●土間(どま)●家の神(いえのかみ)●屋敷神(やしきがみ)●保食神(うけもちのかみ)
★土間(どま)http://p.tl/CjTq
日本建築に於ける家屋内の一部を構成する間取りである。
★土間(どま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .  http://p.tl/sR8b
屋内において床を張らずに、地面のまま、または叩(たた)き土(つち)、漆喰(しっくい)塗りなどにしてあるところ。現代では、玉砂利敷き、石敷き、石張り、タイル張り、コンクリート打ちなどの場合もこの呼称を用いる。原始住居跡から推定できるように、住まいは、初めは一室の土間だけの小屋であった。それが、中世以降、上流の人たちの住居の形式が一般化され、炊事や作業に土間を、居室として板床(のちには畳を用いた部屋)をそれぞれ用いるようになった。この形式が今日でも民家にみられる。
また、初期の歌舞伎(かぶき)劇場では、舞台の正面席を土間とよんだ。左右の席が屋根付き板張りの桟敷(さじき)であったのに対し、正面席は露天の土間であった。江戸時代の後半になってから、劇場全体に屋根がかけられ、この正面席もようやく枡(ます)という方形の席を設けるようになった。その中央部分一面を平土間(ひらどま)、平土間より高く、桟敷より低い部分を高土間(たかどま)という。[ 執筆者:中村 仁 ]
   民俗
日本の住宅形式が履き物を脱いで上がる関係で、土間は不可欠なものである。土間はニワとかウスニワ、ニヤなどともよばれ、さらに内庭、外庭と区別される。片側に部屋があり、ニワが表から裏まで通っている片側住居の場合は、とくにトオリとよぶこともある。土間を格子戸や衝立(ついたて)で裏表に分けた場合、前面のほうをウスニワとよぶ。唐臼(からうす)を装置するからで、藁(わら)仕事やときには、脱穀調製までそこを使うこともある。藁打ち石などが埋めてあるのも、そのためである。調製に使う場合は、箒(ほうき)で掃き清め、人の歩く所だけ踏み板を置く地方もある。そのほか農具置き場や厩(うまや)、籾(もみ)を貯蔵するセイロ(別名キッツ)、便所、風呂場(ふろば)なども土間に設けられる。
土間に似て土座(どざ)という名がある。これは主として寒い地方に多い。土間を30センチメートルほど掘り下げ、籾や藁をいっぱいに敷き詰めた構造で、土間以外の居室はもちろんのこと、寝間までこの方法にしたもので、板張り以前の床構造である。[ 執筆者:竹内芳太郎 ]

★家の神(いえのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
一家を守護すると信じられてきた神。主として竈神(かまどがみ)、屋敷神、厠(かわや)の神や納戸(なんど)神など。一般的に多いのが竈神で、西日本では荒神(こうじん)ともよぶ。土間の竈には火に対する畏怖(いふ)と慎みから、これを家の神とする観念が発達した。イエ(ヘ)の「ヘ」は、ヘッツイ、ヘヤの「ヘ」と同義とする説もある。竈の上や柱にカマヲトコ(面)や、神符、幣束(へいそく)を置く地方もあるし、嫁入りのとき最初に竈に拝礼する地方(沖縄)、祖霊神として死者が出ると灰を全部取り替える地方などもある。東北地方では「竈をおこす」とは一家をたてるの意で、分家に火と灰を分ける。陰陽師(おんみょうじ)によって土公神(どくじん)ともよばれる。水田耕作の田の神(春秋に山の神と交替)・水の神や歳神(としがみ)も家の神としての荒神に結び付いているし、氏神、産土(うぶすな)神、地神、作神、ミサキなども習合している。火の所在場所としてのいろりも同じで、煙の天窓を通して大歳(おおとし)の神が訪れる考え方があり、自在鉤(じざいかぎ)のことをカギツケサマ、オカンサマといい、家の神がこもるところとする信仰もある。
庭の隅の石祠(いしほこら)や洞穴に置かれた屋敷神も同族や屋敷を守護する神で、春秋の山の神と田の神の交替期に呼応して祀(まつ)る。これが発展して氏神、産土神になる例もある。納戸も、西日本では家の歳神、田の神、作神を祀る。厠の隅に男女一対の土人形を飾ったり(仙台)、オヘヤ神(栃木)としている地方もある。東北地方では接客の出居(でい)を、家の神の間として神棚を祀る。また、屋内にいる妖怪(ようかい)の一種と信じられてきた座敷童子(ざしきわらし)も、家を繁栄させる守護霊として、岩手、秋田地方では河童(かっぱ)と混同されたりしている。春秋交替の山の神が、田に出て水の神となる姿と混同したものと考えられる。いずれにしても、家の神の形態は、種々の伝承が複雑多岐に絡み合いながら変遷してきて、一つの概念には定められない。[ 執筆者:渡邊昭五 ]

★かまどの神(かまどのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
かまどは食物調理の火を焚(た)く場所であるから、いわば家屋の心臓部に相当し、古くからこれについての信仰は根強い。関東・東北ではオカマサマとよぶことが多いが、近畿を中心に全国広く三宝荒神(さんぼうこうじん)の称があり、近畿以西ではドクウサマ、ロックウサンとよぶことが多い。三宝荒神は、修験者(しゅげんじゃ)や日蓮(にちれん)宗信徒の間では、三宝(仏・法・僧)を守護し、浄信者を助け、悪人を罰する神として、宝冠を頂き、三面六臂(さんめんろっぴ)で、忿怒(ふんぬ)または如来(にょらい)の相で表されている。この神が、清浄を愛し、不浄を強く排するところから、火の神の信仰に結び付けられ、「荒神さんを粗末にすると罰があたる」「かまどに乗ると荒神さんが怒る」などの俗信が広く及んでいる。ドクウサマは、陰陽道(おんみょうどう)で重んじられ土をつかさどるとされる土公神(どこうじん)からきたもので、かまどを汚すと土公神の祟(たた)りがあると信じられてきた。
これらに対し、オカマサマは、いかにも主婦と関連深い神で、子供を多くもち、とかく控え目で、神無月(かんなづき)の諸神の出雲(いずも)行きにもこの神だけは同行しないといわれ、所によっては夫の不在中のつつましやかな饗宴(きょうえん)も、この神になぞらえて「オカマノルスンギョウ」とよばれる。東北の一部では、かまどの神の神体との意味で、釜神(かまがみ)さまと称し、醜怪な感じの男の面を竈の上方に安置する例がある。農家の年中行事のなかには、田植のときに五目飯を供える風があったりして、かまどの神は本来は家の守護神、農耕の神でもあったとの観がある。かまどの神を祓(はら)い清めて祀(まつ)ることを竈(かまど)祭りといい、年末に神職が家々を訪れて祀った。[ 執筆者:萩原龍夫 ]

★火の神(ひのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
火を統御し、管理する神。わが国では火は穢(けが)れやすいものと考えられ、祭礼など神聖な火を必要とするときには、改めて新しい火をおこした。しかし、火そのものを崇拝することはなく、火をつかさどる神をその対象とした。火の神としてよく知られている神格は、静岡県の秋葉(あきば)神社と京都府の愛宕(あたご)神社で、勧請(かんじょう)神として各地に祀(まつ)られている。また、火伏(ひぶせ)の神として、御札(おふだ)が民家の神棚や勝手口などに納められていることも多い。こうした神格とは別に、かまどやいろりを対象にした火の神の信仰は、全国的にみられる。火の神を荒神(こうじん)ないしは三宝(さんぼう)荒神とよぶ地域は広く、三把苗(さんばなえ)などと称して田植のときに荒神やオカマサマに三把の苗を供える例も広範囲に分布する。一般的に東日本では火の神としての荒神と田の神としてのオカマサマが併祀(へいし)され、西日本では火の神と田の神の両者が習合したかまどの神を祀るという傾向がある。
穢れやすいとされる火ゆえに、荒神の祟(たた)りを恐れる禁忌も多く、九州地方では現在でも荒神祓(ばら)いといって、盲僧が各戸の竈(かまど)荒神を清めて回る風習がある。なお、カマドという語が本家・分家を意味する土地もあるように、火や火の神がイエの象徴とされて、その永続を願って炉の火を守り続ける風もみられる。火の神の信仰は薩南(さつなん)諸島から沖縄にかけてとくに顕著であり、家々の火の神にとどまらず、3個ほどの自然石を神体とした集落全体で祀る火の神がある。[ 執筆者:佐々木勝 ]

★荒神(こうじん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
一般に屋内のいろりやかまどなど火を使う場所に火の神として祀(まつ)られる三宝(さんぼう)荒神と、屋外に祀られて屋敷神や同族神、地域の守護神として機能する地(じ)荒神とに大別される神格。祭場の形状から前者を内(うち)荒神、後者を外(そと)荒神などとよぶ所もある。いずれも験力あらたかな、荒々しく祟(たた)りやすい神と信じられている。三宝荒神は火の神という性格が顕著だが、作神としての性格も認められる。田植のときに苗を供えたり、刈り上げのときに初穂を供えるなど農耕儀礼とかかわっている。ただ、火の神として荒神とともにかまど神を併祀(へいし)する地域では、前者を火伏せの神、後者を作神と区別する傾向がみられる。火伏せや作神のほかにも、産の神、牛馬の神といった多岐にわたる内容をもつが、広く行われているのは荒神墨とよぶかまどの墨を生児の額につけて魔物除(よ)けとする風習である。九州地方では川遊びの際にこれをつけると、河童(かっぱ)に尻(しり)を抜かれないと伝えられている。一方、地荒神は中国地方を中心に、四国や北九州で祀られている。多くの場合、旧家の屋敷地や山裾(やますそ)の自然木や小祠(しょうし)を信仰の対象とするが、荒神ブロとよんで一区画の森を神聖視する地域もある。屋敷神となっている場合を屋敷荒神、株のような同族的な色彩の濃い集団によって祀られているものを株荒神、一定の地域の人々によって祀られているものをウブスナ荒神あるいはヘソノオ荒神などとよぶ。荒神信仰の拡大については山伏や法印などの民間の宗教者が大きな役割を果たしているといわれているが、中国・四国地方で盛んな荒神籠(ごも)りは荒神信仰の古態を示すものとして注目される。[ 執筆者:佐々木勝 ]

★屋敷神(やしきがみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
宅地内の一隅や宅地続きの小区画に祀(まつ)られている神をいう。屋敷神というのは学術語であって、実際には地方ごとにさまざまな呼称が行われている。祭神としては、全国的にみて稲荷(いなり)が優勢であるが、そのほか神明(しんめい)、祇園(ぎおん)、熊野(くまの)、天王、白山、八幡(はちまん)、山の神などさまざまである。このような祭神の雑多性は、勧請神進出の事実を示すとともに、修験(しゅげん)、巫女(みこ)、念仏など信仰伝達者の活躍を物語るものと考えられる。
次に祭祀(さいし)者の範囲という観点からみると、屋敷神には次の三つの類型が指摘できる。
(1)村落内のほとんど各戸で屋敷神を祀る型で、これを「各戸屋敷神」とよぶ。
(2)村落でも特定の旧家・本家筋に限って祀る型で、これを「本家屋敷神」とよぶ。
(3)本家の屋敷神を同族が参加して祀る型で、これを「一門屋敷神」とよぶ。
この三つの類型は、いずれも全国的な規模で分布している。この三者の関係については、一門屋敷神の祭祀組織がもっとも古い形で、それが同族結合の崩壊、分家群の脱落によって、本家屋敷神へ移行するとともに、分家の実力が台頭し、家意識が高まり、同族結合の枠が崩れることによって、各戸屋敷神へ分化する傾向をたどったものと考えられる。屋敷神の神格については、一般神、自然神を祀るとする土地も多いが、また祖先神を祀るとする土地も広い分布を示している。ことに家代々の死者が屋敷神になるとの伝承があったり、屋敷神と墓との密接な関係を示す資料も少なくない。そこで屋敷神の祖霊的性格ということが、大きな問題になってくる。[ 執筆者:直江広治 ]

★山の神(やまのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
山を支配する神。全国にみられる民間信仰で、多くの土地では山の神は女神だという。しかし男神という所もあり、また夫婦(めおと)神としている例もある。山の神を女神としている地方では、この神は容貌(ようぼう)がよくないので嫉妬(しっと)深く、女人が山に入るのを好まないという。山の神信仰については、山仕事をする木こり、炭焼き、狩人(かりゅうど)などと、農作をする人々との間では多少の違いがある。農民の信ずる山の神は、春先山から下り田の神となって田畑の仕事を助け、秋の収穫が終わると山へ帰り山の神となるという。山仕事をする人々は、山の神が田の神になるというようなことはいわない。
山の神の祭日には山へ入ってはならぬという。この日山の神は山の木を数えるとか、木を植えるとかいう。祭りは7日、9日、12日などまちまちであるが、東北地方では多く12日で、山の神を十二様とよんでいる。十二様は女神で1年に12人の子を生むという。これにちなんで山の神の祭りには12個の餅(もち)を供える。山の神は祭りに女子が参加することを好まないという。津軽地方では山小屋に12人の者が入るのを嫌ったり、物をそろえる場合など12という数を避けるようにしている。山の神への供物(くもつ)は全国を通じて粢(しとぎ)、餅などがあるが、とくに神の好むものとして海オコゼという魚がある。山の神への供物を女が食べると気の荒い子が生まれるといわれている。神奈川県から山梨県へかけて正月21日の行事に、山の神の冠(かんむり)落としといって、篠竹(しのだけ)で弓矢をつくり山の神に供える。この日山の神が狩りをする。神は冠の落ちるのもかまわず弓を射るので、その矢に当たるかもしれず危険で山へは行けぬという。九州博多(はかた)地方では、旧暦12月24日を山の神の洗濯日といい、その日はやはり山へ入るのを遠慮するという。[ 執筆者:大藤時彦 ]

★田の神(たのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
稲の生育を助け、豊穣(ほうじょう)をもたらしてくれる神の総称。古くから水稲耕作の行われたわが国では、豊作を祈願し、収穫を感謝して田の神を祀(まつ)ってきた。古典に現れる倉稲魂(うかのみたま)や保食神(うけもちのかみ)はその一種と考えられ、また、古代以来、宮廷の神事として行われてきた祈年祭や新嘗祭(にいなめさい)は、田の神祭りと密接にかかわるものである。現在、民間での田の神の名称は各地各様で、田の神とよぶほか、作神(さくがみ)、農神(のうがみ)、作り神とよばれたり、他の信仰と習合して、亥(い)の神、えびす、大黒(だいこく)、稲荷(いなり)、地神(じがみ)、かまど神、荒神(こうじん)、お社日(しゃにち)さま、お丑(うし)さまなどを田の神と認めている所もある。
その祭りには、稲作の実作業に応じてそのつど行われるものと、毎年一定の月日を決めて営まれるものとがある。前者としては、農耕儀礼の多くがこれに相当する。種籾(たねもみ)を播(ま)いたあと、苗代(なわしろ)田の一部にカヤ・ヤナギなどの自然木を立てて田の神の依代(よりしろ)とし、これに焼き米などを供えて祀ったり、田植開始時や田植終了時に、田の水口(みなくち)や屋内の一定場所(荒神棚や神棚など)に苗三把を据え、餅(もち)・神酒(みき)などを供えて祀る例が多い。とくに中国地方山地で最近まで広く行われていた大田植は、田植が田の神を迎えて行う重要な神事であったことをうかがわせるものである。また収穫の際には、初めに数束の稲を刈り取って田の一隅に掛けたり家に持ち帰って祀ってから稲刈りにとりかかる穂掛けの儀礼があり、続いて収穫後には刈上げの祭りをするが、祭祀(さいし)対象はいずれも田の神である。これらの農耕儀礼の背景には稲霊(いなだま)の再生・成長の観念がうかがえ、各儀礼は密接に関連しあっている。祭場には定まった田があてられることが多く、屋外での祭祀は古風を伝えるものと考えられる。
一方、暦日に組み込まれて毎年一定の祭日をもつものには、東日本の3月と10月の16日、2月と10月の10日、西日本の2月と10月の亥の日の田の神祭りや、奥能登(のと)のアエノコト(1月9日と11月5日)、九州北西部の丑の日祭り(2月と11月の丑の日)などがある。春秋の社日の所もあり、正月を挟んで期日が対称的に存在するのが特徴で、宮中の祈年祭や新嘗祭との関連をうかがわせる。これらには、神が春に山から降りてきて田の神として稲作を守り、秋の収穫後には田からあがって山の神になるという神去来(かみきょらい)の伝承を伴うものが多い(家と田との去来を説くものもある)。
また、正月には種籾俵やかますを祭壇にする所が各地にあり、正月も田の神祭祀の重要な機会で、年神と田の神との結合がみられる。このように、田の神には稲作を守り育てる守護神としてのほかに、穀霊的性格も認められ、各地の田の神祭りにはこの二つの面が表れている。また、祖霊的性格をみることも可能であり、さらには耳や目の不自由な神とする伝承もまつわりついており、田の神の性格やその祭祀には、なかなか複雑なものがある。
また南九州(薩摩(さつま)、大隅(おおすみ)、日向(ひゅうが)南部)では、杓子(しゃくし)やすりこ木を持った田の神(タノカンサア)の石像を田のほとりや小道などに祀ることで知られる。なかには後ろ姿を陽物に模したものがある。[ 執筆者:田中宣一 ]

★保食神(うけもちのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
日本神話のなかに出てくる食物をつかさどる女神。天照大神(あまてらすおおみかみ)が、月夜見尊(つくよみのみこと)に命じて保食神に食物を求めたところ、この神は口から飯や魚や動物を出して料理をし、さしあげた。すると月夜見尊が汚いと怒ってこの神を殺し、その頭からは牛馬、額から粟(あわ)、眉から蚕、目から稗(ひえ)、腹から稲、陰部から麦と大豆と小豆(あずき)が生まれた(『日本書紀』)。これはハイヌウェレ(死体化生(けしょう))型神話で、『古事記』では大気都比売神(おおげつひめのかみ)の話として伝承されているが、『古事記』の話に比べると一段と複雑になっている。[ 執筆者:守屋俊彦 ]

★ハイヌウェレ(はいぬうぇれ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .Hainuwele
インドネシアの死体化生(けしょう)神話の主人公の名。この神話を研究したイェンゼンは、それにちなんで、死体から作物が発生する形式の神話を「ハイヌウェレ型神話」と命名した。東部インドネシアのセラム島西部に住むウェマーレ人の神話によると、原初、アメタという男が、死んだ猪(いのしし)の牙(きば)についていたココヤシの実を家に持ち帰って植えた。ヤシの花に彼の指の血が滴ると、そこから少女が生じた。これがハイヌウェレ(ウェマーレ語で「椰子(やし)の枝」の意)で、3日で年ごろの娘となった彼女が用便をすると、その排泄(はいせつ)物は中国製の皿や銅鑼(どら)のような財宝であったので、アメタは金持ちになった。ところがハイヌウェレは、9夜続くマロ踊りのとき、彼女の超自然力を不気味に思う人たちによって穴の中に投げ込まれ、生き埋めにされたうえ踏み殺されてしまった。アメタは彼女の死体を掘り出して多くの断片に切り刻み、それを舞踏広場のあちこちに植えた。すると、いままでまだ地上になかったヤムイモとタロイモが生じて、以後彼らの常食物となったという。同様な死体からの作物起源神話は、インドネシア、メラネシア、南アメリカなどに分布し、古代日本の大気都比売神(おおげつひめのかみ)あるいは保食神(うけもちのかみ)が殺されてその死体から作物が発生したという神話も、このハイヌウェレ型神話に入る。この形式は、世界的にはイモ類や果樹の栽培と関連していることも多い。[ 執筆者:大林太良 ]

★大気都比売神(おおげつひめのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
日本神話のなかに出てくる食物をつかさどる女神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこの女神に食物を求めたとき、鼻や口、尻から食べ物を取り出して料理し、差し出した。そのため尊が怒って女神を殺したところ、女神の頭から蚕(かいこ)、目から稲種、耳から粟(あわ)、鼻から小豆(あずき)、陰部から麦、そして尻からは大豆が生まれた(『古事記』)。五穀の起源が語られており、これはハイヌウェレ(死体化生(けしょう))型神話の一種である。なお、粟や麦、小豆などの穀物が生まれたとする基盤には焼き畑耕作があり、この神話は中国南部から伝播(でんぱ)したとも考えられる。『日本書紀』では保食神(うけもちのかみ)の話として扱われている。[ 執筆者:守屋俊彦 ]

★五穀(ごこく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
主食とする穀物のうち、とくに重要な5種をあげて五穀という。日本では、一般に米、ムギ、アワ、キビ、豆をさすが、時代や地域により、その種類や順位は相違する。古くインドではオオムギ、コムギ、米、アズキ、ゴマをさし、中国では麻(おそらくゴマであろう)、ムギ、ヒエ、キビ、豆の5種や、麻、ヒエ、ムギ、米、豆の5種、あるいはキビ、ヒエ、豆、ムギ、米の5種をさした。このほかに六穀(イネ、オオアワ、豆、ムギ、モチキビ、モロコシ)や九穀(ウルチキビ、モチキビ、モチアワ、イネ、麻、ダイズ、アズキ、オオムギ、コムギのほか、諸説あり)という場合もある。[ 執筆者:星川清親 ]

★作神(さくがみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
京都など西日本ではツクリガミといい、正月7日早朝に降(くだ)ってこられるといい、冬には山の神、春から秋にかけて田の神となるという。東北地方ではサクガミは農神(のうがみ)ともいい、3月16日に降り、9月16日に天上するといわれ、山の神ともいっている。また養蚕の神であるオシラサマもこの神と関係深く、同じ時期に昇り降りされるといわれている。作神はエビスサマとか大黒様だといっている土地もあり、岩手県下では農神様は穀物の種を持って降ってこられるといって、早朝に木の葉を焚(た)いて合図の煙をあげる所がある。[ 執筆者:大藤時彦 ]
★養蚕(ようさん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .  http://p.tl/enzu
栽培したクワでカイコを飼育し、繭を生産すること。[ 執筆者:吉武成美 ]

★社日(しゃにち) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
春分、秋分に近い戊(つちのえ)の日をいう。中国では、「社」は土地神を祀(まつ)ったもので、土壇が築かれ、林叢(りんそう)があるという。わが国では地神(じがみ)講の祭日としている所が多く、地神または農神(のうがみ)を祀るものとされる。この日は地をいじることを禁じ農作業を休み、掛軸などを掛けて講員が集まって祭りをする。地神は百姓の神ともいい、春の社日にお降(くだ)りになり、秋の社日に天に帰られるという。この日鍛冶屋(かじや)が鍬(くわ)や鎌(かま)の注文とりにくるという土地もある。信州(長野県)の小県(ちいさがた)郡では、田の神のことをお社日様という。春秋の社日には餅(もち)を搗(つ)いて祝う。福岡県嘉穂(かほ)郡では、社日にシオイといって海岸から砂を持ってきて家の内外にまいて清めをする。山梨県では社日詣(もう)でといい、春の社日に石の鳥居を七つくぐると中風にならないといって、ほうぼうの神社を拝み回る風習がある。京都府中郡では社日参りといって、明け方に東の方の社寺に参り、それから順に西の方へと行き、最後に日の入りを拝むという。[ 執筆者:大藤時彦 ]

★地神(じがみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
「じのかみ」「じちんさま」ともいう。土地の神、百姓の神、農業の神として信じられているが、その神格は複雑である。屋敷神として祀(まつ)られている例も多く、藁宮(わらみや)をつくり毎年新藁で葺(ふ)き替えている。地神講という講で祀っている所が多く、春秋の社日(しゃにち)を祭日としている。宿に集まって地神の掛軸を掛け、御神酒(おみき)、赤飯、そばなどを供えて祀っている。この日は農作業は休みとし、鍛冶屋(かじや)が鍬(くわ)、鎌(かま)などの農具を売りにきた所もあった。地神は農神(のうがみ)として、田の神と同じく去来伝承が語られている。大分県日田(ひた)市地方では2月サジの日(社日)に作神様が天から降(くだ)り、秋のサジの日に天に昇るという。神が降ると暖かくなり、去ると寒くなるといわれている。埼玉県や静岡県には、人が死んで三十三回忌を終えると地神様になる、という先祖の神としての信仰がみられる。鹿児島地方などには地神を同族神のように考えている例がみられる。11月に同族が祭を営んでいる。奈良県吉野郡十津川(とつかわ)村の玉置川(たまいがわ)地区では、家を建てるとき屋敷を守る神として、地の神を山伏に頼んで屋敷の真ん中に封じ込んだという。各地の地神には、堅牢(けんろう)地神とか地神塔とかの文字を彫った石神がみられる。[ 執筆者:大藤時彦 ]

★稲荷(いなり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
京都市伏見(ふしみ)区の東山(ひがしやま)山地南端の地区。渡来人秦(はた)氏が711年(和銅4)に創始したという伏見稲荷大社の鳥居前町である。五穀豊穣(ほうじょう)から商売繁盛の神としての信仰が広がり、正月と2月の初午(はつうま)には数十万の参詣(さんけい)客でにぎわう。素朴な伏見人形は全国の土人形の源流とされる。JR奈良線、京阪電鉄が通じる。[ 執筆者:織田武雄 ]

★えびす(えびす) [ 日本大百科全書(小学館) ] .  http://p.tl/nTzh
【夷・恵比須・戎】
生業を守護し福利をもたらす神として、わが国の民間信仰のなかで広く受け入れられている神霊。語源はさだかではないが、夷、つまり異郷人に由来すると考えられ、来訪神、漂着神的性格が濃厚に観念されている。現在一般にえびすの神体と考えられている烏帽子(えぼし)をかぶりタイと釣り竿(ざお)を担いだ神像によってもうかがえるように、元来は漁民の間で、より広範に信仰されていたものが、しだいに商人や農民の間にも受容されたと考えられる。漁村では多くの地方で、海中から拾った、あるいは浜辺に漂着した丸い石をえびすの御神体と定めて祠(ほこら)に納め、初漁祝いや大漁祈願など各種の漁にかかわる行事で祭りを行う。またクジラ、サメ、イルカなどをえびすとよんだり、遭難者の遺体や漂着物をえびすとよんでこれをけっして粗末には扱わない風習がある。さらに漁師が海に出漁するとき、釣り糸を垂れるとき、海女(あま)が海に潜るときなどに「えびす」と唱え言をすれば漁があると伝えている所も多い。いずれも、魚群は回遊するという性質と、この神霊に観念されている属性とが結び付けられていると考えられる。[ 執筆者:野口武徳 ]
★烏帽子(えぼし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/YD2X

★亥(い) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
十二支の第12番目。「いのしし」「がい」ともいい、十二支獣としてイノシシがあてられる。10月の異称として用いられ、この月の上(じょう)の亥の日は、とくに「亥の日」といい、炉やこたつを開き、「亥の子餅(もち)」(「玄猪(げんちょ)」ともいい、江戸の民間では牡丹(ぼたん)餅)を食べて無病息災や、イノシシの多産にあやかって子孫繁栄を願う風習があるが、これはきたるべき冬に備えての行事とみてよい。時刻としては、今日の午後10時を中心とした前後2時間を「亥の刻」「亥の時」といった。方角としては、北から西へ30度寄った方角をいい、北北西にあたっている。[ 執筆者:宇田敏彦 ]
★丑(うし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
十二支の第2番目。「ちゅう」ともいい、十二支獣としてウシがあてられる。12月の異称として「丑の月」の語がある。夏と寒中の土用の丑の日を単に「丑の日」といい、とくに夏の土用のこの日にはウナギを食べ、寒中には口紅をつけたりする風習がある。時刻としては今日の午前2時を中心とした前後2時間に相当する。「丑の時参り」といって、この時刻に出没する悪鬼や悪神の力を借りて、自己の願いの成就や人を呪咀(じゅそ)したりする俗信があった。また、方角としては北から東へ30度寄った方角をいい、北北東にあたる。[ 執筆者:宇田敏彦 ]
★丑の時参り(うしのときまいり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
人を呪(のろ)うための呪術(じゅじゅつ)の一方法。白衣を身にまとい、ろうそくを鉄輪(かなわ)で頭につけ、丑三つの刻(こく)(午前2時半ごろ)に、社寺などの樹木に呪うべき相手の人形(ひとがた)を取り付け、人に見られないように五寸釘(くぎ)を打ち込んでくる。頭に釘を打つと相手の頭が痛み、手足に打つと手足を病むという。広い意味の類感呪術、手段別では代用呪術に含まれる。人に見られると効果がなくなるという。謡曲の『鉄輪(かなわ)』をはじめ、近世の怪談などにこれを話題にしたものが多い。[ 執筆者:井之口章次 ]
★俗信(ぞくしん) [ 日本大百科全書(小学館) ]   http://p.tl/cIGe

★人間以上(にんげんいじょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .More Than Human
幻想派のSF作家シオドア・スタージョンの代表作。1953年刊。手を触れないで物を動かせる少女、瞬時に姿を消せる双生児、恐るべき記憶力をもつ不良少年、すこしも成長せずにコンピュータのように知識を蓄えていく赤ん坊。この奇妙な5人が25歳の白痴の男の周囲に集まったとき、彼らはゲシュタルト生命を形成して高次な存在となる。ひとりひとりでは中途半端な彼らも、6人がその力を結集すれば、人類を破滅に導くほどの恐ろしい力を発揮できるのだ。彼らは個々の人間であると同時に、単一の生物でもあり、白痴がこの有機体の頭脳であった。超存在の誕生と成長を描くユニークなアメリカのSF。[ 執筆者:厚木 淳 ]

★因果関係(いんがかんけい)[日本大百科全書(小学館)] http://p.tl/hUHE
ある事実と他の事実との間に原因と結果の関係、いいかえれば、ある事実から他の事実が引き起こされたという関係をいう。因果関係の概念は科学や哲学の領域でも論じられるが、法律上では、とくに刑事責任や民事責任など法的責任の範囲を客観的に限定するうえで、因果関係はきわめて重要な役割をもつ。すなわち、ある結果に対して行為者に法的責任を追及するためには、行為と結果との間に因果関係が存在することを要し、これが認められない場合には不可抗力にすぎないから法的責任を問いえない。[ 執筆者:名和鐵郎 ]
★かまど(かまど) [ 日本大百科全書(小学館) ] http://p.tl/JHoj

★十日夜(とおかんや) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
旧暦10月10日に行われる刈上げ行事で、「刈上げ十日」などともいわれる。北関東を中心に甲信越から東北地方南部にかけて広く分布し、西日本の刈上げ行事である亥(い)の子(こ)と対応している。稲の収穫を感謝し、翌年の豊穣(ほうじょう)を祈って餅(もち)やぼた餅を田の神に献じる点では各地共通しているが、長野県のように田からかかしをあげ、内庭に祀(まつ)って供え物をしたり、群馬・埼玉県などのように子供が集団で各家を訪れ、モグラの害を除去しようとの意で藁(わら)鉄砲(藁を束ねたもの)などで地面をたたいて歩くなど、土地ごとの特徴もみられる。十五夜と同じく月に供え物をする所や、大根の年取りと称してダイコン畑に入るのを忌む所もある。田の神送りの日だとし、2月10日前後の田の神降ろしと一対のものとみなしている所も、福島県を中心にしてみられる。また、藁鉄砲打ちの唱え言や月への供え物などから、この行事には畑作祈願の要素も認めうるとされている。[ 執筆者:田中宣一 ]

★十五夜(じゅうごや) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦の毎月15日の満月の夜のことであるが、通例は陰暦8月15日の夜をいう。この夜、月見をしたり、綱引、相撲(すもう)などを行い、年占(としうら)的行事が多い。月の満ち欠けを基準とする太陰暦では、満月はもっともわかりやすい目印であり、生活の折り目のよりどころとなっていた。1月15日の小正月(こしょうがつ)、2月15日の祈念祭、3月15日の梅若ごと、4月15日ごろの神社の春の例大祭、6月15日ごろの祇園会(ぎおんえ)、7月15日の盆、8月15日の月見、11月15日の霜月(しもつき)祭など、1年を通じて月々の満月を目印として祭りを行う例は多い。東北地方には1月の十五夜に、月の光による自分の影を見て1年の吉凶を占う習俗があるが、同じようなことを南西諸島では8月の十五夜に行っている。十五夜がひと月ごとの境であったり、年の境として意識されたことは、祖霊を祀(まつ)ったり、年占をすることからもうかがえることである。[ 執筆者:鎌田久子 ]

★祖霊(それい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
家族および親族の祖先の霊。死者一般の霊としての死霊と区別される。アフリカの狩猟採集民サンでは、死霊は一般に恐れられているが祖霊と区別されない。しかしケニアに住むバントゥー系の民族集団カンバでは、親族の祖霊と、所属のわからない死霊とに分けられ、前者は違反を犯した子孫に災厄をもたらすが、後者はだれにでも理由なしに祟(たた)る。キリスト教や南米のクナ・インディアンでは、祖霊は生者に直接の影響を与えることはないが、生者と引き続いて強い関係を持ち続けると考える社会においては祖先崇拝となる。日本では死者の霊は三十三年忌においてその個性を失いカミとして集合的祖霊に合一する。この祖霊は多くの場合生前の居住地からあまり遠くない山にいて子孫を見守る。カミとなった祖霊は毎年盆と、かつては正月にも、子孫の家を訪問しては供応を受け、そして家の繁栄を守護するのである。このように帰るべき家をもたず、子孫に祭られることがないのが無縁仏である。日本で生者に災厄をもたらす、すなわち祟るのはおもにこうした無縁仏、人間としての生を全うせず横死した者の死霊である。
祖霊の子孫に対する関係は、病気や災いをもたらす懲罰的なものと、恩恵を与える保護的なものに分けられる。中国や日本の祖霊は後者の傾向が強く、アフリカの諸社会の祖霊は前者の傾向が強い。たとえば西アフリカの農耕民タレンシでは、祖霊は親族集団の秩序や存続を脅かすような行為を行った者を病気にしたり、その他の不幸やときには死をも与えると信じられている。そうした場合、子孫は供犠(くぎ)を行って祖先の怒りをなだめるのである。このような祖霊の性格の相違を親族集団の連帯性の強弱によって説明しようとする試みがなされている。集団が単一の原理で構成されている場合(たとえば父系原理)、連帯性は強く祖霊の制裁は必要ではない。それに対し複数の原理が働く場合、葛藤(かっとう)が生じやすく、祖霊の宗教的制裁が必要になると考えられるのである。[ 執筆者:加藤 泰 ]