こんにちは。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回は私の心に強く残ったエピソードをご紹介させていただきます。
それは、庄内からの訪問者についてです。
この方は先日朝日新聞に掲載された私の町興しの記事を読んで興味が湧いて、会いたいと思われたそうです。
朝日新聞の記者さんと、山形期待のホープ氏経由で庄内の方が会いたいという話が舞い降りました。
※不思議なのですが、こういう貴重な機会がはホープ氏が絡むケースが多いです。
では本題です。
当日役場の駐車場で待ち合わせをしていたので、私は駐車場で待っていました。
すると車が一台入ってきたので"あれか?"と思いナンバーを確認したら習志野ナンバーの車だったので、違うな~なんて思っていたら、その車の方が訪問者でした。
あれ?庄内の人じゃなかったの?と思いつつ挨拶をしました。
この疑問はすぐ後に解ることになります。
訪問された方をここではOさんと呼ばせていただきます。
Oさん曰く、私が言った"朝日町の空気が綺麗"という文言に興味が湧いたとの事でした。
「空気神社」という世界に例が無い神社がある位なので、私は胸を張って頷きます。
早速私の家でお話を伺いました。
最初は軽いノリで聞いていたのですが、次の言葉を聞いた時に私の口が半開きになりました。
Oさん「私は26回引っ越ししてるんです。小学生のこの子は六回転校しています。」
わたし「はあ・・・・・。」
ただこの方は、世間でタマにいる引っ越しマニアのような方ではありませんでした。
プライベートに関わる事なのでここでは詳しい内容は記述しませんが、しばらく壮絶な人生体験を聞かされます。
この方は「化学物質過敏症」という診断を北里研究所で受けていました。
シックハウス症候群で昔話題になったので、直ぐに状況が飲み込めたのが幸い。
とにかく引っ越す先々で、最初は大丈夫でも結局アレルギーが出てしまうのだそうです。
話を聞いてるだけで、気の毒に感じます。
なので私が新聞で発信した"朝日町は空気が綺麗"という言葉に敏感に反応したのでした。
私が特に胸を痛めたのが、小学生のお子さんの表情と目の光です。
お子さんも化学物質過敏症なのですが、礼儀正しくて、この年頃の子にしてはおとなしい。
どこか寂しそうで、諦めというか哀しいと表現したらよいのか、あまり見ないタイプの小学生でした。
アレルギー故、同級生の他の子と同じ事が出来ないからでしょうか?
転校先で仲良くなったと思ったら、直ぐに別の学校にすぐ移らなければならなかった辛さが原因でしょうか?
上記の結果、自分は普通の人とは違うんだという諦めなのでしょうか?
それは経験したものでは分からないという悲しさを私に感じさせるのに、十分なものでした。
綺麗な町づくりをしようと誓った私は、研究会のメンツにかけてでもこのような苦しみを持つ人の力にならなければいけないと思いました。
でも、どうやって?
それはこれから考えます。
次回の「世界唯一の神社ー「空気神社」 その2」の記事に続きます。
お読みいただきありがとうございました。