あたりの、名古屋時代の仕事のお話。


仕事の方は、空白期間が少しあったものの、
基本的に麻雀店勤務でした。

名古屋市の本山にあった「サークル21」に約2年、
約2ヶ月ほど肉体労働系の派遣のバイト、
瀬戸市の「じゃらんじゃらん」で約1年。
というところまで、お話したかと思います。

じゃらんじゃらんで働いて1年近く経った頃、
当時のサークル21のオーナーだった橘高正彦さんから、
「しもでくん、大阪に戻ることになったから、
僕の代わりに、サークル21に戻ってくれないか」
と、お願いをされました。

ただ、橘高さんから引き継いでオーナーになったAさんが、
とてもアクの強い人で、正直苦手なタイプでした。

一度辞めている事もあり、悩みましたが、
橘高さんには色々お世話になっていた時期もあったので、
結局、サークル21に出戻る事にしました。


結果から先に話すと、半年くらいで辞めました。
麻雀店に勤務していると2年周期にやってくる、
「やってられるか病」が、こんなに早く発症するとはね。

細かいストレスが積み重なる、いつものパターンですが、
この時は、Aさんとあらゆる面でソリが合わなかったのが、
一番の原因でしたね。



さて、サークル21を辞める事にした、しもで青年。
その時は、もう名古屋に居たくないって思いましたね~。

そこで、再び頭をよぎる「上京」の2文字。
以前と違い、関東に知り合いが増えた事もあり、
前回よりは心の準備がしやすかったですね。

関東にいる先輩の方々に、色々と相談した結果、
次に勤務地が決まりました。

場所は、神奈川県藤沢市。

心当たりがある人にとっては、
「もしかしたら、オレ登場するかも」
って、楽しみ(?)に思うのではないでしょうか。

続きは後日ということで。



今回の話は、ひとまずここまで。

私が辞めた後のサークル21と、Aさんのその後について。

私が辞めて、しばらくしてから、
私の同僚だった3人が、店舗の運営をする事になりました。
ただし、オーナーはAさんのまま。

ちなみにAさんは、オーナーでありながら、
「お店で麻雀を打たないで」と運営側からお願いされるという、
いわゆる「出入り禁止」に近い状態になりました。

しばらくは、そこそこいい状態が続いたようですが、
ライバル店が増え始めた影響もあり、結局閉店となったのです。



サークル21を辞めてから2~3年後。

その日仕事が休みだった私は、
新宿の麻雀店に打ちにいったんです。
休日でも麻雀とは、我ながらアホですね(笑)。

それはさておき、ドアを開けたら、
入り口のすぐ近くの卓で、Aさんが打っているではありませんか。
これはビックリ(苦笑)。

その2秒後、私は麻雀を打つ事も無く、店の外に出ました(笑)。



それ以降、Aさんがどこで何をしているか、
全く情報がありません。


ではまた~。
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