シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。


テーマ:

今回は、久しぶりにマージャン教室のお仕事とか、

それ以外の仕事のお話です。

まぁ、「しもで先生ができるまで」という題名ですから、

そろそろ、先生のお話もしないとね(笑)。

 

 

メインの職場は、

下北沢の健康マージャンサロン「シャングリラ」でした。

2003年秋にオープンしてから、翌年の春先までは、

下北沢で週5日、大船のマージャン店で週2日働いていました。

えぇ、基本的に毎日仕事でしたね。

対局がある日は、無理やり休みを取って、

という、今思えばハードな日々でした。

 

ただ、フリーのマージャン店勤務の頃よりも、

1日の拘束時間が短くなったから、

何とか続いたのだと思います。

 

 

その後、営業方針の都合で、

下北沢の勤務日が週2~3日に減って、

残りの日は、マージャン店の助っ人をやったり、

いろんな所でマージャン教室の仕事をしたりで、

なんとか食いつないでいました。

 

 

その頃(2004~2005年あたり)、

草加の栄光ゼミナール系列のカルチャースクールから、

マージャン教室の仕事を依頼され、

月2~3回の教室を1年近く続けました。

 

4人から始まって、8人まで増えたのですが、

もっと安く営業している健康マージャンのお店が

同じ沿線にあるのを知ったようで、

全員そっちに行ってしまいました。

さぁこれから、と思っていただけに、残念でしたね~。

 

 

その次は、2006~2008年の2年間、

足立区の梅島にある地区センターで、

マージャン教室のお手伝い。

 

先生は、忍田幸夫プロ。

今まで、ほぼ自己流でやってきただけに、

すごくいい経験になりました。

マージャン教室の先生をやりたい人は、

是非とも見学をお勧めしたいくらいです。

 

 

その後、2008~2011年の約3年半、

足立区の舎人の地区センターで、

マージャン教室のメイン講師をやる事に。

 

マージャン教室の講師としてだけでなく、

教室の運営なども、勉強になりましたね~。

 

私を紹介してくれた、稲毛千佳子選手に感謝です。

 

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

現在は、メインの「まーちゃお下北沢」で、

週4~5日勤務している以外に、

週1回、千葉県の蘇我にある、

「ヤマダ電機パソコンスクール」で、

マージャン教室の講師を務めています。

午前1卓、午後1卓の、小規模な教室です。

手積み卓で、和気藹々やっています。

 

 

それにしても、

予想以上にたくさんやっていたんですね。

本当は全部書こうと思ったのですが、

1回では書ききれなかったので、

続きは次回にでも。

 

ではまた~。

 

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今回は、BIG1カップのお話です。

 

今年で20回目となった、BIG1カップ。

過去の私の成績は、こんな感じです。

第3回(2000年)…トーナメント1で敗退

第4回(2001年)…全国大会で敗退

第5回(2002年)…全国大会で敗退

第7回(2004年)…全国大会で敗退

第8回(2005年)…準々決勝(ベスト16)で敗退

第9回(2006年)…全国大会で敗退

第10回(2007年)…準決勝(ベスト8)で敗退

第11回(2008年)…トーナメント1で敗退

第12回(2009年)…全国大会で敗退

第13回(2010年)…全国大会で敗退

第14回(2011年)…トーナメント2で敗退

第15回(2012年)…全国大会で敗退

第16回(2013年)…トーナメント2で敗退

第17回(2014年)…トーナメント2で敗退

第18回(2015年)…準々決勝(ベスト16)で敗退

第19回(2016年)…トーナメント2で敗退

第20回(2017年)…全国大会で敗退

 

負けたら毎回悔しいのですが、

その中でも、初のベスト16進出となった、

2005年の時の話を少しだけしようと思います。

 

 

 

選手としてデビューしてから、既に7年が経過しました。

1回だけ、μカップで決勝戦に進出した以外は、

まるでいいところなしの日々が続いていました。

 

その当時は、

「優勝は目指すんだけど、どうせ今回も負けるんだろうな~」

という感じで、毎回そう思いながら戦っていた気がします。

 

しかし今回は、全国大会をボーダーギリギリで通過。

その後、トーナメント1・2も勝ち抜き、

初めてG1タイトルのベスト16に進出となったのです。

 

その時は、

「自分クラスだと、こんなチャンスは次にいつ巡ってくるかわからない」

と思ったものです。

 

そして、準々決勝当日。

相手は、原浩明プロ・吉田賞二選手・宇野京子さん。

2回戦を終えた時点で、吉田選手が2連勝でほぼ当確。

原プロが2・2、私が3・3、宇野さんが4・4という着順。

 

私と原プロの差が、約30P。

そこをどう詰めるかが焦点でした。

 

しかし、最終戦で宇野さんが大爆発。

私はおろか、原プロまで逆転し、

吉田選手、宇野さんの2人が勝ち上がりとなったのです。

 

細かい事はもう忘れてしまいましたが、

「自分がもうちょい上手だったら勝ててたかも」

と思ったのは記憶に残っています。

 

 

 

そして、その日の打ち上げ。

最初は普通に振舞っていたのですが、

あれこれ敗因を言われ続けるうちに、

悔しさと情けなさのあまり、大泣きしたのです。

どこか、突然スイッチが入っちゃったのでしょうね。

 

「今日勝てなかったら、次はいつチャンスがあるんだよ」

と自分が思ったのは、確かです。

 

 

その後、しばらくはショックが抜けませんでしたね~。

負け慣れていたはずなのに、なんであんなに悔しかったんだろう。

やっぱり「いつかは勝ちたい」と思っていたんですね。

 

 

 

 

その2年後(2007年)のBIG1カップ。

初めて準決勝に進出しました。

そして、内田慶選手、鈴木たろうプロ(協会)に力負け。

悔しかったですね~。

 

しかし、悔しい思いと同時に、

「次があるさ」

と、自然に思えました。

 

悔し涙を流した後の2年間にやってきた事が、

そうさせたのだと思います。

 

 

そう感じたのは、決して錯覚ではなかったようです。

2007年のμ-M1カップでも、準決勝まで進出。

さらに、2007年の将星決定戦にも進出。

 

勝てなかった時に、自分なりに色々やってきた事が、

ようやく実を結び始めたのかな、と思ったものです。

それが、気のせいだったとしても。

 

 

 

今日の話は、ひとまずここまで。

 

ここで、明後日のBIG1カップ決勝戦の告知です。

 

決勝戦進出の4人は、

忍田 幸夫(麻将連合・現BIG1)
奈良 圭純(プロ連盟)
三上 龍玲(麻将連合)
三橋 浩太(最高位戦)

 

決勝戦の模様はスリアロチャンネルにて配信されますので、皆さま是非ご覧ください。

3月11日(土) 13時00分
http://live.nicovideo.jp/watch/lv291743924

 

 

皆さん、是非とも熱い闘牌をご覧あれ!

 

 

ではまた~

 

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今回は、2006~2010年くらいまで開催していた、

「シモデ研究会(通称・モデ研)」のお話です。

 

当初は、以前参加していた研究会で採用していた、

「1局麻雀」形式が基本でした。

東1局0本場を打ってもらい、

その局を採譜して、1局ごとに検討する、

というものです。

 

他には、

タイトル戦の牌譜検討、

トーナメント戦の練習会、

ゲスト講師を招いた研究会、

などなど。

 

あとは、団体問わず、交流の場という意味合いもありました。

その当時に知り合った人達が、現在も活躍しているのを見ると、

なんだか嬉しくなりますね。

 

 

 

主宰は私でしたが、

私は講師というよりも、司会進行に近い立場でした。

むしろ、教わる立場だったかも。

あとは、ディスカッションがアツくなり過ぎないように、

適度なところで調整をする係りですね。

そうしないと、先に進まないですからね。

 

 

 

当時流行したのは、

「一打一打を常に正着打を追及する」

という思考でしたね。

ある麻雀漫画にもありましたが、

「パーフェクトな1000打を目指そう」

っていうやつですね。

 

最初は手探り状態でやっていましたが、

何度か研究会を開催していくうちに、

シモデ研究会のコンセプトというか、

そういうものが少しずつ固まってきました。

 

シモデ研究会のコンセプトは、

正着を追い求めるよりも、

「この選択肢もありかな」というように、

いかに選択肢を見つけられるか、

というもの。

 

当時の「パーフェクトな1000打」にも、

少し前に流行した「鉄○○(例・鉄鳴き)」とも、

どちらもかけ離れていますね。

 

 

打ち方やスタイルというのは、

その人が積み重ねてきた「生き方」にも通ずると思うのです。

だから、その人の思考や選択というのを、

極力否定したくないんです。

まぁ、全部の選択を肯定するわけでは無いんですけどね。

さすがにこれは利点が見当たらないという選択については、

丁寧に説明しましたが。

 

 

 

あと、大変だったのは、

研究会の参加者をいかに集めるか、でした。

 

当時は、

「研究会を主宰するのは、実績のある人」

という概念があったように思います。

 

だから、やってはみたものの、

ずっと1人とかゼロとかだったらどうしよう、

という不安はありました。

 

当時の麻雀SNSで告知したり、

知り合った選手にメールアドレスの交換をして、

100人くらいにメールでお知らせしたり。

 

こんなヘナチョコ選手が主宰にもかかわらず、

平均10人前後の参加がありました。

嬉しかったですし、ありがたかったですね。

 

1回だけ、30人近く集まって、

混乱しながらの開催だったのも、

今となっては、いい思い出です。

 

 

 

「当時の職場で、平日の夕方を活用したい」

「麻雀SNSが開始されたばかり」

「いろんな団体の選手との交流」

「若い選手が気軽に勉強できる場」

偶然も含めて、いくつかのきっかけがあったおかげで、

開催に漕ぎ着ける事が出来たのだと思います。

 

今思えば、やっぱり「楽しかった」「やって良かった」

と思いますね~。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

ちなみに現在は、2年くらい前から、

「クラシックルール研究会」

を主宰していまして、

月1回くらいのペースで開催しています。

 

昔の研究会よりは、小規模ですが、

その代わり、毎回来てくれる人が多いです。

これはこれで、嬉しいものですね。

 

次回は3月9日の木曜日、

19時から22時半くらいまで、

まーちゃお下北沢で開催します。

会費は1500円。

競技団体の所属に関係なく、

クラシックルールに興味がある方であれば、

未経験でも大歓迎です。

 

最後は告知になりましたね(笑)。

ではまた~。

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久々の更新です。すみません。
 
「私が勝てなかった間にやってきた事シリーズ」
今回は、第4弾です。
 
確か、2006年くらいですかね。
当時働いていた健康マージャンサロンが、
下北沢の「シャングリラ」。
基本的に朝から夕方までの営業でした。
 
当時のプロジェクトリーダーだったTさんから、
「しもでくん、夕方の空いた時間で何かできないかな」
と、提案されました。
 
ただ、問題がありました。
使える時間は17時から22時まで。
営業法の関係で、麻雀店と同じような営業形態が出来ない。
 
いろいろ考えた結果が、
「研究会の主宰」でした。
 
 
当時の研究会のスタイルは、
トッププロや実績抜群のプロが、
主宰もしくはメイン講師という立場になり、
生徒さんは講師の考え方を学ぶ、
という形式が多かったように思います。
 
つまり、既存の研究会だと、
「私ごときが主宰するとはとんでもない」
というわけですね。
 
しかし、一昔前に参加していた研究会で、
若手選手同士が集まり、
一打一打をみんなで検討する、
というスタイルなら出来るかな、
と思い、開催を決めました。
 
 
あと、参加者を集めるのに役立ったのが、
麻雀に特化したSNS(通称・はこパラ)の存在です。
 
偶然にも、始めた時期が2006年の春先で、
ちょうど、他団体の若手選手と知り合う機会が増え始めた頃です。
 
そこで、参加者を募集したり、
知り合いになった選手にメールを送ったりして、
2006年の秋から、「シモデ研究会」の開催に至りました。
 
 
 
今回の話は、ひとまずここまで。
 
現在は、競技マージャンに限らず、
マージャン上達のために必要な情報を、
ありとあらゆる方法で知ることが出来ます。
 
しかし当時は、競技マージャンを研究するための情報が、
まだまだ少なかったのです。
 
あと、他団体の選手との交流がまだまだ少なかったですね。
ここ10年で、いろんな交流が、劇的に進んだ気がします。
いい時代になりましたね~。
 
 
次回は、当時の研究会でやっていた事を書いていこうと思います。
ではまた~。
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個人の気まぐれで書いている、ブログなんかは、

ギャラが出るわけではないので、

適当に書いていてもいいのですが。

いや、それなりに真面目には書いているつもりけどね(笑)。

 

「仕事」や「選手としての任務」として依頼された場合は、

そうもいきません。

 

「モノを書くためには、何も読まないわけにはいかない」

と思ったわけです。

 

しかし、元来「読書」というのが苦手な、しもでさん。

子供の頃から、活字を読むと眠くなるんですよね(笑)。

 

 

 

まずは、可能な限り、タイトル戦や公式戦の観戦記を読みました。

その場で起こった事を淡々と綴ったもの、

文芸作品みたいな表現で書かれたもの、などなど。

 

さらにぶっちゃけて言えば、

面白いものもあれば、つまらないものもありました(笑)。

 

 

 

あとは、主にスポーツノンフィクションもの。

競技そのものの魅力、試合の流れ、

選手の心理状態、選手やその周りの人の人物像、

そういったものを、映像や写真がなくとも、

文章だけで伝える事ができたら、と思ったのが、その理由です。

 

当時よく読んだのが、山際淳司さん(故人)、金子達仁さん。

 

山際淳司さんは、「スローカーブをもう1球」「江夏の21球」などに代表されるように、

野球を題材とした作品が多いのですが、

マイナースポーツもよく題材に取り上げていました。

棒高跳び、スカッシュ、ボート、登山、などなど。

 

あと、一流選手だけではなく、

二流のプロボクサー、名門ではない高校野球のチームなども、

題材になったのがありましたね~。

 

 

金子達仁さんは、学生時代はサッカー部で、

しかもサッカー専門誌の出身という事もあり、

文章から、サッカーに対する愛情が溢れていましたね。

他のスポーツを題材にした作品もありましたが、

やはり、金子さんといえばサッカーという印象が強いですね。

 

金子さんの本を読んで、

「私も、マージャン愛が伝わる文章を書ければ」

と思ったわけです。

 

 

 

他にも色々読みました。

 

鷺沢萠さん(故人)のエッセイ集。

日常のつぶやきも面白いのですが、

マージャンのネタが、これまた面白かったです。

 

競技選手の視点とはまた違った、マージャンの観点。

あと、マージャンをそこまで突き詰めて打っていないはずなのに、

マージャンの魅力がとても伝わってきました。

「マージャン強くならないと、マージャンの事を書けない」

と思い込んでいた私にとっては、目からウロコでした。

 

 

将棋棋士の先崎学さんの将棋エッセイ。

厳しい世界に身を置きながら、

少年時代の破天荒なエピソード、

先輩後輩棋士とのオモシロ交遊録、

将棋棋士という立場の厳しさ、

といった、将棋界のあらゆる面を、軽妙な文章で綴っています。

 

私も、

「競技マージャンの世界を、面白おかしく、

その一方、この世界の厳しい面を伝えられれば」

と思ったものです。

 

 

 

他にも、何冊か読みましたが、

当時読んだものは、血肉となったと言っても過言ではないと思います。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

意外と長くなりましたね~。

「私が勝てなかった間にやってきた事シリーズ」は、

もう少し続きます。

 

ではまた~。

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