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疑心暗鬼(ぎしんあんき)とは、疑いの心があると、何でもないことも怖いと思ったり、疑わしく感じることの例え、疑いの深さからあらぬ妄想に捉われる例え。

疑いの心を持っていると、いもしない暗闇くらみの亡霊が目に浮かでくる意から。「疑心」は疑う心、「暗鬼」は暗闇の中の亡霊の意。「疑心暗鬼を生ず」の略。

「暗」は「闇」とも書く。

私が9年前に体験した。魂の繋がりこそ、時空と現世の人の魂の繋がりを疑心暗鬼されることが多々あります。

私は長年の感覚研究から人の五感は視覚優位で、外的情報の80%以上は視覚から得て、脳に送っております。ですから、視覚()で見えない事や出来事、聞いたことが無い、体験が無い事を人は信じ難く、有り得ないと否定的になります。

また、見たことが無いことを怖がります。

ですから「幽霊」は怖い、幽霊は白い着物を着て頭に三角頭巾をしているなどのイメージがあります。

実際には見え方には個人差があり、具体的に姿形が見える人や私のように黒い人陰で背が高く、髪の毛が長くポニーテールにしていました。

その方が私の枕元を通り過ぎて立って居ました。幽霊が枕元に立つと言うものを体験しました。

目覚めて直ぐに待ってと告げると一礼してス~と消えてしまいました。その時は幽霊なのに怖さなどは一切なく、切なさと嬉しさが同居する複雑な感じでした。

同じ幽霊でも、それが「怨念や恨み」を持った地縛霊ならこのようになりません。自分が死んだことを享け入れなかったり、自分が死んだことを理解出来なかったりして、死亡した特に土地や建物などから離れずにいるとされる霊魂が「地縛霊」になります。

その土地に特別な理由を有して宿っているとされる死霊です。

私の知り合いの方々にこれら「悪霊」と言われる地縛霊が憑依して憑りつき、引っ越ししても憑依された人に取り憑いたまま、一緒に引っ越ししてしまうものです。

これら「狐の憑りつき」とも言われ、厄介な悪霊は「除霊」しないと、まず地縛霊が果たせなかった強い「思念」その人に憑依して果たそうとします。心を支配し、人格が凶変し、過激な言葉遣いになります。可愛らしい女性が「この野郎殺してやる」など言葉を発したり、私にも知り合いの女性から、この世を糺すからお前の力が必要だ!だから手伝ってくれと、断ると今度は「意気地なし」それでも男か!一緒に世の中を糺していこうと強引に想いを果たそうとします。

これら実際に有った実例です。私は危険だと思い、除霊を勧めました。拒否されましたので、知り合いの方にお願いし、お祓いをしてもらいましたら、心身がボロボロに成る前に除霊が出来ました。

これらスピリチャル能力が高くないと思っていたのに、突然に悪霊に憑依されることはあり得ることです。それは、成仏できなかった。彷徨う霊魂が同じような状況や遠い親戚関係、自身にエゴや邪心が強い人には比較的、憑りつきやすくなると言われています。

まさか自分に憑りつかれるなんて考えもしません。知識も体験もないから体質が変わったのではないか、痛みなどがあるのに、病院に行って検査しても異常がないと言われたなどは「霊症」という状態です。

病気や痛みなどの6割ぐらい霊障と言われています。病名の分からない病気などがそうです。

これらこそ、「疑心暗鬼」を理解出来ないからでもあります。この世の中には科学では説明の出来ない事や目に見えない力によって不思議な現象が起きたりしています。

自分にはスピリチャル能力がないからと過信していると、急に体調が変化したように凶変したり、性格が凶暴になった。普段優しい人なのに、急に変貌したなどはこれら憑依、憑りつきが考えられます。

私自身も20075月に憑依を享けました。目覚めた時にその方の痛み、苦しみをシンクロしたように伝わり、眩暈と気持ち悪さ、身体は重く、怠い感じでした。

幸い、私の場合は憑依でも憎しみ、恨みなどの無い地縛霊ではありませんでした。だから心を支配されたり、身体的にも左足の踝が痛い程度の霊症で済んでいます。

幸子さんは成仏され、この世に悲しみ、未練など一切ない魂(思念)となり、天から特別な「御心」を享けたので時空と現世を自由に行き来し、私の傍に居られるものです。

生前に叶えられなかったこと、私を通じて叶えているものです。こんなことを言うとそれは、成仏していないで彷徨っている霊魂だから除霊して安らかにさせて欲しいと思う人は多いと思います。

私は数年前に「浄霊」もしました。幸子さんの自由にさせています。私が執着したりはしていません。

こうして、理解の無い人、私を否定したり、信じ難く、有り得ないと思う人たちは「疑心暗鬼」が理解できない人たちでもあります。

ですから、私たちは何と言われても、疑われても構いません。私は疑心暗鬼も理解しているし、悟ってもおります。真実の人、真実の愛に出逢い、繋がることで「永遠の愛」に巡り合えた。天からの天命を享けて繋がった二人だから私に幸運を齎してくれて、愛に満たされて幸せで居られることは稀の稀で特別なことでるものです。

五感プロデュース研究所、荒木行彦