親友の見舞い | 上海大学シニア留学日記~その後

親友の見舞い

中学校時代からの親友Aさんは昨年大手術をして、

退院してから自宅で長く療養を続けてきたが、その彼から

近くへ来たら立ち寄ってくれとメールが入った。


やっと、面会できる状態になったと言うことだ。


中学校時代のもう一人の親友Bさんと2時半に新杉田で

待ち合わて、シーサイドラインに乗り横浜市金沢区の

ご自宅に見舞いに行く。


会うと、幾分痩せたようだが、想像していた以上に元気な

姿に回復していたので安心する。

見舞いに来るまでは、ベットで寝ているものだと想像して

いたが、ちゃんとテーブルで応対してくれた。


中学校時代の懐かしい思い出話に花が咲いた。

当時、彼は柔道部、Bさんは学年でも5指に入るほど身長

があり、伊勢佐木町や黄金町が近く、柄の悪い公立中学校

だったが、いつも3人で行動していた私は、学内で

脅されたり殴られたりしたことはなかった。


もうこの三人は55年の付き合いになる。


私が太ったことから、歩かないとだめだと言う話になった

ので、実は左足の踵が痛くて40分歩くのが精一杯だと

靴下を下げ、テーピングした足を見せると、私の浮腫んだ

足を見て、かつて心臓手術を受けたことがあるAさんが

、医者に診てもらえと熱心に勧める。


見舞いに行った先の病人から、逆に私の体を心配され

たので、今週荏原病院に行った時、必ず足を見せて先生に

診て貰うことを約束する。


久し振りに三人で会ったので話はいつまでも尽きないの

だが、2時間も過ぎたのでAさんの体に障ってもいけない

ので、またお邪魔することを約束して、お暇する。


帰り、Bさんと関内で降り、「さくら水産」に入る。

Bさんは地方公務員を58歳で退職し、それから上海大学に

留学した。


私はBさんが上海大学に留学したことがきっかけで、私も

彼に倣って上海に留学したのだ。


2年間の留学で若い仲間が一杯出来た。

上海でブログを書くことも覚えた。

退職して9年近くが経過したが、これまで時間を持て余す

ということは全く無かった。


この定年後の充実した生活の最初のきっかけをBさんが

作ってくれたのだ。


持つべきは親友だ。

だって、家内よりも長い付き合いなのだ。



Bさんも酒が強い。

ホッピーを飲んだが、彼は余り薄めない。

結局10時過ぎまで飲んでしまい、酒は3時間以内という

決まりを破ってしまった。


カメラを持って出たのだが、今日は写真を撮るのも忘れて

しまった。



    
(夜に撮った我家の庭に咲いたカキツバタorアヤメ)