【過労死と過労自殺】

2005年に、トヨタのシステムで働いていたアメリカ人が、日本人を辛辣に突き刺した彼の経験について、本を書いた。

ダリアス・メウリは、「トヨタ王国の記録:日本のアメリカ人エンジニア」と題した彼の本の中で、効率性と革新への切望を賞賛する一方、それがもたらす労力にぞっとしたと書いた。懲罰的な労働倫理、きびしい締切、広範囲で行われているサービス残業、過酷な支配の文化が強調された。

日本社会は、労働者と職場に関連する有害な問題と戦い続けている。こうした状況は、過労死や過労自殺と呼ばれる状態の増加をも、もたらしてきた。職業と環境の犠牲者の権利のためのアジアネットワークという雑誌によれば、この日本の労働者の気がかりな傾向は、10,000件を超える過労死、毎年31,000人の自殺といった推計に悩まされる政府の懸念事項でもある。(注:過労死の数値は実際には数百と思われ、10,000件の出所は不明。)

昔の体制の下では、日本の労働者は終身雇用が保障されていたので、長時間労働による使用者への忠誠が期待されていた。不平は、恥ずべきことと考えられており、仕事よりも勝るどんな生活の観念もほとんどなかった。今になってやっと、職場の危機に反応して政府がワークライフバランス憲章を導入している。

しかし、こうした伝統は取って代わられており、若い世代は歪んだ忠誠心と使用者への自己犠牲には同意しない。「若者は、よりよい暮らしを求め、旧来とは違った考えや行動を始めている。」と、短期のインターンシップでインドにいる23歳の経営者、ハッタヨシマサは言う。

匿名を条件に話したインドにある日本の大手電機会社の日本人社長は、同意し、自分のように30年一つの会社で勤める人はまれになるだろうと主張した。

彼は、また、痛みを伴う混乱は、日本の非常に長い経済の沈滞によるものであり、これが労使紛争が悪化している原因であると考えている。激しいグローバル競争とコスト削減のプレッシャーにさらされている日本企業は、サービス残業がはびこっているように、労働から搾取する以外に選択肢はほとんどない。

問題は、また、日本における契約社員もしくは非正規労働者の増加となって、はっきりと表れている。

【文化の違い】

契約社員は、インドにおいてもその数が増えている。商工会であるASSOCHAMの「インドの労働力の短期雇用化」と題された調査によれば、2008年から2013年の間に、契約社員の数は39%増加している。

2007年に、マルチスズキがハリヤナ州のマネサールに自慢の新工場を建設した時、低コスト、柔軟な選択肢、おおぜいの契約社員の工場内の居住、請負会社を通じた雇用に日本人は当然魅力を感じた。「世界の他のどの場所でも自分たちがやってきたのと同じように、彼らはやったのだ。地域の気質と文化・風習についての手がかりを持たなかった。」とマルチ・スズキのバルガバ会長は言った。

ハルヤンビの農家出身の若者は拾われ、高い生産効率の組み立てラインの圧力鍋に押し込められた。休暇の要求は無視され、トイレ休憩さえも眉をひそめられ、素朴な田舎の考えでは理解できなかった。「彼らは、しつけの意味を拡大解釈した。」と、グルガオン工場の労働組合のクルディープ・ジャンクーは言う。(マネサール工場の労働組合のリーダーたちは、2012年の暴力事件の後収監されており、同工場の労働者の代表は労働局長によって組織された暫定委員会である。)

家族への愛着と責任の強い典型的なインド人労働者は、必要なときに休暇を取得することを期待している。これは、家族のために仕事に自らをうずめることによって家族への愛情を表す典型的な日本の労働者とは違う。「インド人労働者は、喪に服するために、お祝いをするために、家族と一緒にいたいのである。」とグルガオン工場の労働組合のパワン・クマール代表は言う。こうしたことは、マルチ・スズキの日本人経営者にはないのである。鈴木修会長はいつもマネサール工場が、日本人が求めるすべてのベスト・プラクティスがある日本の湖西工場と同質になることを求めた。その考えは、相当程度インド流であったグルガオン工場を拡張する際に、おそらくそぐわなかった。マネサール工場は、「よりよい生産性、より低いコスト、より高い品質」といった鈴木修会長の考える模範の工場になる予定だった。

マネサール工場のスタートは、インドの自動車需要が25%急増した頃だった。当然、最大のプレッシャーが我々マルチスズキにはあった」と、マルチスズキのSYシッディキ最高執行責任者は言った。マネサール工場は、スイフトとデザイヤの巨大な需要で、大騒ぎだった。「理不尽な命令によって高い出勤率と規律を確保するという、すべきでないことを我々はした。」とマルチスズキのバルガバ会長は認めた。いつ起こってもおかしくない災害であったが、2012年7月に起こり、その時労働者は凶暴になって人事担当マネージャーの死をもたらした。「マネサール工場は、日本人が完全に支配権を持っていた。それは、まるで日本人が彼らの考えを実証し、彼らのもののやり方を実演するかのようだった。」とグルガオン工場の労働組合のジャングー書記長は主張する。

ラインがきしみなく回るのを確保するために、たくさんの好ましくない措置が課せられた。「休暇を取得するのであれば、労働者へのインセンティブが中断されるという習慣は悪いものだった。」とシッディクイ最高執行責任者は認めた。そして、当然ながら契約社員と正社員の賃金格差は、爆発寸前であった。

【コミュニケーションギャップ】

日本人が日本のやり方で歩みを進めるにつれて、労使間の系統だった対話のチャンネルの欠如の中で深刻な傾聴の欠如が生じた。インドにいる日本人は、たいてい海外の労働者と交流することに臆病である。なぜだろうか。

「なぜならば、何か間違いを犯すことを恐れるからだ。」と、電機会社の日本人社長は言う。日本人社長の海外での契約は通常2年である。というのも、なんらかの危機が起こることは、本社からの恥ずべき呼び戻しを意味するため、彼らは自らのキャリアを危険にさらすことに恐れているのである。

また、日本の教育法にも関係している。「それは、間違いを犯してはいけないと教えられる文化である。」と、いつも間違いをおかしてもよいという教育法に基づいて日本人を教えている印日ビジネス委員会のカマト副代表は言う。電機会社の日本人社長も、ものの考え方の壁を壊したメキシコでの任期までは、他の日本人同僚と同じようだった。彼は、今は代弁者を退けて、インド人労働者と直接かかわっている。「私の工場に以前存在した信頼の欠如は、今はやわらいでいる。」と彼は言う。

国外の日本企業の危機は、系統だった操業の手法と働き方によるものである可能性がある。日本人は、課題に対する計画と合意の取り付けに甚大な時間をかける。しかし、ひとたび事業計画が固定されると、すべての細かい側面が考慮されてきたので、実行に移る。計画や微調整に再びとりかかる可能性はわずかである。

日本人社長の義務は、計画通り実行することである。計画外のことが生じた時であっても、独自で行動する自由はほとんどない。そのため、彼らは、しばしば柔軟性がなく頑固に見える。「すべての検討は東京でなされる。彼らはそういう動き方をする。なぜならば、多くの変化のある仕事を嫌うからである。そのような変化は品質に影響を与えるのである。」と日印ビジネス委員会のカマト副代表は言う。

したがって、インドの日系企業全体にとって学ぶことがある。「日本の操業手順の基準はここでは導入できない。」と、インド自動車製造業者協会のビシュヌ・マスール事務総長は言う。

労働者にかかわるとき、「労働者への共感の程度が望ましい」ことが真実であると、彼は加えた。

インドの日系企業の工場で、労働者の不穏な状況の時、日本人が直接非難されるべきものだろうか。日印ビジネス委員会のカマト副代表は、インド人幹部がインド人労働者との境界面にいるので、彼らにも責任があるのは確かだとしている。インド人労働者は、上長に対して、ただ頷くために会議に行くのである。これも、インド人が上司に「NO」と言えないという文化の問題である。「なぜ、マルチ・スズキのインド人幹部は、労働者の暴動が起こりかけていることについて、日本人に正しいフィードバックをしなかったのだろうか。」と日印ビジネス委員会のカマト副代表は尋ねる。「残念ながらインド人幹部は、日本人が望むことに、ただ従うだけだった。これも我々の失敗である。」とバルガバ・マルチスズキ会長は同意した。

インド人が、現実が全くそうでない時に「できます。」または「ノープロブレム」と言う傾向があるという、再び文化の問題である。明確に型破りな日本人社長は、業務中に「ノープロブレム」という二語を聞いたときはいつでも、それがインド人の大げさに言う習慣であることを知っており、すぐに用心する。日本人は、迅速に学んでいる。