【和歌入門】 4
 
「和歌について」 4
 
《はじめに》 4
 
 では、『まこと』とは一体どういふものでありませう。
 『まこと』は純粋な日本語であります。
 
 ですから、これを漢語のやうに分解することなどはできませんから、私はこれを平仮名で書きました。
 何故ならば『まこと』を漢語で示すと、眞も『まこと』、誠も『まこと』、信も『まこと』になります。
 
 英語に訳せばtrueも『まこと』、realも『まこと』、 sincereも『まこと』であります。
 
 『眞』は眞實ありのまま偽らず餝らざる天地の相(すがた)そのもののことであります。
 事物の眞相の『眞』もこれも又『まこと』なのであります。
 物に偽りがない眞物も『まこと』であります。
 心に偽りがないことが誠であります。
 この誠のみよく眞に通ずるものなのであります。
 
 天は正眞なればこそ至誠は天に通ずることになるのであります。
 孔子が「仁」と云つた心も、この『まこと』に入ります。
 キリストが「愛」と呼んだ心も、この『まこと』の中に含まれます。
 人間にとつて地上に於ける最も強大なものこそ『まこと』なのであります。
 この『まこと』を以て天地を動かし、これを以て鬼神を泣かせる、そこに人間の持つ最大の力があるのです。
 
 『まこと』の表現には技巧は問題になりません。
 
 こゝろに映じたあらゆる思ひをそのままに詠ふのが歌を創る目的なのですから。
 そして、生活が眞實であれば、その眞實の生活からこぼれ出る言葉の斷片はみな眞實の響きをもつて人の耳を打ちます。
 
 
【明治天皇御製】
 
まごゝろを歌ひあげたる言の葉は
    ひとたび聞けば忘れざりけり
  (明治天皇御製)
 
 
 『まこと』のこもった歌は無理に創ろうとしても創れません。
 其の心が『まこと』にならねば『まこと』の歌は生まれては來ません。
 歌を磨かんとすれば先づ其の生活を磨け!
 その生活を磨かんとするものは、其の心を磨け!

 『まこと』ある歌のみが眞の歌である。
 抑えようとして抑えきれない魂の爆發。
 剛毅なる生命の躍動をもつて率直に人の心を打つ迫力こそ歌なのであります。
 
 ですから、「内容」と「表現」はいかなる場合でも一致せねばならないのであります。
 
 
 (次回に續く)

 
 
*横山大觀「神國日本」 
*うるわしき日本
 
 
 
*本稿は平成28年6月12日の續きです。
http://ameblo.jp/kotodama-1606/entry-12169798903.html