西原理恵子『サイバラ茸 8』講談社,2009年11月,978-4-06-215148-1
ようやく出ました。やはり強烈である。
今尾恵介(監修)・原武史(監修)『日本鉄道旅行地図帳 歴史編成 朝鮮・台湾』新潮社(新潮「旅」ムック),2009年11月,978-4-10-790032-6
今尾恵介(監修)・原武史(監修)『日本鉄道旅行地図帳 歴史編成 満洲・樺太』新潮社(新潮「旅」ムック),2009年11月,978-4-10-790033-3
別に鉄男でもないが、興味深いので購入した。
なお関連銘柄(?)として、川村湊『満洲鉄道まぼろし旅行』文藝春秋(文春文庫),2002年7月,978-4-16-765637-9 とそのビデオ版『満州鉄道 特急「あじあ」の旅』文藝春秋,1999年2月,978-4-16-911341-2 を所蔵しているが、これは大変面白い。
龍谷大学創立370周年記念事業-国際シンポジウム 多元視野で解明する至宝「混一疆理歴代国都之図」については、先にこちら にて紹介したが、追加情報をアップしておきたい。
○シンポジウム・展示ともに入場無料。また事前申込も不要。
○来場者に、シンポジウムについての資料と展示図録を内容とする資料冊子を頒布。基調講演についてのレジュメは、当冊子とは別に配布予定。それ以外の販売品・記念品は予定なし。
○シンポジウムのタイムスケジュールは、以下の通り。
10:30~12:00 基調講演
12:00~13:00 昼食休憩
13:00~16:00 学術研究報告
16:00~16:30 総合討論(メンバーは、基調講演者+学術研究報告者)
中島楽章『徽州商人と明清中国』山川出版社(世界史リブレット),2009年11月,978-4-634-34946-9
タイトルからも窺える通り、著者の専門は明清史やアジア海域史だと思っていたのだが、最新の『東方学報』(京都)を見ると(第84冊)、モンゴル帝国期の多言語文書研究をテーマにされている様子で、新たな研究領域開拓か? と思ってしまう。確かに宋元も射程範囲なのであるが、ここまで突っ込むとは凄いし驚きである。なお著者の名前の読みは、本書著者紹介では「がくしょう」、勤務先ホームページでは「よしあき」となっている。意図しての使い分けだろうか。もっとも名前を本当の読みではなく、音読みで通してしまうことは東洋学の世界でよくある話だそうです。
龍谷大学創立370周年記念事業-国際シンポジウム 多元視野で解明する至宝「混一疆理歴代国都之図」
17日の京都新聞朝刊最終面の下段広告でたまたま見つけて、当企画のことを知った。これを見逃していたらと思うとゾッとする。今年の1月に立命館大学で開催された「好奇字展」 と同様、必要な情報が必要な人に行き渡るのは難しいと痛感。「これはもう、行くしかない」(by谷口キヨコ)。ただし「一寸先は闇」、先のことはわからない。
モンゴル帝国が生んだ世界地図として、今やすっかりメジャーな存在となった「混一疆理歴代国都之図」。この地図を所蔵し、自らの広告に使っている(京都駅地下の広告)龍谷大学による企画の内容を、本ブログ予定稿と差し替えて以下に紹介。
【国際シンポジウム】
2009年11月21日(土) 10:30 ~ 16:30
会場:龍谷大学 大宮学舎 清和館3階大ホール
■基調講演-「混一疆理歴代国都之図」をめぐる国際比較
1.朝鮮古地図からの視点
楊普景(韓国誠信女子大学校社会科学大学教授)
朝鮮古地図研究のなかの「混一疆理歴代国都之図」
2.天理大学所蔵古地図と海洋アジア史
藤田明良(天理大学国際文化学部教授)
「天理大学所蔵大明国図」と「混一疆理歴代国都之図」
■学術研究報告-「混一疆理歴代国都之図」への多元的アプローチ
1.デジタル工学からの視点
岡田至弘(龍谷大学理工学部教授)
「混一疆理歴代国都之図」のデジタル復元-Digital Conservation for the Kangnido map.
2.北東アジアからの視点
中村和之(函館工業高等専門学校教授)
「混一疆理歴代国都之図」から見た北東アジア-アムール河の下流域を中心に
3.モンゴル世界からの視点
村岡倫(龍谷大学文学部教授)
「混一疆理歴代国都之図」と商業ネットワーク
4.東アジア地理認識をめぐる諸潮流
濱下武志(龍谷大学国際文化学部教授)
東アジア世界の歴史文化地図について
■総合討論-「混一疆理歴代国都之図」をめぐって
【展示】
2009年11月21日(土) 10:00 ~ 2009年11月22日(日) 17:30
会場:龍谷大学 大宮学舎 本館1階 展観室
<主な展示品>
●「混一疆理歴代国都之図」(龍谷大学大宮図書館所蔵)
●「混一疆理歴代国都之図」【デジタル復元版】
●「大明国図」【写真版】(天理大学所蔵)
●「新訂萬國全圖」(龍谷大学大宮図書館所蔵)
●「地球全圖畧説」(龍谷大学大宮図書館所蔵)
●李燦「韓国の古地図」(龍谷大学瀬田図書館所蔵)より数点【パネル展示】
青木健『アーリア人』講談社(講談社選書メチエ),講談社,2009年5月,978-4-06-258438-8 を眺めていると、以下の記述が目についた。115ページから116ページにかけての部分である。
ペルシア人はこのように後発の民族だっただけに、ヘロドトスからはまったく主体性のない人々として描かれている。彼によると、ペルシア人は、メディア人の衣服を格好良いと思って着用し、エジプト人の武具を便利だと思って真似し、ギリシア人の男色を素晴らしいと思って実行していたという(ギリシア人からは、もっと他に学ぶものがあった気がするのだが)。彼らが路上で出会った際に、同じ身分の者同士は口と口でキスして挨拶し、身分が違う場合は格上の者が格下の者の頬にキスする習慣も、男食文化の延長線上にあるのかも知れない。
しかし、彼らも食文化だけは、中央アジアで牧畜していたころの伝統を引き継いでいた。主食は肉料理で、これにデザートがたっぷりついた(と、デザートの習慣がなかったらしいヘロドトスが驚いて書いている)。また、ペルシア人は酒を何よりも愛しており、重要な会議は必ず酒盛りの席で行われる慣わしであった。仮にも素面の席で相談してしまった内容があったら、後日あらためて酒を飲み直して再決定する仕組みだったという(現代の常識と逆である)。これだと、ペルシア王は会議のたびに酒を飲み、出席する貴族の誰彼なしにキスをし続けなくてはならないので、よほどの神経の持ち主でないと務まらなかっただろう。あるいは、「酔うては臥す美男の膝、醒めては振るう天下の権」といった感じで、本人たちは満足していたかも知れないが。
面白かったので、松平千秋訳ヘロドトス『歴史』(岩波文庫)で該当部分がどのように書かれているか参照してみた。
まずは男色について。
巻1-135
世界中でペルシア人ほど外国の風習をとり入れる民族はいない。メディアの衣裳が自国のものより美しいというので、それを着用するし、戦争にはエジプト式の胸当てを附けてゆく。またあらゆる種類の享楽を習い覚えてこれに耽溺するが、ギリシア人から習って少年と交わるのもその好例である。またペルシア人は誰でも多数の正妻を娶り、さらに多数の妾を買うのである。
巻1-134
ペルシア人が路上でゆき遭った場合、遭った同士が同じ身分であるかどうかは、次のことで見分けがつくであろう。対等の場合には、話しかける代りに、口で接吻し合う。一方の身分がやや低いときは、頬に接吻し合うし、また一方が遙かに卑賤の身であるときは、相手の前に土下座し平伏するのである。
次に酒に関して。
巻1-133
ペルシア人は主食は僅かしかとらないが、デザートはたっぷり、しかも一どきでなく次から次へとでる。ペルシア人がギリシア人は食事を終えてからも腹を空かしているというのはそのためで、ギリシアでは主な食事がすんでから、これはという程のものは何も出ないからいけない、もし出ればギリシア人でも食べやめないだろう、というのである。
ペルシア人の酒好きは大変なものであるが、ペルシアでは人前で吐いたり、放尿したりすることは許されない。右のことは厳重に守られているが、ペルシア人には、きわめて重要な事柄を、酒を飲みながら相談する習慣がある。その相談で皆が賛成したことを、相談会の会場になった家の主人が、翌日しらふでいる一同に提起し、しらふの時にも賛成ということになれば採用し、そうでなければ廃案にする。またしらふで予備相談をしたことは、酒の席で改めて決定するのである。
青木さん面白く書き杉(笑)。
男食の部分では松平・青木両氏の記述はほぼ一致しているが、酒のところは青木氏そうまで言い切っていいのだろうか(確かに酒席優先であろうが)。全体的に話が多少オーバーになっている感は否めない。ただ、氏の記述が過剰解釈で松平訳が絶対とすることにも躊躇する。
私は高校生の頃にヘロドトスを通読しようと試みたが、いきなり煩瑣なエピソードが続いて一発で挫折した。こういう書物はネタ帳として、好きなところを拾い読みするのが正しいのだろう。
慧皎(吉川忠夫・船山徹訳)『高僧伝 2』岩波書店(岩波文庫),2009年11月,978-4-00-333422-5
こうした史料は、トリビア集として拾い読みするのが良いのでしょうね。
学生の頃、確かこの『高僧伝』を漢文読解のトレーニング材料に選んだ教授は、やはり(?)僧侶であった。日本の東洋学者には仏僧の人が多かろうが、総体としてどのような評価をされているんでしょうか。「この論文の執筆者は坊主だから、仏教に都合の悪いことを弁護しただけ」と一刀両断した研究者がいたが、それはどのくらい的を得ているのであろうか。やはり僧侶の身贔屓があるのかもしれないし、一方の批判する側にも偏見や思い込みがあるだろう。しかし結局は個別の人間や業績によるんでしょうな(ありきたりの結論ですみません)。