前回、無着成恭が『山びこ学校』のあとがきで報告していた「実践」を紹介しましたが、綴方教育というのはいうまでもなく、戦前・戦中から戦後へと引き継がれていったものです。
「1930年代の生活綴方運動は『生活学』と新しい『知』の体系を提案した」という中内敏夫は、著書『「綴方教師」の誕生』のなかで『綴方生活』第二次同人宣言や綴方連盟に属する教師の発言を紹介しています。
『綴方生活』第二次同人宣言より
「『綴方生活』は教育における「生活」の重要性を主張する。生活重視は実に吾等のスローガンである。」(126頁)
北海道綴方連盟のある教師の発言
「生活する力」・・・今の入学試験のための実力や、昔の優等生主義の教育のいう力でなく、生活の肥料としての知性や感情の力です。・・・複雑で多岐である人間生活の各場合に最も適切な解釈をし、決断し、意思し行動する「生活力」(348頁)
(上記の)「生活力」これは、市井からの素朴な要求としてたえず姿を現わすようになっていた「学力よりも実力」というときの「実力」の概念に近い。・・・東北の綴方教師たちがその文章表現指導という方法によって行おうとしていたことは、この要求をとりあげ、発展させようとしたものであったことになる。(349頁)
さて、前回紹介した無着学級の子どもたちは、仲間の綴方などを通して生活の現実(例えば「百姓が割り損である現実」)に目を向け、それをどのように確認したり考えていくか、さらにはそのような現実とどのように向き合っていくか、ということを真剣に考えながら議論していきます。
その過程で、「本当に百姓は割り損なのかどうか」が問題になり、「俺たちは炭の本当のねだんを計算するから、お前たちは繭のねだんを計算してみろ」、「米一俵はほんとうはいくらぐらいだろう」、「葉煙草はどうか」等々、算数の力を活用しながら調べ、計算し、確認していきます。
また、割損だとすればその根本的な理由は何か、ということで一人の生徒は社会科の教科書にある記述をとりあげ、百姓が押さえつけられてきた背景にある人間関係(「社会関係」)に注目しています。
このように、一つの現実を理解するのにも、当然さまざまな知識や知恵を動員してくる必要があるわけです。生活を題材にした無着学級の議論の中には、くりかえしそのような形で「基礎的な力を総合する」場面が登場していることが想像できますね。
さて中内敏夫は『教室をひらく』のなかで、「1930年代の生活綴方運動は『生活学』と新しい『知』の体系を提案した」ことに触れたのち、1960~70年代の「公害教育」運動が「新しい知の体系とそれもりこめる(総合的な)新教科を要求」し、学校体系全体にわたる目標内容論、学力モデル、指導過程の再編成につながっていったことを指摘しています。
新学習指導要領が「住民運動と教育課程」に学ぶ→既成の知と体系では解ききれず、既成の教科と学校知の枠組みに入りきらない新しい知の体系・総合科目を求めた、というわけです。
『教室をひらく』第4章、「目標づくりの組織論」で詳論されており、拙ブログ記事「学力と目標の再編成」
にごく概略をまとめておきました。
ある程度詳しい要約はこちらです(⇒第4章「目標づくりの組織論」
)が、ぜひそのものをお読みいただければ幸いです。
教育問題に関する特集も含めて
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(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)