シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。


テーマ:
今回は、1997~99年あたりの、名古屋時代の仕事のお話。


仕事の方は、空白期間が少しあったものの、
基本的に麻雀店勤務でした。

名古屋市の本山にあった「サークル21」に約2年、
約2ヶ月ほど肉体労働系の派遣のバイト、
瀬戸市の「じゃらんじゃらん」で約1年。
というところまで、お話したかと思います。

じゃらんじゃらんで働いて1年近く経った頃、
当時のサークル21のオーナーだった橘高正彦さんから、
「しもでくん、大阪に戻ることになったから、
僕の代わりに、サークル21に戻ってくれないか」
と、お願いをされました。

ただ、橘高さんから引き継いでオーナーになったAさんが、
とてもアクの強い人で、正直苦手なタイプでした。

一度辞めている事もあり、悩みましたが、
橘高さんには色々お世話になっていた時期もあったので、
結局、サークル21に出戻る事にしました。


結果から先に話すと、半年くらいで辞めました。
麻雀店に勤務していると2年周期にやってくる、
「やってられるか病」が、こんなに早く発症するとはね。

細かいストレスが積み重なる、いつものパターンですが、
この時は、Aさんとあらゆる面でソリが合わなかったのが、
一番の原因でしたね。



さて、サークル21を辞める事にした、しもで青年。
その時は、もう名古屋に居たくないって思いましたね~。

そこで、再び頭をよぎる「上京」の2文字。
以前と違い、関東に知り合いが増えた事もあり、
前回よりは心の準備がしやすかったですね。

関東にいる先輩の方々に、色々と相談した結果、
次に勤務地が決まりました。

場所は、神奈川県藤沢市。

心当たりがある人にとっては、
「もしかしたら、オレ登場するかも」
って、楽しみ(?)に思うのではないでしょうか。

続きは後日ということで。



今回の話は、ひとまずここまで。

私が辞めた後のサークル21と、Aさんのその後について。

私が辞めて、しばらくしてから、
私の同僚だった3人が、店舗の運営をする事になりました。
ただし、オーナーはAさんのまま。

ちなみにAさんは、オーナーでありながら、
「お店で麻雀を打たないで」と運営側からお願いされるという、
いわゆる「出入り禁止」に近い状態になりました。

しばらくは、そこそこいい状態が続いたようですが、
ライバル店が増え始めた影響もあり、結局閉店となったのです。



サークル21を辞めてから2~3年後。

その日仕事が休みだった私は、
新宿の麻雀店に打ちにいったんです。
休日でも麻雀とは、我ながらアホですね(笑)。

それはさておき、ドアを開けたら、
入り口のすぐ近くの卓で、Aさんが打っているではありませんか。
これはビックリ(苦笑)。

その2秒後、私は麻雀を打つ事も無く、店の外に出ました(笑)。



それ以降、Aさんがどこで何をしているか、
全く情報がありません。


ではまた~。
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麻将連合(当時・麻雀連合)の発足2年目となった、1998年。

この年は、新しいタイトル戦や対局が増えました。


1つは、「BIG1(ビッグワン)カップ」。

麻将連合初期にあらゆる面で協力していただいたのが、
山王飯店の社長でもある、張建民さんでした。

その張さんと親交が深かったのが、
当時、福岡ダイエーホークスの監督だった、
というか、「世界のホームラン王」の、
あの王貞治さんです。

そこで、王さんの異名でもある「BIG1」を、
タイトルの名前として、使わせていただいたのです。

ちなみに、最初の数回は、
BIG1カップ優勝者が、王さんに優勝報告をするのが、
恒例行事となっていました。


前年開催された「麻雀日本シリーズ」は、結局1回限りでしたが、
BIG1カップは、毎年恒例のタイトル戦となりました。

第2回までの出場資格は、
μカップ優勝者、もしくはそれに準ずる成績優秀者限定でした。

第3回は、プロアマオールカマー。
第4回以降は、基本的に、
「公式戦で一定の成績を収めた麻将連合会員」。

最近は、麻将連合会員以外のプロ団体所属選手も、
出場資格が得られるようになりました。



もう1つは、「ランキング戦」。

1年目は、選手同士の対局がなかったんですよね。
しかし、ただ集まってやるのも芸が無い。

そこで、将来の「プロリーグ」構想に向けて、
システムをいろいろ考えたわけですね。

当時のランキング戦の、大まかなシステムについて、
述べていきたいと思います。

・同じメンツで、半荘3回を1セット打つ
・順位点のみの評価で、トップから+3・+1・▲1・▲3
・期首順位を設け、それもポイントに反映させる

ルールは、現在のランキング戦と変わりません。
一発裏ドラなしに加え、テンパイ料なし。
ただし、テンパイ連荘。

その後、システム面の変更を経て、現在に至ります。



今回の話は、ひとまずここまで。

「説明しかしてないやんけ~」
というツッコミもあるでしょう。
ていうか、私が読者だったら真っ先に突っ込みます(笑)。

しかし、最近麻将連合を知った人はもちろん、
もしかしたら、ウチの選手の中にも、
こういういきさつがあったのを知らない人がいるのではないでしょうか。

今後も、こういう歴史の話をチョイチョイ入れると思います。

ではまた~。
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1998年。
選手活動2年目を迎えました。


春先と夏場は、いい所なしでしたが、
秋に行われた「μカップin銀座」で、
μカップの予選を初めて通過できました。


ちなみに、当時の予選システムは、
半荘4回打って、上位40~50%くらいが5回戦に進出。
進出した人はポイント持ち越しで、
最終的に、上位15%程度が予選通過、というもの。

そうなると、
「ある程度大振りしないと」
という意識が強く働きすぎて自滅という、
負けパターンになるわけですよ。
若かりし頃の私が、まさにそうでした。
もちろん、基礎雀力の無さが、一番の原因なのですが。

とはいえ実際は、大振りしなくとも、
最後までチャンスが残るように意識すれば、
どうにか戦えるんですよね。

それに気付いたのは、
だいぶ後になってからなんですけどね。


ちなみに本戦は、いい所なく敗退しました。残念。



更に、その次の「μカップin仙台」では、
予選通過しただけでなく、
初めて決勝戦に進出する事ができました。

とはいうものの、決勝戦では見せ場がほとんど無く、
オーラスの時点の条件は、
役満ツモでもトータル4位、
どこからの直撃でもトータル3位、
という状況になってしまいました。

もう、どうしていいかわからなかったですね~。


そういえば、初めて「採譜される側」になりましたよ。

準決勝で、忍田幸夫プロを相手にトップを取ったんですけどね。
トップを決定づけたアガリの局が、
井出洋介プロが連載していたコラムに掲載されたのです。
今では休刊となった「プレイコミック」でしたね~。

自分の闘牌が誌上に載るのって、
やっぱり嬉しいものですね~。



そんなこんなで、
1年目よりも、少しだけ成績を残す事が出来たと思います。

とはいえ、
「成績ほど実力が伴っていないなぁ」
というのは、自分の中でも思っていました。

対局をやればやるほど、
他の選手との実力差を感じてしまうんですよね。

デビューして最初の数年は、
「自分程度の実力で、優勝しちゃダメなんだろうなぁ」
と、本気で思ったくらいです。

勝負事をやるにあたっての心構えが、
まるでなってないですよね。

まぁ、実際に超ヘタクソだったから、
「勝っちゃったらどうしよう」
とかいう心配は、杞憂に過ぎなかったんですけどね。




今日の話は、ひとまずここまで。

この年から、μカップ以外にも、
新しいタイトル戦や対局が始まったんですよね。

それらについては、次回お話しようと思います。

ではまた~。
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前回の記事でも触れた、

「セタ杯争奪・麻雀日本シリーズ(主催・報知新聞社)」

について、もう少しお話しましょうか。



この大会は、麻将連合(当時・麻雀連合)が発足するにあたっての、

一大イベントのようなものでした。

最大の目玉は、「優勝賞金300万円」ですね。

過去最高に近い金額だったのではないでしょうか。



予選は、全国10ヶ所前後で行われました。


全国各地の予選を勝ち抜いた人、

選手予選で勝ち上がった人、

各界の著名人シード、

それぞれの腕自慢が、都内のホテルに集結したのです。


本戦初日は、ベスト64を決める戦い。

初日終了後は、懇親パーティーでした。

司会を務めた、笛吹雅子さん(当時・日テレアナウンサー)が、

とても綺麗だったのが、一番印象的でした。



本戦2日目。

私はここからの出番。


細かい内容は、ほとんど覚えていませんが、

とにかく舞い上がって、アツくなって、

気がついたら惨敗した、っていう感じでしたね。



その後、準々決勝(ベスト16)の時点で、

ウチの選手で残っていたのは、大沢健二選手だけ。


決勝は、当時101競技連盟所属の梶本琢程選手、

あとの3人は、地区予選からの勝ち上がり組でした。


優勝したのは、石川県在住の中橋さんという方でした。



負けた後は、最後まで観戦しましたとも。

このまま名古屋に帰るのがもったいない、と思ったので。



ついでに、打ち上げにも付いていきました。

女優の宮下順子さんがやっていたバーに行ったのかな。


東京にいたら、朝までコースだったのですが、

深夜バスの出発時間が迫っていたので、お先に失礼しました。



負けた悔しさを胸に、

帰りのバスに揺られたのでした。




今回の話は、ひとまずここまで。


もしも、あの大会でウチの選手が優勝していたら、

第2回以降も続いていたかもなぁ、

と思う事もあります。


というのは。

2013年から始まった「全国麻雀選手権」という大会がありまして。

インターネット麻雀の「Maru-jan」を運営している、

シグナルトークが主催しています。


優勝賞金が、なんと500万円!


その第1回の優勝者が、

最高位戦の谷翼プロでした。


もしも、第1回の決勝に、プロが誰もいなかったら、

現在の盛り上がりは、果たしてあったのかなぁ。


今も継続している「全国麻雀選手権」の盛り上がりを見るにつけ、

20年前の苦い思い出が蘇るのでした。


大会を継続してくれている、シグナルトークの方々に、

改めて感謝したいですね。



ではまた~。

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麻将連合(当時・麻雀連合)所属の選手としてのデビュー戦は、
1997年度の開幕戦でもある、「μカップin銀座」でした。

予選の参加者は、12人。
人数としては、正直寂しいところ。
しかし、告知の期間が短かったためでしょう。

本戦に進めるのは、確か5人だったかな。


私の結果は、最終戦トップ条件に持ち込みましたが、
残念ながら予選落ち。
華々しいデビューとはいきませんでした。


その開幕戦で優勝したのが、
当時若手のツアー選手だった、地野彰信選手でした。

決勝戦には、三原孝博選手、小林剛選手といった、
後にエース的存在になる選手が進出しました。



ちなみに、私が1年間戦った結果はといいますと。

μカップは、1回だけ本戦シードがあったものの、
3回出場した予選は、全部敗退。

それ以外には、
「セタ杯争奪・麻雀日本シリーズ(主催・報知新聞社)」
という、優勝賞金300万円の大会に出場しました。

選手予選を勝ち抜き、ベスト64シードを獲得しましたが、
ベスト64トーナメントで、あっさり敗退。


トーナメント戦のシステムで戦ったのは、
実はこの時が初めてでした。

ちなみに、トーナメント戦とは、
「同一メンツ4人で戦い、上位2人が勝ち上がり」
というシステムです。

その当時、トーナメント戦システムを採用していたのが、
名人戦(主催・双葉社。現在休止中)、
發王戦(主催・最高位戦)、
十段戦(主催・プロ連盟)、
くらいでしたかね~。

しかも、十段戦はプロ連盟所属選手限定でした。

今でこそ、トーナメント戦のタイトル戦が結構増えましたが、
当時は、経験できる場がほとんど無かったわけです。




一方、仕事関係でも、いろいろありました。

これまで、橘高正彦選手が経営していた麻雀店、
「サークル21」で働いていたのですが、
夏場に辞めました。

ここで仕事を続けていく事が不安になってきた、
というのが1番の理由ですが。

私の場合は、小さいストレスが溜まりに溜まって、
何かのはずみで「やってられるか~」って、
なってしまうんですよね。

フリー麻雀店勤務の頃は、
だいたい2年周期で、そうなってしまいましたね~。


辞めてから2ヶ月くらいは、
肉体労働系の派遣のアルバイトをしていました。

その間は、仕事や買い物以外では、
ほとんど外出しないで、家でテレビゲームやったり、
引き篭もりに近い状態でした。
とにかくダラダラしていましたね~。


しかし、そんな状態を長く続けるわけにはいきません。
更に言うと、麻雀の仕事をまたやりたくなるんですよね。
もはや病気です(笑)。

というわけで、次の職場は、
瀬戸市にあった麻雀店「じゃらんじゃらん」。

地域密着型の「1000点につき、うまい棒10本」のお店。
こういうお店の雰囲気は、実は嫌いじゃないのです。

求人情報で募集していたわけじゃないのに、
私の惨状を見かねて、快く雇ってくれたマスターには、
本当に感謝しています。

そこでは約1年ほど、お手伝いしました。
辞めた時も円満でした。
わがままを聞いてくれた、マスターの人柄のおかげですね。



そんなこんなで、選手活動1年目を過ごしました。

まぁ、改めて振り返ると、
よく生きていけましたね~(笑)。




今回の話は、ひとまずここまで。

ちなみに「じゃらんじゃらん」は、
今でも営業が続いています。
ただ、前の場所から引っ越ししましたが。

5年前に、久しぶりに訪れたのですが、
マスターも相変わらずお元気で、
見た目も当時と変わらなかったですね。


さらに余談。
私がじゃらんじゃらんで働く前、
サンマ天鳳位の「いちはら」さんが、
そこでアルバイトしていたそうな。

やはり当時から強かったようで、
周囲からは「瀬戸の神様」と呼ばれていたとか。

いちはらさんとは、その後麻雀仲間になり、
一緒に遊んだりする事になります。

更に、ネット麻雀を通じて、
15年振りに再会する事になるとは、
当然、その時は知る由もありません。


次回も1~2年目あたりのお話になる予定です。
ではまた~。
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