私が若いころには、いろいろな文明はまだ発達しきっていなかったといえます。

たとえば、携帯電話はなかったし、もちろん、インターネットもなかった。

だから、「将来こんなことができたらいいのに」ということを、20歳のころに日記に書いています。

でも、「できたらいいのに」ということは社会インフラであり、個人でできることではないので、
それが実現する社会になるまで20年かかりました。

だから、インターネットが日本に入ってきたときに「さて、どうしよう」と思うのではなく、
すでにやりたいことがたくさんあったので、コンテンツ・プロデュースは夢のように実現して、
当時は、アップルコンピュータやNTT,NEC、富士通、ソニー、東芝など、あらゆるIT企業の研究所の技術などを「女性視点で実用化する」ための仕事をすることができました。

話は戻りますが。

20代のころ、学歴も、技術も、実力も、人脈も、もちろんお金も親のコネもなく、何の取柄もありませんでした。

「私は、いったい何をしたらいいのだろう?」と、常に悩みながら生きていました。

そして漠然と「35歳くらいになったら、20代でやっていたことをまとめよう」と思いました。

だから、20代では、なんでも、目の前にあることはやってみよう。
お金のためではなく、自分のために生きてみよう。
そう思い、あれもこれもチャレンジしました。

夢が実現したわけではなく、タイミングで、28歳のときに事務所を借りて(それまでは自宅が仕事場でした)、32歳で法人化しました。

仕事は楽しかったけれど、会社を大きくして、社員を何百人も雇用することにはまったく関心がなかったので、「60歳になったら、ひとりで文章を書く仕事をしたい」と思っていました。

現実的に会社を経営しているときには、社員のために働かなくてはならず、毎日毎日お金のことを考え、たとえ利益が出ていたときでさえも、経営自体は楽しいとは思えずにいました。

でも、40代になったら、行きたいと思っていた日本の地域に行くことができていて、
やりたい仕事ができるようになっていた。

50代を過ぎて、徐々に、ものを書いたり、本を創る仕事にもリターンしています。

すべて、思うようになる。

計算はなにもしていないのに、なりたいことがすべて実現しました。

思い返せば、漠然と「どんな人になりたいのか」という自分なりのビジョンを持っていたのがよいと思います。

ちなみに、私の60代のビジョンは「いぢわるばあさん」です。

長谷川町子さん描くところの「いぢわるばあさん」のような年寄りになりたいと、若いころからずっと思っていました。

だんだん近づいています。






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