1分で読めるショートショート&ショートストーリー 『エキストラ人生』 -1033ページ目

優しい嘘

タイムカードを打刻ミスした時、
「私が何とかしといてあげる」と言って、同僚は許してくれた。

 

請求書に0をひとつ多くつけて、先方に怒鳴られた時は、
上司が「大丈夫だって、俺もやったし」と明るくかばってくれた。

 

始末書を何枚も書いて、残業を頼まざるを得なかった時も、
「僕がやります」。
2年下の後輩は、ニッコリ笑って承諾してくれた。

 

 

あの笑顔や明るさを、
私は、みんなの優しさだと長い間勘違いしていた。

 

 

彼らは、私に「あなたは、仕事ができないね」と言えなかっただけなのに。

 

 

人は、愛情の持てない者に対しては、
なかなか本音を語ろうとはしないのだ。

 

 

誰も、そんな嫌な役目は買いたがらない。

 

そのひずみ、馴れ合いからは、
結局何の結果も生まれないということに、きっと、誰もがどこかで気づいていながら。

 

 

「ちょっとね、お客がどうしてもうるさくてさ」

 

 

その日、部長は、会議室に呼び出した私に
なかなか目を合わそうとはしてくれなかった。

 

 

いくら鈍感な私でも、おかしいと気づく。

 

 

クビ?

 

 

「…解雇、ということですかね」

 

しばし、沈黙が流れる。

 

「まぁ、そういうことだ」

 

 

まわりくどい。

 

私は、その話を2秒で承諾した。

 

いずれこの日がくることは、前々から覚悟できていたから。

 

 

私が大手の取引先担当者を激怒させて、
いよいよクビになるという噂は、電光石火のごとくフロア中に広がった。

 

 

しかし、誰一人、
私に直接、真意を確かめてくる人はいない。

 

 

最後の最後、送別会の席でも、
みんなは、いつもと同じようによそよそしく、そして奇妙なまでに優しかった。

 

 

私は、自分に向けられたこの空騒ぎがバカらしくなり、
主役というのに2次会にも立ち寄らず、一人で暮らすマンションへと帰ってきてしまった。

 

 

ドアを開けると、そこには半畳もない玄関。

 

 

その先へ続く6畳間への廊下が、
今日は、永遠に続く闇のように感じられる。

 

 

私は、その闇めがけて花束を放り投げ、
「みんなのバカヤロー」と大声で叫んだ。

 

止めどなく涙があふれ出てくる。

 

靴と服を全部脱ぎ、それも投げ捨てると、
泣きじゃくりながらバスルームへ向かった。

 

 

3年分しみこんだ“落ちこぼれ”の垢を、シャワーでしっかり流し落とす。

 

不思議なもので、シャワーを浴びると、
まだ気持ちも幾分か落ち着いてきた。

 

廊下の電気をつけてみる。

 

 

ふと、服と花が散乱していている床の上に、
白いカードを見つけた。

 

 

みんなからの寄せ書きだった。

 

 

「おつかれさまでした」
「笑顔をありがとうございます」
「いつも、勇気をありがとう」

 

 

通り一辺倒の、おもしろくも何ともない言葉。
私は、笑顔も勇気も、誰にも与えた覚えはないのに。

 

 

年中ブスッとしていて、本当にブスで、
いつも不機嫌な社員だったはずなのに。

 

 

嘘ってなんだろう。
優しさってなんだろう。

 

私は、バスタオル姿のまま考える。

 

嘘をつくことは罪だと、小さな頃に教えられた。

 

 

けれど、大人になってからは、
“人を傷つけない嘘”ならついていいという局面が多すぎて怖くなる。

 

 

バレたら、そっちのほうが、よけい傷つくのに。

 

 

寄せ書きのマニュアルのような文を順々に追っていた私は、
やがて、一つのメッセージに釘付けになった。

 

 

「尻拭い、とても大変でした」。

 

 

まったく話をしなかった、同じ事務の中平さんだ。
私とは正反対の、明るくて派手で人気のあるタイプ。

 

 

「尻拭い」か。

 

いや、そう思われているとは感じてはいたけれど、
活字にされると、やはりインパクトがある。

 

これが、私が長い間求めつづけた本音ということだろうか。

 

 

…本音も、けっこう痛いじゃないか。

 

 

私は、水差しをクローゼットから取り出し、
その中に花を挿した。

 

 

ガーベラ、バラ、マーガレット。
赤やピンク、黄色。

 

 

色とりどりで、どれもキレイ。
でも、互いに主張しあっていて何かが物足りない。

 

 

私はその中に、何本かのカスミソウを入れてみた。

 

放り投げた衝撃で、茎が何本も折れている。

 

それでも、カスミソウを入れることによって、
水差しの花たちの中に、絶妙な配色バランスが生まれた。

 

 

そうか、他人の嘘も本音も、どうでもいいんだ。
「それぞれの役割がある」ということなんだ。

 

 

私は、バスタオル姿のまま、
いつまでもいつまでも、ただ、花に見入っていた。