「我が国」と呼ぶか「この国」と呼ぶか

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先日、Twitterで、私は日本のことを語るときに、「我が国」と言わずに「この国」と言う公の職ち就いた人が多いことか、ということを嘆きと共に呟いた。政治家についても同様である。

私がまだ学生のときに一緒にテレビを亡き父と見ているときにか、「我が国と呼ばない人が多いな」と呟いたことを覚えている。

父の言うことは、今まですべて愛国者の本流を貫いていた。

祝日には日章旗掲揚
君が代を背筋を伸ばして斉唱する
天皇陛下を敬う
古事記・日本書紀を読めと
日教組、デモシカ先生ばかりの教育現場はこれ以上信用出来ない
教育勅語の復活を
太平洋戦争ではなく、大東亜戦争と呼ぶのが正当
東京裁判は日本苛めの極致。不当な裁判。


そして、

「この国」などと呼ぶ政治家やジャーナリストに信用に足る人物はいない。
「我が国」と語る政治家や言論人を信頼したい。

という父の遺訓のようなもの。


前者はすべて、私の現在の政治思想、歴史見解に大きな影響を与えてきた。至極真っ当な見地だと思う。それならば、一番最後の「我が国」の件だって、至極まともな見解なのだと思えるのだ。


具 体的に該当の人の名前は挙げられないし、特出すべき意識的な反日人を除いてはあまり名指しすることに意味は無いと考える。我々だって、たまに「この国」と 会話に出てくることだってあるだろう。しかし、国会答弁や国際情勢を語る立場のものが、正しく日本の未来や展望を語るときに、「我が国」と呼ばずに何を語 れるのだろうかと思わないだろうか。

この国をもっとよくしていきましょうよ」

とは、先日国会答弁を見ていたら、民主党のさる女性議員が質疑の場で、力説していた言葉なのだが、このときにも更にこれらの議員の頭の中に浮かぶのは、飽くまでも、愛情を持つべき「日本の未来をかくあるべし」と変えていく熱意ではなく、とりあえず生まれ育った『この国』を自分たちの生き易いように変えていこうという、侵略者的、移民的思想の上に立った考えだと思えるのだ。


『言葉尻を捉えてばかりいても始まらないのではないか?』


と懐疑的な方もいらっしゃるだろう。



しかし、言葉はその人の感情や考えを伝えるものだ。


言論人が「天皇」と呼んだら、「天皇陛下」だろうと思うだろう。
「太平洋戦争」と呼ぶ人がいたら、「大東亜戦争ではないと、あの戦争の意義が伝わらない」と我々は思うではないか。


言葉尻ではなく、その言葉の裏にあるものは思想背景を映し出すのが言葉であるとしたら、やはり他人事で「この国」などと言い捨てる政治家は信用出来ず、例えば安倍晋三元首相のように、きちんと「我が国は」と真摯に言える政治家を信用したいとは思わないだろうか。


「日本を"我が国"と呼ぼう」という運動
に大々的にしては嫌がられるだろう。
その意味と意義がわかった人が最初、丹念に丹念にこの言葉を使い続けることで、本当に我が国の未来を考えたい人の集まりとして結集するのではないかと思うのだ。



かつて、『この国この国』とぶっきらぼうにテレビで言い続けたジャーナリストがいた。筑紫哲也氏だ。彼 の出生がどういうものだか具には考えないが、彼のような、日本のことを軽々しく考えていた売国左翼人が生きている間にどんなに失礼極まりないことをし続け てきたか、テレビで反日電波を流し続けてきたか、それを思い起こせば、たかが一言の言葉、「この国」ではあるが、その背後にある政治思想と影響力の一旦が 垣間見えることがおわかり戴ける筈である。


蛇足ではあるが、筑紫哲也は、阪神淡路大震災の取材時に、未だ煙りがもうもうと沸き上 がる現場を見て、開口一番「まるで湯煙のように見えます」などと、場を弁えず被災者の苦痛をも考えない幼稚なレポートをしくさった過去がある。自らの住む 地でなくとも、同じ日本人があれほどの苦痛、未だかつて味わったことのないような大災害に見舞われているのに、「湯煙」とは何事だということなのだ。他人 事の極致である。血も涙もない、それは同時に日本人に対しての冷血ぶりを体現していたのだ。

https://youtu.be/c7XDrwJf0tI