2190(2)前方後円墳・縄文・天文観測所説byはやし浩司
https://youtu.be/68PF6cGKkQ8
2017/01/20 に公開

2190(2)+ 1858+1726+1670+1661(Important)
Zenpo-Ko-en-fun as Observatory and Calendars
前方後円墳・天文観測所+カレンダー説
+Jomon Zodiac in Japan
The most common type of kofun tumuli is known as a zempō-kōen-fun (前方後円墳?), which is shaped like a keyhole, having one square end and one circular end, when viewed from above.
And Haniwa, terracotta figures, were arrayed above and in the surroundings of a zempo-koen-fun.
I, Hiroshi Hayashi, claim with evidence that Kofun tumuli is not a burial Tomb for the dead, but an observatory with the system of a calendar.
I say that each day, an important leader, for example, a star-gazer shifts the token-figure from one Haniwa to the next one to know the date, month, season and a year.
日本の縄文12宮図
Burial Tomb Mounds in Japan are Calendars.
Tomb Mounds as Calendars
+【重要】前方後円墳・カレンダー説byはやし浩司

黄道12星座とは、太陽の通り道である黄道上に存在する12の星座をいいます。
一方12宮とは、黄道を白羊宮から双魚宮までの12のエリアに分割したものをいいます。
この分割は、360度÷12宮=30度であることから、黄道を30度ずつ等間隔に分けたものということになります。
その原型ができたのは、バビロニアで、紀元前7世紀ごろとされています。
こうした12宮の概念が、いつ日本に入ってきたかは、定かではありませんが、その12宮が、静岡県磐田市で発掘された、縄文土偶、通称「鞆型土器」の背面に描かれていました。
「鞆」というのは、弓で矢を射るとき、腕を保護するために、輪のことをいいます。
その形が鞆に似ていたため、「鞆型土器」と言われています。
この鞆型土器が、簡易天文観測装置であったことは、すでに私が証明しましたが、その背面には、ここで述べたように、12宮が描かれていました。
それをこの動画の中で、証明します。
つまり縄文土器の背面に、バビロニアで生まれたという、12宮が描かれていたのです。
わかりやすく言えば、これは今までの考古学の常識からすれば、ありえないことです。
そのありえないことが、起きた。
もっとわかりやすく言えば、この事実だけでも、日本の考古学は、ひっくり返ってしまうということです。
縄文土器に描かれた、12宮図には、そういう意味も含まれています。

きっかけは、ルーブル美術館に所蔵されている、チュニジアで発見された、石造です。
それには、12宮図が描かれていました。
その石造に描かれた12宮図と、ここでいう鞆型土器の文様が、酷似していたことです。
その動画は、すでに1年近く前に発表しましたが、「酷似している」というレベルの話でした。
が、今回、新たに、同じ文様をもった、石棺、つまり岩を彫りぬいて作った、石棺が見つかりました。
その石棺には、磐田市で見つかった鞆型土器の文様と同じものが、彫りこまれていました。
つまり、ただの文様ではなかったということです。
言い換えると、しっかりとした意味をもった文様であったということです。

で、その石棺の文様が、鞆型土器と、ルーブル美術館にある石造に描かれた、12宮図をつないでくれました。
ともに共通性をもって、つながったということです。
結論を先に言えば、鞆型土器と呼ばれる縄文土器に、バビロニアの12宮図が描かれていたのです。
で、こうした事実を、この動画の中で、みなさんにお見せしますが、問題は、この先です。
つまり、こうした事実を、どう理解するかということです。
中には、「日本にそんなものがあるはずがない」と考えている人もいるかもしれませんが、
「あるはずがないもの」が、現に今、こうしてここに存在するのです。
日本の縄文土偶と、チュニジア、つまりカルタゴの12宮図とつながったのです。
+Today’s story is about “Kofun” or burial mounds in Japan.
Or, as a matter of fact, “kohun” means old tomb mounds.
Are they really burial mounds whatever they are?
No!
They were calendars for ancient people.
Wikipedia explains about “Kohun” as follows.
The Kofun period is an era in the history of Japan from around 250 to 538.
The word kofun is Japanese for the type of burial mounds dating from this era.
The Kofun and the subsequent Asuka periods are sometimes referred to collectively as the Yamato period.
I, Hiroshi Hayashi, however have got a different idea.
They are ancient calendars.

These are based upon Hiroshi Hayashi’s original ideas. Please keep it in your mind that no one is allowed to reproduce its content for any purpose without my permission and my name.
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