●   九   (九、きゅう、く、ちゅう、ここの) が 坂本 九(さかもと きゅう)に
★坂本 九 - Wikipedia   http://p.tl/-GQG
 坂本 九(さかもと きゅう、本名:大島 九(おおしま ひさし)上を向いて歩こう http://p.tl/LcCl
日本の俳優・タレント・歌手・司会者。神奈川県川崎市川崎区出身。愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)。
妻は女優・柏木由紀子。柏木との間に娘が2人いる。長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子(本名:大島舞子)。実祖父は茨城県田伏村(現:かすみがうら市)出身の坂本金吉。また「天才サックス奏者」と言われた阿部薫は甥(姉の息子)。
『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した[1]。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など活動は多岐に渡った。
★「上を向いて歩こう」http://p.tl/9lk9
(うえをむいてあるこう、別名:スキヤキ、SUKIYAKI)は、坂本九の大ヒット曲。作詞は永六輔、作曲は中村八大、プロデューサーは草野浩二。
ビルボード(Billboard)誌では、1963年6月15日に、週間ランキング第1位を獲得。
ビルボード誌1963年年間ランキングでは、第10位。後に数多くのアーティストによってカヴァーされ、いまだに外国人によるモノマネのネタにもされる。坂本逝去のメモリアルソングとしてもよく用いられる。
★「見上げてごらん夜の星を」http://p.tl/NdhN
日本の歌手坂本九の1963年のヒット曲。作詞永六輔、作曲いずみたく。原曲は1960年に初演された同名ミュージカルの劇中主題歌。日本レコード大賞作曲賞受賞。
坂本の代表曲であり、後に数多くのアーティストにカヴァーされた。
★エピソード   http://p.tl/6wYF
・森進一が歌ったのは、日本航空123便墜落事故で坂本が不慮の死を遂げた直後の1985年8月21日放送の「夜のヒットスタジオDELUXE」〈フジテレビ系〉。森は、坂本への追悼の意を込めて、当日歌唱予定であったオリジナル曲「うさぎ」の歌唱を急遽取り止めてこの曲を涙ながらに熱唱。その際にスタジオにいた出演者・スタッフのみならず多くの視聴者の涙を誘ったこの場面は番組史上に残る絶唱として番組が終了した現在もなお語り草となっている。B'zのボーカル稲葉浩志は後年、プロミュージシャンを志すに当たって強い影響を受けた場面としてこの森による歌唱を挙げた。森はこの後も他のテレビ番組でも幾度か披露したほか、自身のオリジナルアルバムでもこの曲を録音した。
・2002年、全国の天文台が行ったインターネット調査で「『星』で思いつく歌」という質問に対して、ディズニー映画ピノキオのテーマ曲星に願いをに次いで、二位に選ばれた[6]。
・2003年の平井堅のカバーでは最新技術を用いた坂本九のオリジナル映像との組み合わせでPVが製作され、まるで坂本と平井が本当に共演しているかのようであった。第54回NHK紅白歌合戦でも平井は坂本の映像とデュエットした。
★『明日があるさ』http://p.tl/VdEY
1963年に発表され坂本九が歌った歌謡曲である。
日本テレビのテレビドラマ『教授と次男坊』主題歌である。
作詞は青島幸男、作曲は中村八大。自分に自信が持てず、意中の女性に恋心を打ち明けられないにもかかわらず、前向きに日々を過ごす男子学生をコミカルに表現している。当時80万枚以上のセールスを樹立した。なお、1984年には自然食品店(株式会社ナチュラルグループ本社)のCMに使われ、坂本本人もこのCMに出演した。
また、坂本が生前の仕事となった1985年8月12日のNHK-FMの『秋一番 坂本九』の番組収録で最後に歌った曲でもある。
その後多くの歌手にカヴァーされた。1992-93年頃には、日本テレビの深夜のミニローカルドラマ「シャンプータイム」の本編エンディングでアカペラバージョンが流れたこともあった[1]。これは中西圭三の歌を多重録音したものである。
2000年8月に、日本コカ・コーラが販売する缶コーヒー「GEORGIA」のCMソングとしてこの歌が起用され、空前のリバイバル・ヒットとなった。同年12月に、坂本九の原曲がシングルCDとして再発(このときのカップリングは「幸せなら手をたたこう」)。
★『夢であいましょう』(ゆめであいましょう)http://p.tl/NiYT
日本放送協会 (NHK) のバラエティ番組。1961年(昭和36年)4月8日から1966年(昭和41年)4月2日まで毎週土曜日22時台に生放送されていた。
日本のテレビジョン放送の黎明期における代表的なバラエティ番組として、日本テレビの『光子の窓』や『シャボン玉ホリデー』などと並び称されている。この番組の前身は、1959年から同じくNHKで放送された『午後のおしゃべり』とされる[誰によって?]。
初代ホステスの中嶋弘子が番組冒頭で上半身を右に傾けてお辞儀をするテレビ用の挨拶は、視聴者の話題になった。番組オープニングタイトルは繊維会社で宣伝部に在籍していた吉村祥が担当し、毎回趣向を凝らしていた。
番組には毎回ごとのテーマが設けられて、これに沿ったショートコントで進行し、その合間に踊りやジャズ演奏、外国曲の歌唱などが挿入された。歌手のコント出演や、コメディアンの歌唱などの企画は、後続のバラエティショー番組の原型となった。
中嶋はその後、結婚のために1965年3月をもって番組を降板。番組が終了するまでの1年間は、レギュラーとして活躍した黒柳徹子が替わって司会を務めた。そして1966年、番組はフランキー堺をホスト役に据えた『夢をあなたに』に衣替えする形で終了した。

★中村八大(なかむらはちだい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(1931―1992)
作曲家。中国、青島(チンタオ)市生まれ。1955年(昭和30)早稲田(わせだ)大学文学部芸術科を卒業。小学3年からドイツ人音楽家にピアノを習う。大学在学中に渡辺晋(わたなべしん)と楽団シックス・ジョーズを結成し、ジャズピアニストとして天才とよばれた。1958年中村八大トリオを結成、1959年永六輔(えいろくすけ)の作詞と「八六コンビ」をつくり、『黒い花びら』の大ヒットを生み、第1回日本レコード大賞を受賞した。同コンビでは、1961年坂本九の歌う『上を向いて歩こう』が国内ばかりか海外60か国で『スキヤキ・ソング』としてヒットした。1960年NHKテレビ『夢で逢(あ)いましょう』の音楽監督、1962年『遠くへ行きたい』のヒット、1963年『こんにちは赤ちゃん』の大ヒットで日本レコード大賞、1966年ブラジル第1回国際ポピュラー音楽祭で最優秀管弦楽編曲賞受賞。ほかに『涙をこらえて』『世界の国からこんにちは』など多数を作曲。平成4年6月10日没。 [ 執筆者:編集部 ]

★永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - )http://p.tl/is9O
日本の元放送作家、作詞家で、現在はラジオ番組パーソナリティ、タレント、エッセイストである。本名、永孝雄(えい たかお)。
角刈り頭と細長い顔がトレードマーク。血液型はAB型[1]。
長女の永千絵は映画エッセイスト、次女の永麻理は元フジテレビアナウンサー(現在はフリー)、次女の長男で孫の育乃介は俳優。藤本義一とは遠戚である。

★六八九トリオ(ろくはちきゅうトリオ)http://p.tl/dYJu
作詞;永六輔、作曲;中村八大、歌;坂本九の三人組のことである。
★小惑星6980   http://p.tl/7UAH
1999年に小惑星ナンバー6980の固有名としてKyusakamotoと命名されているが、これは「六八九トリオ」にちなんで発見者のひとり渡辺和郎が小惑星センターに申請し、認められたものである。
★坂本九 (小惑星)(Kyusakamoto)http://p.tl/7i6L
坂本九(さかもときゅう、6980 Kyusakamoto)は、小惑星帯にある小惑星。北海道の円舘金と渡辺和郎が発見した。
小惑星名は日本人の俳優、歌手の坂本九に由来し、小惑星番号の (6980) に坂本の代表曲である「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔の「六」、坂本九の「九」、そして作曲した中村八大の「八」が入っていることから選ばれた。佐藤健、藤井旭、片桐靖忠らの提案に基いて発見者の渡辺が小惑星センターに申請し、1998年10月に承認された。
★小惑星の一覧 (6001-7000)   http://p.tl/kzgA
★坂本九の軌道要素(JPL、英語) http://p.tl/wQ7y
★坂本九 Ofiicial Web Site   http://p.tl/k--1
★はてなキーワード > 坂本九   http://p.tl/ogBq
★坂本九トリビュートアルバム  http://p.tl/Z537
 
★トルコ旅行で聴いた江利チエミと坂本九 - Act Naturally    http://p.tl/qcwI
★上を向いて歩こう 924 坂本九 , マリーナ・ショウ      http://p.tl/-eQh
★「坂本九」を含むブログ    http://p.tl/uNrZ
★じじぃの「人の死にざま_340_坂本・九」   http://p.tl/Yj-a