今年の正月は、母を実家から二時間ほどの霧島神宮に初詣に連れていき、喜んでくれました。
今度の正月も、同じようにどこかに遠出して温泉でゆっくりしてもらおうかと考えていました。
ところが、私より実家近くに住み母の面倒を見てくれている姉にそのように伝えたところ、母が「今年は家でゆっくりしたい。」と言っていると伝え聞きました。
80を超えて、遠出も辛くなってきたようです。
自分の「責任感」の裏返しで、普段なかなか面倒を見きれていない罪滅ぼしとして正月くらいは…と考えていましたが、それって結局は自己満足なんだなぁと思いました。
母を喜ばせたいというより、結局は母が喜ぶ姿を見て自分が安心したい…みたいな。
こういうところに気づかないと、いつの間にか独りよがりになって相手への気持ちの押し付けみたいになってしまい、変なことになりますね。
少し話はズレますが、以前は実家に帰るたびに一時も座っておらず細々と私の世話を焼いてくれる母を見ていて、
「も~、そんなに世話焼かんでもいいのに…。」
と思い、自分自身が何もしないで座っているのが申し訳ないような気持ちにもなっていました。
でも、最近それも「それって余計なお世話だよなぁ」と思うようになりました。
母親が自分の世話を焼くことが喜びなのだとしたら、ただそれに甘えればいいじゃんと。
自分が良かれと思って何も疑問に思わずにやっていることが、相手にとって、周りにとってそのまま受け取ってもらえるかどうかは別問題ですね。
迷惑を掛けちゃいけないと思ってやっていることが、逆に相手にとっては迷惑だったり…。
何でこういうことを書く気になったかというと、今朝新聞を読んでいての気づきからです。
道路の凍結で車がスタックした際の対処法が載っていたのですが、「新聞紙や毛布を敷いて脱出という手はあるけれど、それより何より誰かに助けを求めてください…」的なことが書いてあり、「そうだよねぇ。」と思ったからです。
私の場合、「責任感」で人に迷惑は掛けられないというのが強く出がちだし、「調和性」とかで人に頼る、お願いするのが苦手なので、こういう場合まずは自分で何とかしようと頑張ってしまいがちです。
でも、それによっていつまで経っても車を動かせず余計に迷惑を掛けてしまったり、「助けてあげたい」という人の善意を無にすることにつながるかもしれませんよね。
だから大切なのは、自分の思考を少し離れたところから自分で見てみて、「その自分の“あたり前”に良かれと思っていることは、相手にとっても、あるいは周りにとってもそうだろうか?」との問を投げかけてみることだと思います。
そして、時には思い切ってその“あたり前”と反対のことをやってみることがあっても良いと思います。
それにより、きっと何かに気づくこともあるでしょう。
さて、今度の正月はどうしよう。
母親を家に残して(ゆっくりしてもらって)、うちの家族だけで遠出するというのがやってみてもいいチャレンジかもしれないけど、やっぱりそこまでは出来ないなぁ。(^_^;)
地元で三社参りでもして、近くの温泉センターにでも連れていこう!
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