大画家をまねた大画家 | スーラ・ウタガワの「画家ごっこ雑記帳」

スーラ・ウタガワの「画家ごっこ雑記帳」

画家ゴッホではありません、画家ごっこです。

浮世絵名所の再発見をコンセプトに自分の気に入った名所を探して油絵を描いています。

そんなリタイア後の画家ごっこライフや、美術についての受け売り雑話をアップしているブログです。

前回の私のブログ「夕暮れの大阪港」がいつもより短いではないか、

というご意見がありました。

その前は長すぎるというクレームもあった!

なかなかほどよいというのは難しいものだ、人生も同じだ。

(陰の声:話が大きくなってるな~)


そこで、今回は特別に前回のブログで省略した部分を追加します。

それは、私がゴッホ師匠の太陽を真似して(参考にして)

私撰:関西名所図絵之内「夕暮れの大阪港」という作品を描いたが、

有名な大画家でも先輩画家をパクって、いや。おおいに参考にして

描いてるよという事例の紹介です。

(陰の声:自分のパクリを正当化しようとしているな)


コホン、私もいいわけがましいかなと思って省略したのだが、

原稿はもう作ってあり、私の考えを知っていただくのも悪くないので、

急遽アップロードさせていただきます。


まず、最初は私がパクッた、いや参考にしたゴッホの作品から。

ゴッホ種をまく人
ゴッホ  種をまく人 (1889年・油彩)
「うう・・・太陽が眩しい」<ごっこ・画家>

でも、ゴッホもこの絵では、下の作品の人物を参考にしているのだ。

ミレー種をまく人
ミレー  種をまく人(1850年・油彩)

ゴッホはミレーが大好きで何点も参考にしているよ。

ゴッホ種をまく人
ゴッホ 昼寝<ミレーによる>  (1890年・油彩)

ミレー昼寝
ミレー 昼寝 (1866年・パステル)


いかがですか?大画家でも先輩の作品を参考にしているのだ。

でも、なぜ絵柄が反対向きになっているのだろうか?

それは、ゴッホがミレーの原画ではなく、自分の持っていた

ミレーの版画集を見て描いたからと言われている。

版画集はなぜか反対向きになっていたのだ。また、ゴッホはそのころ

サン・レミ療養所で入院中で外出できずに本を見て模写していた(泣)


ゴッホだけではないよ。

こんどは、印象派の父と称えられるマネの場合をみてみよう。

マネ・オランビア
マネ オランピア (1863年・油彩)

ウルビーノのビーナス
ティッアーノ ウルビーノのビーナス(1538年頃・油彩)

いやあ、バッチリ参考にしているね。

しかし、この作品を発表した時、マネは当時のサロン(画壇)から

大パッシングをうけたが、それは模倣をしたという理由ではない。

むしろ反対でちゃんと模写(特に内容)をしていないのが問題だった。

ウルビーノのビーナスが全裸でも異論なく称えられるギリシャ神として

描かれていたが、マネは同じモチーフで世俗の女(高級娼婦といわれる)

を描いたと思われたからだ。

なぜ、それがわかるかというと、西洋画には描かれた小道具で

登場人物を知るという宗教画、神話画の伝統があるからだ。

(アトリビュートといいます)

たとえば、「青いマント」を羽織った女性は「聖母マリア」、

「天国への鍵」をもっていれば「聖ペテロ」だし、

神話画のビーナスなど三人の女神の絵では審判者「パリス」は

「黄金のリンゴ」を持っていなければならないなど、

その小道具により描かれている人物が特定できるのです。


改めて、ウルビーノのビーナスを見ると、愛の女神らしく手には

「バラの花」、窓辺の「鉢植えの常緑樹」は永続する幸福な結婚、

ベットで「おとなしくしている犬」は貞節などを表しています。

一方、マネのオランピアは「脱げたサンダル」は純潔喪失、フランス語で

女性の隠語である黒い「猫」(見にくいけど女性の足のさきの隅にいる)

また、「首のリボン」などで当時パリ市中にいた高級娼婦が

描かれているとして、不道徳な作品として非難されたのである。


マネはある意味、確信犯であって宗教画や神話画に対して当時の現代画を

描くという挑戦をしていたと言われます。

マネ・草上の昼食
マネ 草上の昼食事(1863年・油彩)

パリスの審判
マルカントニオ・ライモンディ (1517年頃・銅販画)
パリスの審判(部分)
*マネの絵とポーズが同じですね。

マネは上記の作品でも、神話の世界の構図を現代に当てはめ

ブルジョアの服装をした男達の中になぜか、全裸の女がいるので

当時の人々は、いかがわしい場面を描いたとして大ブーイング!

(きっと、こんなピクニックをした、またはしたいという欲望の

後ろめたさが、より過激な非難になったんだろうな)


しかし、マネの本意は、古典的な作品の構想を元に、

それを当世風にアレンジ(アレンジ:いい言葉だね、私も使おう)

して、新しい時代の活気を絵に与えることにあったという。

まあ、スキャンダルでもなんでも起こさないと、固い画壇の壁に

穴が開かなかったのだろうな・・・

こんな、既成勢力に対する姿勢が、次世代の印象派の若手に支持され、

マネ自身は印象派展に一度も参加していないにもかかわらず

印象派の父と呼ばれている。


ミレーの作品を参考にしたゴッホにしても、もう単なる模写ではなく

「働く人々をテーマにしたミレーの絵画をモティーフとした

色彩画家ゴッホの優れたオリジナル作品となっている。」

(大原美術館館長 高階秀爾の言葉)と評価されています。


まあ、以上なような訳で、先人の画風を参考にするのは問題ないという

私の論旨なんですがいかがでしょうか?

(陰の声:ごっこ画家が力んで、グダグダ書くようなことでも

ないのに、ここまでずいぶん長かったね)


でも、私はもう評価の定まった画家、または歴史の中の作品を

参考にするのはもちろん、新しい動きから影響をうけても構わないと

思いますが、あくまで自分のコンセプトに合致したもの

だけを取り入れて描いていこうと思っています。

まあ、陰の声が言うように、ごっこ画家の私が何をしようと

だれにも関係ないのですが、個人的な矜持です。


と、言うわけで、「上達の第一歩は真似から」のモットーで

これからもいろいろな画家が師匠として

私の絵の中に入り込んでくるかとは思いますが、

勉強(?)の途中と思っていただき温かく見守ってちょーだい。

(なぜか、名古屋弁が??)


さあ、つまらない文章が続いたので、最後にもう一度私の作品、

ゴッホ師匠参考の(または影響を受けた)「夕暮れの大阪港」を

温かいお目々でご覧ください。

夕暮れの大阪港
関西名所図絵之内
夕暮れの大阪港  (F10号・油彩)
*いや~うまく取り入れているな~(自画自賛:うそ!)


ここで、最初のブログの長い・短いの問題に帰りますと、

今回だけでも結構長いのに、前回のブログと合わせると

もう、読む気もしないと存じますので、

やはり、1ブログあたりは少し短めにさせていただきたく思います。

そのかわり、長い場合は続き物としますので・・・

(陰の声:ネタを小出しにする作戦だな)

では、今後ともよろしくご愛読をお願いいたします。


                   <この回:了>