シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。

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2003年の夏。

 

新しい職場となる、健康マージャンサロンの場所は…、

なんと、下北沢の「北沢タウンホール」の地下1階!

 

しかも、卓数は16卓。

広々とした待合スペース。

食事を提供するための立派な厨房。

他にも色々ありましたが、

とにかく、何から何まで想像を超えていました。

親会社の気合いの表れでしたね。

 

あと、マージャン店としての「風俗営業」ではなく、

「マージャン専門のカルチャースクール」としての営業なのです。

 

「これは、大変な事を引き受けたものだなぁ…」

軽い気持ちで引き受けたのですが、

あまりの気合いに、プレッシャーを感じましたね~。

 

 

 

そして、2003年の11月。

健康まぁじゃんサロン「シャングリラ」が営業開始しました。

 

最初の3ヶ月くらいは、

月曜から金曜は下北沢勤務、

土曜と日曜は大船勤務、

という日々が続きました。

今思えば、よく身体が持ったものです(笑)。

 

開業当初は、ポスティングをしまくっていましたね~。

マージャンをやってくれる、覚えてくれる人に来てもらわない事には、

何もできませんからね。

 

 

 

しばらくすると、何人体制で回せばいいのかも、

何となく分かってきた事もあり、

私は週3日程度の勤務になりました。

 

さらに数年後、プロジェクトリーダーのTさんから、

社員としてやらないか、という打診を受けました。

少し迷いましたが、

「やりがいがある仕事であるのは、間違いないのですが、

競技選手としての自分を優先したいので、

今まで通り、週3日程度でやらせてほしい」

という回答をしました。

 

我ながら、アホだと思います(笑)。

でも、後悔はしていません。

 

 

 

福岡の雀健ポンもそうですが、

シャングリラでの経験も、

私にとって、かけがえの無いものでしたね~。

こういう経験をする機会を与えてくれた方々に感謝です。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

そういえば、ここのところ、仕事関係のネタばかりですね(笑)。

そろそろ、選手としての活動も書かないといけないよな~、

と思いつつ、タイミングが合いません(笑)。

 

次回はどういうネタにするかは、まだ未定です。

ではまた~。

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2003年の夏。

 

当時は、池袋の「TOKYOぶんかサークル(通称・ぶんクル)」で週3~4日、

週末は大船の「バンブー」で地元の仲間うちのフリー営業のお手伝い、

その合間に対局、という日々を送っておりました。

 

正直、今後のマージャン人生は不安ばかりでしたね。

このまま、何となく続けていって、年をとっていくのだろうか。

ていうか、年をとる前に生きていけなくなるんじゃないか。

まぁ、今も不安ばかりですけどね(笑)。

 

 

 

そんなある日の事。

日本健康麻将協会の事務局で働いていた、

麻将連合の後輩でもある、戸構亮さんから、

「しもでさん、マージャン教室や健康マージャンのサロンをやりたいっていう人がいるんですけど、興味ありませんか?」

というお話をいただきました。

 

マージャン教室はわかるけど、

健康マージャンの「サロン」とは?

今ひとつピンとは来なかった部分はありますが、

マージャン教室とかの仕事は、チャンスがあればまたやってみたいと思っていたところだったので、

ひとまず話を聞いてみようかな、と。

 

 

で、最初の打ち合わせ当日。

打ち合わせにいたのは、

健康マージャンサロンのプロジェクトのリーダーでもある、Tさん。

あと、Tさんと関係のある方々が何人かいましたかね。

渋谷の健康マージャン「ガラパゴス」でスタッフをやっていた、Iさん。

戸構さん、私、これまた麻将連合の後輩の地主琢磨さん。

…だったかな?(笑)

 

私も地主さんも、ちょうどフラフラしていた時期だったから、

声がかかったのでしょうね~。

 

 

その後、何度か打ち合わせを重ねるうちに、

健康マージャンサロンのプロジェクトはどんどん具体的な話になり、

11月くらいに開店する、という事に。

 

そういう事もあり、

池袋の「ぶんクル」は9月いっぱいで辞めて、

10月以降は、開店準備に専念する事になったわけです。

 

 

店舗立ち上げに関わるのは、ほぼ初めてだっただけに、

楽しみもある反面、不安もありましたね~。

とはいえ、ここまで来た以上、やるしかありません。

 

平日は、ミーティング、チラシ配り、開店に必要な設備の準備など。

土日は引き続き、大船「バンブー」でお手伝い。

開店までは、そんな日々が続きました。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

またもや、マージャン人生の分岐点がやってきましたね~。

たまたまフラフラしていて、マージャン教室の経験があった事が、

今回の仕事につながったわけです。

 

もしもタイミングが合わなかったら、

果たしてどんな人生だったのでしょうね。

 

 

やっと、現在の仕事に繋がる話が出来ましたね(笑)。

 

ではまた~。

 

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2003年の夏。

この日も池袋の「TOKYOぶんかサークル(通称・ぶんクル)」でお仕事でした。

 

すると、見覚えある人がご来店。

なんと、安藤満さんではありませんか。

 

最近の若い方だと、安藤満さんを知らない人もいるかもしれませんね。

それでは、少しお話しましょうか。

 

 

 

私が18歳の頃に遡ります。

 

当時、近代麻雀オリジナルで連載されていた、

「阿羅漢(あらはん)」 という漫画で、

「安藤満」 という存在を知りました。

 

その中でも、主人公が駆使する戦術 「亜空間殺法」 は衝撃でした。

「アガリに向かわない鳴き」

などという逆転の発想が、この戦術のブームを呼んだのです。

一時期、全国の麻雀店で、

「亜空間ポン」 「亜空間チー」

が流行したものです(笑)。

その頃から、マージャンプロの世界を雑誌や漫画で目にするようになりました。

その中でも、当時 「BIG4」と呼ばれていた、

安藤満・飯田正人・井出洋介・金子正輝(敬称略)。

私にとっては憧れでしたね~。
 

1990年あたりでしょうか。

その安藤さんが癌を発症しました。

その後は、癌とも戦わなくてはならなくなったのです。

 

 

 

ぶんクルの話に戻りましょう。

仕事が終わった後、店長の山井さんに誘われ、

安藤さんとの酒の席にお供する事になりました。

他にも、プロ連盟の若手選手が何人かいたような。

 

 

安藤さんは、武勇伝、交遊録、プロのあり方など、

とにかくいろんな話を愉快にしてくれました。

 

あと、「むこうぶち」 の原稿用紙(原作用)も見せていただきました。

「おぉ、これはあのシーンか!」

と、興奮しましたね~。

 

 

楽しい時間は早く過ぎるもので、終電などとっくに過ぎました。

2時か3時くらいだったでしょうか。

安藤さんが携帯を取り出し、

「今から来いよ~。来なかったら、お前との縁はこれまでだからな」

と、ある人を呼び出しました。

 

すると、眠い目をこすりながらやってきたのが、

安藤さんの弟子でもあった、藤原隆弘さん。

前の記事でも書きましたが、藤原さんはホントいい人なんです。

先日の麻将連合のパーティーにも来ていただき、

気さくに挨拶してくれました。



そうこうしているうちに、気がつけば、始発の時間。

お開き寸前になった頃です。

さっきまで無邪気に振舞っていた安藤さんが、

まじめな表情でこんな宣言をしてくれたのです。


「来年はリーグ戦に復帰するつもりだよ。

少し下のリーグに参加して、

若い子たちに対局を通じて麻雀を教えてあげたいんだ」

 

 

 

こうして、私にとっては最初で最後の、

安藤さんとの酒の宴が終わったのでした。

 

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

ここから先は、エピローグです。

 

 

別れ間際に、

「来年は下のリーグで麻雀を教える」

という宣言をした安藤さんでしたが、

それは結局叶いませんでした。

 

最後に安藤さんの顔を拝見したのは、2004年の春。

瑞江にある葬儀場でした。

 

棺の中に仰向けになっていた安藤さんは、

闘病を終えた後には思えないくらい、

とてもきれいでおだやかな顔をしていました。

 

会場を見渡すと、何百人もの人がお通夜に訪れていました。

不謹慎な表現をお許し願いたいですが、

その人の幸せというのは、

「死んだ時に、どれだけ多くの人が心の底から悲しんでくれるか」

ではないかと思うのです。


あらゆる関係者やファンに惜しまれながら見送られていった安藤さんは、

幸せな人生だったのかな、と感じました。

 

 

最後の宣言は叶う事はありませんでしたが、

団体問わず、数多くの選手に、

安藤さんの魂が受け継がれています。

 

ささやかながら、私にも。

 

 

ではまた。

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2003年の5月くらいでしょうか。

 

当時101競技連盟に所属していた、佐々木秀樹さんからの紹介で、

池袋の「TOKYOぶんかサークル」という麻雀店を手伝う事になりました。

「ぶんクル」という愛称で親しまれていましたね~。

 

 

今思えば、いろんな人が働いていましたよ。

 

店長だったのが、プロ連盟の山井弘さん。

人柄がとても良くて、

一緒に働かせてもらった時は、働きやすかったですね~。

 

今でこそ、攻撃主体の麻雀スタイルですが、

当時はどちらかといえば守備重視のスタイルだったと思います。

当時を知っている者としては、今のスタイルに驚いています(笑)。

 

 

他に、当時一緒に働いていた、主なメンツはといいますと。

 

当時プロ連盟の、壽乃田源人さん。

当時はまだ若くて、人懐っこい子でした。

RMUに移籍してから、競技選手辞めちゃったけど、

今はどうしてるのかなぁ。

 

当時101の、坂下幸夫さん。

「ミラクル」と呼ばれるくらいの、

独特な、不思議な手順や押し引きバランスでしたが、

なぜかあまり負けなかったような。

 

女子選手も何人かいましたね。

最高位戦のいわますみえさん。

数年前からの知り合いでした。

今やベテランなのに、まだまだパワフルですよね。

 

プロ連盟の和泉由希子さん。

当時はまだ新人だったかな。

芸能活動もしていた事もあり、昔から綺麗でしたよ。

 

RMU(当時プロ連盟)の佐野貴子さん。

当時は勤務曜日が違ったので、顔見知り程度だったのですが、

8年くらい後に、再び一緒に仕事する事になるのです。

 

当時プロ連盟の石田めぐみさん。

RMUにも一瞬いたのかな?

しゃべり方が独特で、天然で面白い子でした。

それでいて、麻雀もそこそこ強かったですね~。

 

 

専属プロだったのが、

プロ連盟の藤原隆弘さん、

プロ連盟の増田隆一さん。

 

藤原さんは、見た目は怖いですが、

麻雀は守備的で、ラス率の低さに定評がありました。

あと、競技の世界で、長年裏方をやっているだけあって、

人柄もとてもいい人でしたね~。

 

増田さん(通称まっすー)は、見た目は怖いですが、

団体問わず、先輩に対しては礼儀正しく、

後輩に対しては面倒見のいい兄貴分です。

そういえば、まっすーの実家に泊めてもらった事もありましたね~。

 

 

私とは入れ違いですが、

今はRMU所属の、鈴木智憲さん、

谷井茂文さんも働いていましたね。

 

 

お客さんもツワモノ揃いで、

いろんな団体の人が遊びに来ていましたね~。

 

わずか数ヶ月の勤務でしたが、

いい思い出も作らせてもらいました。

 

その中でも、一番の思い出がありまして。

それは、次に書こうと思います。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

ぶんクルにいたのが、今から13年も前。

閉店してから、10年近く経つのかな。

早いものですね~。

 

しかし、ぶんクルにいた人達が、

今も活躍しているのを見ると、

なんか、感慨深いものですね。

 

自分の思い出にいつまでも残る麻雀店の1つです。

 

ではまた~。

 

 

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2003年春。

再び東京に戻ってきた、しもで青年。

戻ってきたとはいえ、仕事のアテがあったわけではありませんでした。

 

とりあえず、福岡時代の同僚が住んでた、大宮のアパートに2ヶ月ほど居候。

その間は、当時は数少ないツテを頼って、いろんな麻雀店のお手伝い。

 

当時は麻将連合のツアー選手だった、平田幹浩さんのツテで、

赤坂見附にあった「柳」のフリー営業のお手伝いとか。

「武蔵野の鬼」こと足木健さんのツテで、

吉祥寺のフリー麻雀店「ダンヒル」のお手伝いをしたり。

 

今思えば、まさに綱渡りのような日々でした。

期間は短かったとはいえ、我ながら良く生きていけたなぁ、と思いますね(笑)。

 

 

5月くらいですかね。

大船の「バンブー」で、お手伝いする事になりまして。

そのついでに、大船に引っ越し。

 

とはいえ、確定した仕事の日は、週2日だけ。

残りの日をどうしようか、と思っていたところに、

私の携帯に着信が。

当時、101競技連盟に所属していた、佐々木秀樹さんからでした。

 

「モデくんさぁ、僕が働いている雀荘、

(従業員が)一人居なくなって、人出が足りないんだけど、

もし良かったら、手伝ってもらえないかなぁ」

 

 

所属団体は違えど、競技麻雀の世界では大先輩。

その佐々木さんに、研究会とかで可愛がってもらった身分としては、

断る理由もありませんでした。

まさに絶妙のタイミングでしたね~。

 

 

その麻雀店には、4ヶ月くらいしか働きませんでしたが、

いろいろな人との繋がりや、思い出がいろいろ出来ました。

 

その当時の事については、次回以降お話しようと思います。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

今回の後書きは、佐々木秀樹さんについて。

 

101競技連盟で活躍し、

晩年(?)は、日本プロ麻雀棋士会で活動していました。

101の順位戦には、長らくA級に所属。

あと、八翔位を獲得した事もあります。

 

そんな佐々木さんと初めて会ったのは、水道橋にあったフリー麻雀店でした。

そこで、いろいろ麻雀の話をしてくれましたね~。

当時、他団体の新人のペーペーだった私に対しても、

とても気さくに、かつ、麻雀については熱く語ってくれたのが、

もの凄く印象に残っています。

 

佐々木さんは、当時としては数少ない、

デジタル思考の打ち手でした。

 

その後、研究会などでも一緒になったり、

同じ麻雀店で働いたり。

何かと縁がありましたね~。

 

私もその後いろいろありましたが、

佐々木さんもいろいろあったようで。

 

いくつかの麻雀店を転々として、

最後に会ったのは、1年前の吉祥寺ダンヒルの閉店の時でしたね~。

 

 

頑固な面があって、ちょっと空気の読めないところもありましたが、

どこかほのぼのとした雰囲気を持っていた、

憎めない、愛すべき先輩でした。

 

今はどうしているのかなぁ。

元気だといいなぁ。

 

 

ではまた~。

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