菅沼愛語「唐代の外交政策における"謀略"とその背景」『史窓』71,2014年2月,33-50


本稿では、唐の外交史の陰の側面、裏の外交という点に注目したいと思う。唐は、安史の乱(755~763年)が勃発する以前、隣接する強国(吐蕃や突厥など)の有力者、吐蕃の宰相ロンチンリン(論欽陵)、突厥第二可汗国の可汗黙啜、吐蕃の将軍タグラコンロェ(悉諾邏恭禄)、契丹の衙官(副官)可突于を、「謀略」によって死に至らしめた。


本稿は、2章で構成される。第1章で、唐が行った周辺国家の要人達の謀殺を取り上げ、第2章では、吐蕃が唐にしかけた謀略、「平涼偽盟」を取り上げる。


本稿で扱った「謀略」は、これまで、その性格上、学術的な研究はあまりなされてこなかった題材であるが、厳然たる事実として、世界史上多く用いられ、ときには歴史を大きく変えたこともある。また、その歴史的背景は、各国の政情や軍事などと密接に結びついており、歪んだ外交の一形態としての謀略も含めた多様な外交関係の解明は、歴史研究としても興味深いテーマではないだろうか。