最新号(10月号)は穴熊大特集。いろいろ目移りするが、田中―鈴木対談をまずは一読。鈴木が穴熊好局として一押しにしていた「広瀬―羽生」(王位戦挑戦者決定戦、広瀬勝ち)だが、彼はこの将棋を羽生優勢で推移していたとみていたようで、思わず「えー!」。
 
1図で▲2二角成が入るのだが、これ自体はそれほど難しい手ではないのではないか。そもそも3四歩が大きすぎて、直ぐに手がかかりそうな後手玉と穴熊が安泰で三段竜と金でしか攻撃されない先手玉では安定度が天地ほど違う。
 
 
実況サイトを再確認しにいったが、後手苦戦の論調は変わっていないように思える。(そもそも序盤で後手は4二金→4一金→3一金と苦労を感じさせる駒組を強いられていた)
 
鈴木八段はどの辺をみて羽生有利と感じたのであろうか??
 
ついで。昭和の穴熊名局ランキングも出ているが、私的には昭和51年A級順位戦の大山―大内戦が最高局である。この年度は大内が前年度の名人戦敗退直後でA級1位なのに降級という残念な結果になったのだが、対升田、対大山は敗局とはいえ名局だった。
 
対大山戦では布陣が2図。ここから飛車角切りまくって非常に長い終盤戦になる。
 
 
 
最高潮なのが3図。大山が▲8七玉と上がり剣ヶ峰をこらえるのが、またすごい。
 
 
最終盤の4図でと金を寄せたのが緩手となったので(いきなり馬を切れば勝ち筋)大内が負けたのだが、鈴木が「師匠の穴熊は金銀2枚で遠さを主張している」という特性がよく出ていたと思う。大山全集に棋譜だけは掲載されていたので、関心のある方は手に入れてみてください。