昭和は遠くなりにけり
私の今年のゴールデンウイークは9日間の休日であった。
従って、今日は10日振りの出勤となる。
この間、ドイツ人の部下は社長のお供でヨーロッパに
出張中だし、もう一人の日本人の部下は、出発前に
社長から言われた宿題をこなすのに必死だった。
事実、社長からは旅先の私の携帯にも催促の電話が
入って来たくらいだ。
9日間、会社に来ないとさすがにメールが何十本も
溜まっていたが、
それらを処理する以外にさして仕事が無かった。
帰り、「鳥升」を覗くと、やっとカウンターが空いて
いて入ることが出来た。
「鳥升」で飲むのは、多分、20日振りくらいだ。
焼酎の水割りを頼み、まぐろの刺身、冷やしトマト、
ナンコツ串2本を注文。
右隣の二人の会話が耳に入ってくる。
話しからすると、二人は今日初めてカウンターで
出会って話している。
一人が昭和21年生まれ、私より1歳上、終戦直後
に生まれたらしい。
もう一人は昭和24年生まれで、二人とも中央線
三鷹あたりで幼少期を過ごしたらしい。
アメリカ軍が中央線に沿って執拗に爆撃を加えた話や
防空壕に避難した話をしているが、勿論、それは後に
親から聞かされた話を語っているのだ。
だけど、昭和は遠くなりにけりで、近頃、防空壕など
の言葉に出会うことも無いので、えらく新鮮に聞こえた。
今日は焼酎の水割りを3杯飲んで帰る。