生活指導運動実践史 7 | 「しょう」のブログ(2)

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 「生活指導」という言葉は戦前、綴方教師の峰地光重がはじめて用いたといわれますが、「生活そのもの(それを綴り意識すること)が子どもたちを成長させる」というイメージです。当面、「生活指導」や「生活綴方」を中心に書いていきたいと思います。

9、18歳を市民に



さて、「私学における学校づくりと生活指導運動」の中で久保田は「権利としての自治」を発展させる観点から「禁止踏み切りを通学路にかえる」取り組みを紹介する。


 正式には駅から学校まで15分かかる通学路。禁止されている近道を利用すると8分という現実。幅90センチの作業道で、加えてオイルターミナルの入れ替え線が交差する禁止踏み切り危険度が高いためJR関係(当時)から厳重に禁止され続けてきた踏み切り。しかし、現実には毎朝多くの生徒が通行し、駅とのトラブルが絶えない。


「西高生通るべからず」の駅側の立看板に対して生徒会は全校生をまとめ、踏み切り通行の自主的ルールを確立し、それを条件に駅側と交渉を重ねた。そして、自分たちが踏み切り指導を徹底させることを条件にJR側に踏み切り通過を認めさせ、さらに学校・PTAと共に交渉を発展させて、将来の“跨線橋”建設と駅前開発、通学路整備の展望までつなげた取り組みは、全校集団が「世界に向かい世界を変えた」自治本来の闘いとして重要であった。


注目されるのは、このような取り組みを通して「社会は変えられる」と確信を持って発言する高校生が登場することである。まさに、「18歳を市民にする」すぐれた実践だと言える。


 
ただ、この実践で特に私が強調したいのは、このような事業によって不益を受ける少数者を視野に入れた取り組みである。上田西高生の「自由通路(跨線橋)をつくるなら(従来の)踏み切りは閉鎖する」、これがしなの鉄道の原則だったという。自由通路は上田西高生にとっては確かに便利だが、踏み切り閉鎖によって、少数ではあっても不便になる地元の既得権を持つ人々(例えば、足の不自由な人たちや、毎日一輪車を押して踏切を渡っている人たち)が存在するのである。


そのような現実にどう対応するのがいいのか、真剣に議論した生徒たちは、「エレベーターを設置して跨線橋に上り下りできる施設をつくる」ことを提案することになる。(注4)


 
このような討議を通じて生徒たちは、「自分たちにとっての利益」をこえて、地域に住む「少数者」も含めた「公共善」とは何か(真の「公共性」とは何か)、を追求していくことになるのである。まさに、素晴らしい政治教育の実践ではないか。それと同時に、この実践を主導した久保田が、「原則的な学級集団づくり」・「学年・学校集団づくり」を大切にする実践家であったことは、ここで強調しておきたい。


 
以上、多くの紙数を用いて「生活指導運動の歴史と実践」を振り返るとともに、少数者(とりわけ「生きづらさ」を抱えた個人)へのこだわりこそが、運動と実践における重要な関心であり続けたことを見てきた。戦前の「生活綴り方教育」から21世紀にまたがる「私学における学校づくりと生活指導運動」に至るまで、「生きづらさ」に苦しむ少数者を決して排除しない教育の追求こそが、生活指導運動の一貫した志だったのである。


「誰も排除されることのない対等平等な関係」を形成する集団の教育力に着目したこのような生活指導運動の歴史は、現在において再評価されていく必然性があると考える。 

  このように私自身、これまでの歴史の中で生活指導運動の生み出した実践に学ぶ意義はいくら強調してもしすぎることはないと考えている。しかしながら最後に、これまでの実践と運動に対する重大な疑問を提示しておかなければならない。

 

先に引用した通り、「子どもたちがみずから学校や学級の現状を変革する取り組みをとおして人間的に成長するよう促す」(注5)という生活指導のねらいはいいとしても、子どもたちの取り組みや「集団づくり」実践が、本当に学校の現状を変革するものになってきたのかという疑問である。

例えば、①職員会議等における民主的な議論をとおしてすすめる「学校づくり」、「教職員集団づくり」。久保田報告「私学における学校づくりと生活指導運動」においても、現場における民主的で徹底した議論が「学校づくり」につながっていった事実は、十分に見いだせる。(注6)

だが、多くの現場において、生徒の日常的な「活動」や「実態」と呼応しながら、職員一人ひとりの姿勢を問い、職員集団さらには学校を変革する「学校づくり」がしっかり進められてきたのか、と言えば否といわなければならない。 

 また、②高生研運動の中から生み出されていった「教育としての自治から権利としての自治へ」という提起を代表する「学校協議会」実践なども、結局は教職員集団で合意できる範囲内という限定がつきまとっており、学校体制や教職員集団の在り方に関する根本的な問い直しにつながったかどうか、という点についてはやはり疑わしい。


 
それでは、学校のありかたを教職員集団として根本から変革していくような実践はほとんど存在しないのだろうか。実は、近年の学校づくり実践の中にも極めて興味深い報告がある。第47回全国大会基調発題「〈弱さ〉で支え合う関係を学校に」(注で問題提起の柱となった礒山報告「授業公開がつくる同僚性」(注8)である。 

 「ベテランも若手もみんな授業で困っていた。(・・・)教師同士がつながりあう(つながりあわねばならない)必然性があった」(注9)からもうかがえるように、これは、「一人ひとりが困っている現実」、「一人ひとりの〈弱さ〉」から出発して進めていく「学校づくり」だった。従来のそれ(勤務年数の長いベテランが強い主導性を発揮して進める実践)とは異なる「新しい学校づくり」の展望を垣間見せるものであったといえる。


 
それでは、教職員だけでなく生徒自身の「生きづらさ」を軸に進めていく「学校づくり」の可能性はないのだろうか。基調本体でも概要報告されている早川実践、「特別支援」からはじめる学級・学校づくり実践の中に、「新しい学校づくり」(教職員個々人の姿勢を問うと同時に学校の在り方を問い直していく取り組み)の展望が見いだせる。

 

注1:『高校生活指導』153号 高校生が地域とともに取り組む「夢の駅前公園計画」D-pro(久保田武嗣) 

注2:高生研第38回全国大会紀要「私学における学校づくりと生活指導運動」( 同 )

注3:『生活指導辞典』72頁 生活指導と道徳教育、政治教育 

注4:この部分は、『高校生活指導』153号の記録とともに、報告者本人から取り組み・議論の状況を聞き取ってまとめたものである。

注5:『生活指導辞典』74頁 

注6:久保田の勤務校で生徒が起こした「大事件」を契機に行われた議論、「教職員の統一した指導が生徒の心に届いていない現実」、「生徒たちにとってどのような指導が必要なのか」に関する徹底した議論が行われたほか、「○○さんに学ぶ」というテーマの緩やかな学習会の組織等「久保田報告」から学べることは数くある。しかしながら、同様の学校づくり実践が、なかなか広がっていかなかったことも事実である。

注7:『高校生活指導』181

注8注9:『高校生活指導』177号