ゴッホは自画像を多く描いた画家としても知られています。
彼の画家人生は10年ほどですが、さらにその内の4年余の短期間に、
素描なども含めて40点余の自画像を描いています。
そのなかで、油彩画作品の画像を全部かどうかわかりませんが、
できるだけ収集してアップしてみました。
なかなかこれだけの数の自画像を並べたのは画集でも
少ないと思いますので、
(陰の声:本を数冊スキャンしただけなのに自慢ずるね( ̄^ ̄)
私の受け売り雑文をお読みいただくより、
それら作品を一同に見ることで何かを感じていただければ嬉しいです。
パリ時代(1886年3月1日~1888年2月19日)
31. 自画像(34歳頃)1888年初め頃・油彩
1888年初め頃パリ時代最後の作品といわれる。
パレットが右手に描かれている鏡面作品。
ゴッホはほとんど鏡で見えたまま描いているよ。
まずは、ゴッホが自画像を描き始め、最も多くの自画像を描いた
パリ時代から見てください。
みんな自画像だから作品名や説明はなし、
(陰の声:あ、点数があまりにも多いので、解説が面倒になったな(x_x;)
でも、できるだけ描かれた年代別に並べてみます。
(だだし、研究者でも正確な順番は分からないそうです。)
10.1887年3月~4月 11.1887年3月~4月 121887年春
弟テオの肖像画説?もある
13.1887年春~夏 14.1887年春~夏 15.1887年春~夏
これは13と同じ作品かも?
22.1887 年夏 23.1887年夏 24.1887年秋
25.1887年秋 26.1887年12月 27.1887~88年冬
28.1887~88年冬 29.1887~88年冬 30.1887~88年冬
ゴッホはモデルを雇う金がないから、
自画像を多く描いたとも言われています。
しかし、パリ時代は弟テオと同居しており、他の時代に比べれば
経済的余裕はましなのに、なぜか一番多いのです。
やはり、この数の多さは異常だね、何かを掴もうとしていたんだろうな。
もしくは、パリの風景が嫌いだったかもしれない。
(陰の声:アルル時代以降の風景画の方が名作が圧倒的に多いからね(;^_^A)
でも、自画像の年月別の流れを見ると、
暗い背景がだんだん明るくなり、さらにタッチも変わってきて、
”ゴッホ”が誕生してくるのが見えるよね。
そして、暗く寒いパリを捨てて、明るく暖かいアルルに旅立ったのだ。
ゴッホ34歳、その天国行きの2年5ヶ月前。
アルル時代(1888年2月20日~1889年5月8日)
32.タラスコン街道を行く画家 1888年7月・油彩
ゴッホが制作に出かける姿を描いたもの。
「仕事へ向かって行く自分」を意識した画家の
自覚と意欲を詰め込んだ傑作として、これも
自画像の作品の中に入れています。
明るく、暖かい南フランスのアルルをゴッホはあこがれの日本にみたて
精力的に制作を始めました。ここでは、1年3ヶ月のあいだに油彩画を
190点以上の作品を描いたのに、自画像は「タラスコン街道を行く画家」
を含めても6点しか描いていません。
33.1888年8月 34.1888年9月 35.1888年11~12月
日本の僧侶になった自画像
36.1889年1月 37.1889年1月
問題の「包帯をした自画像」2点です。
しかし、やがてアルルの素晴らしい生活も一転する。
ゴーギャンとの共同生活の夢が破れたショックで耳切事件を起こし、
精神錯乱をしてサン・レミの精神病院へ入院したのです。
ゴッホ36歳、その天国行きの1年2ヶ月前。
サン・レミ時代(1889年5月8日~1890年5月16日)
38.制作年不明 39.1889年9月 40.1889年9月
贋作の疑いのある作品
41.1889年9月
母に自分の元気な姿を知らせるために
描いたもので、ゴッホらしさを押さえて
いる作品といわれている。
サン・レミでは発作に苦しみながらも、「星月夜」などの
傑作を多数生み出している。しかし、ここでも自画像は少ししか
描いていない。
このへんの事情を美術研究家はこう説明している。
絵を描くことでしか病気と対決できないと、考えたとき、
「自分」自身よりも「自分」をこういった病気へ追いやった、
「自分」を取り巻いている「世界」を見直さねばと考え、
自画像は描かずに、「世界(彼にしか見えない風景)」を描いた。
のではないか・・・
(陰の声:また、小難しいことを言っているね、単純に考えると
自画像はもう満足できる所まで描いた。<飽きた!>
いまは、新しいモチーフがどんどん発想できて、
それを描かねばならないと、思ったんだろうねヾ(@°▽°@)ノ)
この後、1890年5月20日、医師ガシェ博士に進められて、
博士の別荘のあるオーヴェル・シュル・オワーズに行き、
ここでの約70日間で「オーヴェルの教会」や「烏の群れ飛ぶ麦畑」など
70枚以上の作品を描いたが、自画像は1枚も描いていない。
そして、運命の日を迎えたのだ。
1890年7月27日自分の胸に向けて拳銃発射。
1890年7月29日弟テオに見守られながら天国へ。
(アーメン)
さて、「ゴッホの自画像」いかがでしたでしょうか?
(陰の声:天才でなくてよかった・・・)
<ごっこの自画像がいっぱい・了>
スーラ・ウタガワの
私撰:関西名所図絵・美術館のご案内
このブログの各ページで個別に発表した、スーラ・ウタガワ作品の
名所絵を場所別に集め「美術館」と称して再度アップロードしています。
第1室:大阪南部の名所図絵 開館中
第2室:大阪北部の名所図絵 開館中
第3室:大阪湾岸部の名所図絵 開館中
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以上、ご案内申し上げます。 館長:スーラ・ウタガワ