観世流能楽師の片山九郎右衛門氏が、2日の京都新聞夕刊「現代のことば」というエッセイ欄において、「妖怪メダル」という題で一文を綴っている。その中で世阿弥作の「鵺」についてこう述べる。


能「鵺」のストーリーは以下の通りです。


鵺は、近衛天皇の御殿の上に夜な夜な黒雲に乗じて現れて、帝に悪夢を見せ祟りをなしたため、源頼政に退治されます。頼政はその功績により「獅子王」という名剣を賜り、退治された鵺は体をばらばらにされ粗末な丸木舟で淀川に流されます。その後、何百年もの間、夜になると鵺の亡霊が川辺に現れるといううわさが流れます。そんなある日、川辺の御堂に泊まることになった僧の前に鵺の亡霊が姿を現わし、自ら頼政に討ち取られた有様を語り、成仏させてほしいと頼むのでした…。




哀れ、体をばらばらにされてしまった鵺というのが興味深い。片山氏はさらに続ける。


この曲目の作者世阿弥は、実は討ち取った頼政と討ち取られた鵺を重ねて描いています。頼政もこの後、源平の争乱期をあちらにつき、こちらにつきと妖怪のようにしたたかに生き抜くのですが、最後には宇治の平等院で無念の死を遂げたので、物語の鵺と重なる部分があったのでしょう。このお話の詳しい事は、永井路子さんの『双頭の鵺』という本に書かれています。


どちらの話も興味深いが、私としては世阿弥作の「鵺」の方により興味が惹かれる。そして例えば能・狂言の専門出版社である檜書店「対訳でたのしむ」シリーズのような形で、簡単にこの作品にアクセスできないものかと思う。


なお永井路子作「双頭の鵺」について、片山氏はこのタイトルで書籍化されているかのような書き方をされているが、正しくない。実際には文藝春秋刊『噂の皇子』、そして中央公論社刊『永井路子歴史小説全集』第7巻の中での一編として収録されている。またこの永井作品では、源頼政が鵺と言うか、カメレオンのごとく立ち回ったと話中で評せられる部分はあるが、世阿弥作「鵺」のストーリーとクロスするところはない。片山氏の「このお話」という表現が漠としすぎるのだ。