思い悩む12星座に贈る、
まーさからの激励メッセージ
「元気を出して 蠍座」後編
※これは前・後編でひとつのおてがみです。まだの人は先に前編を読んで
はい、前回の続きです。
「周囲なり運命が時に蠍座の前にいろいろなおぜん立てをしても、
時に強固に(言い過ぎではない)それを拒むサソリンへの疑問」を提示して終わったのでしたが。
その後私は考えてみました。
多分、蠍座は人生の主従関係を間違えているんじゃないかな…と(それが原因だ!)
つまりは、「あなたの人生の主人はあなたである」ということを、どこかきちんと受け止めていない。
ひょっとして、こういうことじゃないのかな?と思います。
え~~?さすがにそんなことはないでしょう?(蠍座はそんな弱気な人じゃないよ)と思う人もおられると思いますが…。
あなたは多分サソリンじゃないでしょ?(笑)
いえ、違うんです。ちょっとこう考えてみてください。
たとえば、自然と人間の関係性みたいなものを例にとってみると、わかりやすいかなと思うのですが。
この世では、人間はいろいろ考え、工夫し、一見「この世界を支配しているのは人間だ!」的風情さえ醸し出している場合もありますが(そう勘違いしている人もまだまだいそうですが)。
実際のところ、違いますよね?
人間は、自然の中で“生かされている”存在の中の、いっこです。
そういう点で、あらゆるほかの動植物、生き物と全く一緒。
その世界でどれだけ猛威を振るおうが(敢えて猛威と言おう)、偉そうにしていようが、
人間対自然は、そういう関係です。
その根拠を言い出すと、まあいろいろ諸説あるように思いますが、
一番わかりやすいのは「生まれてくることも、死ぬことも、基本的には自分の好き勝手にできない」
これが一番ですかね。
生み出されてこの世に現れ、命のある限り活かされ、またその時が来たら地に還る。
そういう点で、人間は自然の世界に対し、宇宙に対し、完全に受け身なのですよね。
で、受け身であること=「その世界においての“主人”ではない」と考えると、
もしくは逆に「主人とは、その場で、その生命体を自分の自由にできるもの」と考えるなら、
人間は、この自然界において、主人たり得ないことになります。
これはこれで、まああっているかなという気もします。
で、多分、蠍座のようなタイプは(私が思うに、12星座の中でも動物的&原始的な欲求が強い人)は、こっちの本能が強いのではないかなと。
さっきのあれは、そういう意味です。
だから、そもそも生きる中で「自分が自分を、自分の人生を、自由にできるなんて思っていない」みたいな本能が、他の人よりも強いのかもしれない。
つまり、
「自分が自分でものを選び、選択して人生を作り上げていくことに、慣れていない」。
これなら非常に納得できます。
人が今以上に文明を持たず、様々な災害や病に対し無力であったとき、
こういう世界観、人生観はとても有効でした。
ある種の悟り、あきらめ…というか、諦観の感情かな?
「自分たちは生かされている存在だから、今与えられたもののことだけ考えればいい。
そこに対しあれがいい、これはいやだみたいな考えを持つのは無駄だし、時に自分を苦しめるだけ。余分な欲を持つのは、命を縮めるかもしれないだけだ」
ってね。
確かに、この世に生命を脅かす危険が多いほど、本来は冒険をしないほうがいいのです。
何が起こるかわからない度合いが高いほど、死ぬ危険は増えるのだもの。
ならば環境は変えないほうがいいし、知らないものは食べないほうがいいし、知らない人間とも話さないほうがいいです。もちろんです。
「知らない危険より、知っている困難」
こっちを選択する方が、すでに対処する方法に気づいている分だけ、いくら苦しかろうと多少安全ですから。
うむ、言えばいうほど核心をついている気がする(笑)。
確かにそうなの。これは正しい生存の原理です。
こういう生き抜き方も、この世界にはあります!
これが無意識に身についた、蠍座古来の作戦なのかもしれませんね。
が!
そう、蠍座の性格を掘り下げると、毎回「今と全く違う文化圏、時代背景だったらどうだろう?」という考察にたどり着く私です。
で、そこでだったら、蠍座は全く違う評価をされる人だったろうと感じ、「すべての性格、性質、才能、気質は、それぞれの背景によってまるで違う価値を持つ」のだなと、驚きを新たにするのでした。
これ、初めて指摘する内容ではないのですが、
やはり蠍座の基本的な性格は、今のこの込み入った、情報が発達して、人間がわんさかいて、
その合間をかいくぐるように暮らすこの世界、
昔のような災害や獣、わかりやすく残酷で厳しい試練はなくなったけれど、
逆にもっとソフトに、気づかぬところで人を侵食し、エネルギーを奪い、人を迷わせる砂漠のような現代には、あまりあっていないのだなと。
今回また認識いたしました。
だからこそ、改めて蠍座にアドバイスしたいのです。
あなたの考え方は、決して間違ってはいません。
この現代においても、蠍座の持つ根本的な強さ、美しさ、潔さ、情愛は大きな価値を持っています。
だからこそ、その大事なあなたを一層この世で輝かせるために。
私は新たに「道を自分のために選ぶ技能」を、蠍座にプラスして身につけてほしいと願います。
なぜなら、この一見山のように選択肢のある世界では、
何も選ばないということは、
事実上生きる戦い、
いえ、「私はここにいるぞ!」と高らかに命を叫び、力強さを見せつける大事なアピールタイムを事実上放棄する側面があるからです。
たとえ不慣れだとしても、必要ならできる限り早く身につける。
それが適者生存の原理なのですから。
ええ実際のところ、今生きている中で、本当の意味で私たちにそこまで選択肢があるのか?と言われたら、正直わかりませんよね。
見た目にどんなに選ぶ権利がある、可能性があると謳われていても、
歴史のどの時代においてもそうであったように、人間にはいつもそこまでたくさんの道はありません。
どの人にも、ある程度定められた人生の幅はある。
運命は、どこまでも無限にひろがっているわけじゃない。
これも、ある意味真実です。
が、だからと言って、
「選べる自由、幸福がないわけじゃないのに、それさえを行使しないで、ただ、待っている」
というのは、また何かが、全然違いませんか。
今あなたが生きているこの時代、危険やリスクを全く侵さないでも、まったく新しい能力を身につけなくても、昔と変わらずそこそこいい感じに生きていけるなんて…。
本来とても勘のいいあなたが、本当に思っているのですか。
改めて考えてみて。
蠍座、今あなたが何かに苦しんでいて、
それがもし、「今一歩自分のために生きることへの勇気が出せないから」なのだとしたら、
それは、自分で自分の人生の主人たることを、放棄しているに近い状況なのかもしれませんよ。
あなたが何も自分からアクションを起こさないせいで、
神様さえも、「蠍座から依頼がないなあ…。まあ、そのうち“ほしければ”来るだろう(と、他の山ほどの皆さんからのご依頼を処理するのに忙しい)」みたいな扱いになっていないって、言えますか。
できない、どうやっても無理なら、すべて受け入れる道を選択するのもまた一興。
確かにそうです。それもありです!
でも、それと、「はなっからトライしない」のとはまったく別物です。
さて、あなたはトライをしてみたのですか。
持てる知性と経験と人脈と運とすべてをかけて、「自分自身に喜ばしい道を与えるため」に
全力を出しているのですか。
そもそも、どんな時代に、どんな背景に生まれたにしろ、
人生とは自分で作り上げるもの。
これは昔も今も変わりません。
「何でも思い通りにできる」のがいいんじゃないんです。
「この人生は私のものだ」としっかり理解した上で、どんな状況でも自分なりに考え、前を向くことが大事なんですよ。
そう思って進んでいける人こそ、私は人生の主人だと思います。
そして、この騒がしくみんながついつい慌てる世の中で、とことん「待てる」蠍座は
本来、最強&万能の主人となれる人だとも思うのですが…。
私のこの考え、違いますか?