毎年、闇金から届く年賀状 | しちにんブログのブログ

毎年、闇金から届く年賀状

個人的には書かないけど。最近、周りが結婚しだして、で、その夫婦が周りに年賀状を出すという事で、ついでに俺にも出すという流れで何枚かもらうことがある。個人的には書かないけど。

そもそもあんな小さい四角の中に俺の魂を閉じ込められるわけがない。俺の思い。俺の情熱。俺の夢。全てが詰まって一年の最初の日に届く。

「あ、がはたんからスゲェのが届いた。こりゃ元気もらいましたわ」

とならないくらいなら送らない方がマシだとおもう。

思えば、世界の歴史を見渡しても、年賀状で歴史が動いたという記述はどこにもないわけで。ということは歴史の偉人たちは年賀状などなんとも思っていなかったということだ。

オリンピックとかに出てるアスリートとかでも「年賀状をもらったおかげで、百パーセントの力を出せました」とか「私がここまでやってこれたのは年賀状にパワーをもらったからです」みたいなコメントを見たことがない。ということは、年賀状はなんの力にもなっていないということだ。

なら、送らない方がいいのだ。

「俺はファンの年賀状で、また新しい曲ができた」

「スティーブ・ジョブスの成功の秘訣は、毎日欠かさず年賀状を書いていたからだ」

そんな話は聞いたことがない。これがいかに年賀状というものが成功者の間で疎まれていたかということだ。年賀状は書かない方がいいのではないだろうか?

かの有名なアインシュタインは年賀状からなんの理論も生み出していない。ベーブルースモ病気の子供に年賀状を書くことを約束したわけでもない。

やはり年賀状を書く理由などこの世には存在しないのだ。じ

つまり、年賀状は書かないに越したことはないのだ。年賀状を書けば書くほど、我々の体は疲弊して、言語中枢は弱っていき、「うんこ」と「おはよう」と「60分コース」としか言えない体になっていくのだ。

年賀状は危険である。