地震・・・体験した一部始終 | それくらいの、ふんわり感

それくらいの、ふんわり感

なんでもない一日でも、たいせつな一日。

3月11日午後2時46分ごろ。

出張先の支店の会議室にいました。

午前中までにヒアリングを終えて、
結果のとりまとめ、一緒に出張に来てる本店のメンバー3名とすり合わせも終わり、
支店への講評の時間を待ちながら、ひと息ついてた時のことです。

地震が起きました。

かなり大きな揺れでした。

収まる気配がなく、「これはヤバい」と言って
打ち合わせ机の下にもぐりました。

かなり大きな揺れがとても長く続きました。
机が動かないように、机の脚をけんめいに押さえました。
いつ終わるかわからないい大きな揺れに、生きた心地はしませんでした。

数分は揺れていたでしょうか。

なんとかおさまったので、自分たちを含めて
支店の人たちが無事であることを確認して、支店がある建物の外へ出ることにしました。

階段の電気は消えており、暗い中、手すりを手探りで握りながら
階段を下りました。

結構作りはしっかりしてる建物だと思いましたが、
壁がはげてたり、天井が一部落ちてたりするところがありました。

支店の人たちも外へ出てきてて、人が揃っているか確認していました。

余震が断続的に続いていて、建物の窓ガラスが揺れているのが見えました。

電話もメールも全く通じませんでした。

遠くの方で爆発音みたいな音がして、ガソリンのようなにおいがしてきました。

この日に帰る予定でしたが、おそらく新幹線が使えないだろうということで、
本店のメンバーの一人が、宿を確保しに行きました。

余震におびえながら建物の外にいたら、雪が降ってきて
みんな寒さに震えました。

なんとか落ち着いたかな、というところで
少しずつ建物の中に人が戻っていき、
我々は、荷物を持って駅前へ行くことにしました。

支店の親切な方が、車で送ってくれました。
途中で、宿を確保しに行った本店のメンバーを見つけました。

電話が通じないので、ヒッチハイクを繰り返して
駅前までホテルを確保しに行ってくれたそうです。

ホテルは、ほとんどが営業を停止してました。

その中でたった一つ、営業をしてるホテルがありました。
前日も泊まった、福島駅前にある老舗のホテル辰巳屋です。

部屋は確保できたものの、部屋の安全確認ができるまでは入れてもらえません。

1階にブライダル予約の小部屋があり、そこにしばらくいることにしました。
ロビーも開放されていて、そこに座りこんでる人もいました。

僕と、本店のメンバー1人とで食料を調達しに行きました。

駅のNEWDAYSと、ホテルの近くのミニストップは営業停止してました。
商店街のセブンイレブンの前に、長蛇の列ができていました。

店の中は停電になっていて、真っ暗でした。
店員の人が、店先に食料などを並べて、並んでる人に順番に売ってくれました。

こういうとき、混乱や暴動が起きるわけでもなく、
ちゃんとみんな順番を守ってました。

そしてこんな状況の中、食料を求めてくる人たちのために
営業をしてくれる、セブンイレブンの方たちには頭が下がる思いがしました。

電子レンジを使わないで食べられるものやカロリーメイト、お茶などを買って
ホテルに戻りました。

ホテルの中も停電で、非常電源で少しの灯りはついてましたが、
もちろん空調は止まっています。

ホテルのスタッフが、毛布を貸し出ししてくれました。
みんな毛布にくるまって、部屋に座り込みました。

日も落ちて、あたりはどんどん暗くなっていきます。
毛布をかぶってても、体の芯から冷えてきます。

本店から来たメンバーは、みんな奥さんやこどもがいる、
家族がいる方たちです。
安否を確認したくて、何度電話をかけても、通じないようでした。

やがて、電気がつきました。暖房も入りました。
電気が通じるということが、どれだけありがたいことなのかを実感しました。

妹や両親に送ったメールの返事が返ってきました。
みんな無事でした。

両親が住んでる千葉の家は停電しているようでしたが、
無事ということでほっとしました。

本店のメンバーも、少しずつ家族と連絡が取れ始めたようでした。
みんな無事でほっとしていました。

買い込んできたご飯をちょっと食べたり、いろんな人にメールしたり・・・
そして横になって少し寝たりしました。

余震はずっと続いてました。
揺れるたびにとても怖かったです。

ホテルのスタッフが、パンを配ってくれました。
こんなにパンが美味しいと思ったことはありませんでした。
本当に、ここのホテル、そしてスタッフには感謝したいと思います。

夜も遅くなったころ、ようやく部屋の安全確認ができたということで、
部屋へ向かいました。

シングルの部屋2つとツインの部屋1つ。

僕は本店のメンバーの1人とツインの部屋で同室になりました。

部屋は9階でしたが、やはり余震のたびにかなり揺れました。
「ミシッ」という嫌な音がしたりしました。

お風呂にも入ったのですが、もしこのタイミングで大地震が来たら・・・と思うと、
かなりおっかなびっくりでした。

テレビを見ると、とても衝撃的な映像ばかりでした。

津波に家屋がまるごと飲み込まれる映像、濁流の上を車がたくさん浮いている映像、
ずっと燃えて火がおさまらない気仙沼、
どんどん数が増えていく死者や行方不明者の数。

ショッキングな映像や情報に、この地震がいかに被害が大きいものか
実感させられました。


ひと晩眠って、翌日の朝
またみんなで集まって、今後どうするかを話し合いました。

新幹線は終日運休が発表されていました。

辰巳屋はとりあえずもう一泊は泊まれるということでしたが、
断水しており、ホテルの貯水庫の水も残りわずかで、
トイレを流す以外には使えないと言われました。

そして、翌日以降の予約は受け付けないとのことでした。

食料を調達しがてら、状況確認しにいこうということになり、
駅に行ったものの、鉄道は終日運行を停止してました。

高速道路も閉鎖中なので高速バスも動かず、福島空港も全然運休。
レンタカーに行ってみたら、どこにどの車があるか分からないという状況で、
新規の貸し出しは休止してました。

コンビニを探して歩きまわったのですが、
開いてるコンビニは全く見当たりませんでした。

そこで役に立ったのがiphoneでした。

遠くに見える建物がスーパーかどうかiphoneで調べたところ、
食料品があるスーパーだったので、そこに行ってみたら
食料品コーナーのみ開店してました。

みんなでパンやカップめん、飲み物等を買い込みました。
とりあえず1~2日分の食料は確保できました。

ホテルに戻り、翌日以降の宿のことを考えました。

断水してなくて、営業してる地域までタクシーで行くしかない、
ということになりました。

福島から、郡山まで・・・、白河まで・・・?
行けるのなら宇都宮まで?

でも高速は使えないですし、一般道路を通って行くしかありません。
どれほど渋滞してるのか見当もつきませんし、どこかで寸断されてたらアウトです。

とりあえず新白河のホテルを仮押さえして、
駅前のタクシーの運転手に、どのあたりまで行けそうか確認することになりました。

すると、なんと宇都宮まで行けるということでした。

そのとき、昼の12時半くらいでした。
行けるんだったら、今日行っちゃわないか?ということになりました。

部屋に戻り、急いで宇都宮のホテルを押さえて、
荷物をまとめて(買い出しした食料品を含めて)、辰巳屋ホテルの今夜の部屋をキャンセルして、
タクシーへ向かいました。

さっき話を聞いた運転手はもう行ってしまったので、
宇都宮まで行ってくれるタクシーを探しましたが、なかなか見当たりません。

確かに、こんな状況で福島から宇都宮まで行くのは相当に大変です。
行って戻ってこないといけないわけですから・・・

探し回ってたら、一人の運転手さんが手を挙げてくれました。
本当に助かりました。

高速に乗れば、福島から宇都宮までは3時間程度。
でも一般道路では、どれくらいかかるのか見通しはありません。

道を走っていくと、いろいろなところで地震の爪痕が見れました。
はがれ落ちてる屋根瓦、崩れ落ちてる塀、

そして道路には地割れがたくさんありました。

道路の一部分が隆起してたり。そこを通る時はみんな徐行しながら通ってました。
橋のつなぎ目の部分が一番顕著でした。

でも、ところどころ
道路の地割れなどを工事で応急処置した跡が見られました。

昨日の地震で、今日はもう応急処置が済んでて・・・
このスピード感にはびっくりです。
でもそのおかげでこうやって走れてるわけですから、本当にありがたいことです。

途中、コンビニで休憩しながら進んでいきます。

二本松、郡山、須賀川、白河・・・と
そしてようやく栃木県に入って、那須塩原へ・・・

ずっと座ってるので、かなり腰が痛くなりました。

途中でiphoneで鉄道運行状況を確認したところ、
宇都宮~上野間の宇都宮線が復旧したことが分かりました。

宇都宮までいければ、この日中に帰れそうということで
希望の光が見えてきました。

iphoneは、災害時に結構役に立つと思いました。
電話やメールも、一般の携帯よりはつながりやすいようです。

画面が小さいですが、インターネットが使えるので
情報を入手するのにもとても便利です。
GPSがあるので車のナビもできます。

すっかり暗くなって、なんとか宇都宮が少しずつ近づいてきて・・・
そして、ようやく宇都宮にたどりつけました。

福島から約6時間の行程でした。

料金は5万円ちょっとでした。
経費で落ちるかどうか不明ですが、4人で割れば1万円数千円。

動けないままホテル暮らしを続けることを考えたら、安上がりだったのかもしれません。

宇都宮線は確かに動いてて、我々は乗ることができました。
各駅停車で、時間調整でしょっちゅう止まりましたが、
それでもその日中に帰れるかと思うと、あとひとがんばりという気になれます。

みんなの顔は疲れ切ってました。僕もそんな顔をしてたと思います。
余震が怖くて、前の晩はみんなあまりよく眠れてません。

大宮について、僕はみんなと別れて
埼京線に乗り換えました。

最寄駅について、ようやく自宅にたどり着きました。

本棚の本が落ちてたり、洗面所やトイレの
棚の上のものがかなり落ちてる状態でしたが、やっぱり家に帰るとほっとします。

この日はほとんど物を食べてなかったので、
スーパーで買い込んだまま結局食べなかった食料を食べて、
ベッドに入ったら、すぐ寝てしまいました。



振り返ってみて、いろいろ考えることがあります。


ホテルまで送ってくれた支店の人、
停電の中食料を売ってくれたコンビニ、
いろいろと親切に対応してくれたホテルのスタッフ、
嫌な顔せず宇都宮まで行ってくれた運転手さん・・・

いろいろ親切な方たちがいてくれたおかげで、助けられた部分はとても大きいです。

それに比べて、僕なんかは自分のことでいっぱいいっぱいで、
困ってる他の人たちのために、何もできてなかったと思いました。


そして、ブログやメールを通して、いろいろな人に励まされました。

こういうときに必要なのは情報であり、励ましの言葉だと思います。
本当にありがたく思っています。


災害に遭った人を助けるのは、食料などの物資や人手、
医療やレスキュー等の知識や技術だと思いますが、

その力の源になるのは、そして人の心を救うのは、
やはり人の心だと思います。

人の心のやさしさやあたたかさ・・・
こういう時こそ、ありがたさが心に沁みますね。



僕も・・・何でもいいから、今からでも自分にできることはないかと思って、
池袋の献血ルームに行ってみました。

前の会社時代に、会社に赤十字が来たときに献血して以来なので、
3年半ぶりでした。

行って話を聞いてみたら、
今回のことで緊急的に血液が必要だというわけではないようです。

でも今回のことに関わらず、安定的に血液は必要だということらしいので、
今後も折を見て、献血をしていこうと思っています。



まだ余震も続いてますし、福島の原発の状況もどうなるかわかりません。
被害の全容はとても大きなものになりそうです。

救助を待ってる方もたくさんいますし、これから避難所生活が続く人もたくさんいると思います。
被災された方のご無事を、そして一刻も早く、ゆっくり安心して心休める日が来るように
心から祈っています。



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