■登場人物

小島尚貴(K)

ジュヴァド・メキッチ(D)

■場所

クアラルンプール郊外にて



SELF‐NEO




D あれから14年。ブミプトラ政策は重大な危機に直面してるのを知ってるか?

K マレー人の政治への優先的参加、公務員就職優遇規定、財政・税制優遇措置、国公立大学への優先的入学を法律で規定した、マレーシア史上最大の政策だよね?あれからどんな変化があった?

D 優遇は汚職に結実しつつある。

K まさか、保護を特権と勘違いしたってこと?

D その通りだ。

K KLIAからここまでの道を見たところ、マレー人は随分いい車に乗り始めたようだね。

D 借金でね。

K カンポン(田舎)に住んでいたマレー人もずいぶん都会に移住しているようだね。

D 借金でね。

K 彼らに減価償却の概念は分かるのかな?

D 分かるわけないじゃないか。

K …。

D 分かっていれば、なぜ過剰な借金をしてまで家や車を買うんだ?彼らは銀行借入の金利が中国人やインド人に比べて低いことを、「未熟だから」ではなく「優遇されている先住民だから得られる特権」だと思っている。

K 銀行は負債を売りつけるついでに、おまけとして家や車を付けるだけなのに、まさか彼らはローンで家や車を手に入れたと思ってるってこと?

D 銀行の商品はカネ以外にないのは常識中の常識だ。借入金で取得した財産を資産と呼べないのも常識中の常識だ。

K それじゃ、ブミプトラ政策で特に重視された土地・住宅の優先的取得は破綻するんじゃ?

D そう。だから中国人はマレー人に新品の土地や住宅を買わせ、借金が払えずに売却された時を狙って安価に有利な土地を買い占めつつある。しかし、おれは中国人が悪いとは思わない。マレー人が保護を優遇と勘違いして慢心し、自分で自分の首を絞める限り、誰も先住民を救うことはできないんだ。

K じゃあ、500年前にポルトガル、オランダの植民地にされたのと同じ歴史をたどるだけじゃないか。

D マハティールは自著で「私はマレーシアの全てを変えたが、たった一つ変えられなかったものがある。それはマレー人のメンタリティだ」と言った。おれもそう思う。おれのマレーシアへの感謝と愛情はそこらの外国人に劣るものではないと思ってるけど、だからこそ「こいつらはなぜ分からないんだ」という思いも人一倍強い。

K マレー人は日本の学生と同じじゃないか。日本の学生も学生割引の特典で経済的にかなり優遇されてるけど、知恵のないやつらは「自分たちが選ばれた大学生だから」って勘違いしてる。

D おいおい、おれがこれからビジネスを展開するエコノミック・スーパーパワーの日本にそんな幼稚な学生がいるのか?

K 普通、割引されたり優遇されたりしたら、「自分は半人前の未熟者だ」と謙虚に反省して黙るのに、一部の学生は「おれたちの今だけの特権だ」って調子に乗って遊びまくるんだ。

D 日本ではそんなやつらも大学に行けるのか。日本の教育は、そんな当たり前のことも分からないくらいレベルが低いのか。

K 名前は大学だけど、実質的には小学校か幼稚園と考えたほうがいい。恥ずかしい話だけど、日本の教育はブミプトラ政策の失敗版といっていいかもしれない。

D マレーシアはここ30年で全面的に日本に学んだから、有害な輸入物もいくらかはあるんだろう。

K 文系の大学教育はその最たるものかもしれない。

D 優遇は特権意識を生み、内外の様々な利権の癒着を生む。そして癒着は行政費用を底上げし、増税の要因になる。

K なんだ、それは日本の官僚の再就職と一緒じゃないか。

D 日本の官僚って、世界一優秀じゃなかったのか?

K 縄張り意識さえなければ、そう言えるかもしれない。

D セルビアは、その縄張り意識で戦争までやったから、おれたちの国ほどひどくないかもしれないけど…。税制、金融、教育で優遇されたマレー人は、中国人やインド人に比べてめっきり勉強しなくなった。もちろんすごいやつはどの民族でもすごいけど、マレー人の平均的教育レベルといったら、この15年で向上したのやら。

K 中国人やインド人は大文明を生み出しながら国家が破滅するという屈辱を肌身で知ってる民族だから、マレー人とは鍛え方が違う。個人の幸福に目覚め始めたマレー人に対して、中国人やインド人は世代を超えて大目標を達成しようとする。

D そうだ。やつらのビジョンは巨大だ。そして歩みは堅実だ。

K しかし、インド人や中国人はともにイギリスに潰されて仕方なくここに落ち着いたんだから、よそ者として流れ着いた申し訳なさもあって、ブミプトラ政策にも同意したはずなのに。
 
D そうさ。でも、マレー人のだらしなさに徐々にしびれを切らしつつある。ここ数年で、何度インド人の暴動が起こったことか。

K マレーシアは東南アジアで一番政治的に安定している国なのに、ブミプトラ政策が破たんしたら、東南アジア全体が混乱することになる。
 
D そうすれば日本も大変なことになるな。結局、30年間あれほど優遇されてきたマレー人なのに、彼らの約60%は副業をしないと家計を切り盛りできない状態になってしまった。

K 優遇で身の程知らずの借金を背負いこみ、結局は教育費の値上がりに堪えられなくなって共働きを始めたってこと?
 
D そうだ。マレーシアでは公務員の副業が禁じられているわけではないが、それはもともと例外的措置で、昔は妻は働かずに家庭を守っていた。

K …どんどん日本みたいに「パーシャル・ソーシャリズム」になりつつあるな。

D …イエス。政治的ガン細胞はどんどん広がりつつある。

K 生活に必要なカロリーも、取り過ぎればコレステロールが体の機能を阻害していくからね。

D 優遇は所詮、時限的な優遇策でしかない。優遇した結果、もっと優遇しなければならなくなるのなら、そんなものは優遇ではない。マハティールは同胞を信じたからこそ精神の内面に踏み込む全体主義や社会主義を厳しく排除したのに、マレー人は自分でイスラム的社会主義国家を作りつつある。

K タイやフィリピンほど社会主義左派の影響は強くないのがマレーシアの支えだけど、法制で優遇措置を実現した与党を支えるマレー人がその様子じゃ、これは将来、由々しき事態になるんじゃないか?

D 確かに。しかし歴史に学び、自分の立場を謙虚に弁えて中国人、インド人以上の努力をしているマレー人もいる。

K じゃあ、格差が広がってるってこと?

D イエス。他民族との格差、同胞間の格差を埋めるための優遇策で、さらに格差は広がりつつある

K それを自力で乗り越えられなかった民族が選んだのが、社会主義と全体主義じゃないか。

D タイのタクシン首相追放もそうだった。タイは王室があるからまだ落ち着いてるけど、王室や指導者が権威を失ったカンボジアやミャンマーはどうなった?

K もし優遇で国家財政が悪化し、政治的・経済的格差が広がっただけの結果しか得られなかったなら、マレーシアは30年間で何をやってきたことになるのか。

D Just going back to 70's... だから昨日、兄と電話で話したんだ。君が日本で生み出した日本的ビジネス倫理に基づく講義は、マレー人とマレーシアを救う内面の規律を築く手段になるかもしれないって。
 
K そこまで深く捉える日本人はほとんどいない。

D マレーシアだけじゃない。セルビアも10年に渡る国連の経済制裁で国民精神の退廃は甚だしいものがある。しかしおれたちはおれたちの文化を守りながら再建したい。だが、アメリカ的な底が浅い職業倫理は、アメリカが国連の親玉ということもあって心理的に抵抗がある人が多い。

K そりゃ、ボスニア紛争でサラエボを空爆したのはほとんどアメリカ軍だったからね…。

D どうだ?君の講座をいつかセルビアで販売しないか?おれは国政や地方議会にもパイプを作ってきた。そしてセルビアでの日本人の評価はとても高い

K …アジア、そしてヨーロッパで日本の職業倫理を広げるってこと?

D そうだ。おれは君が英語で書いた営業塾と会計塾の教科書を読んだ。そして思った。「これこそアジアとヨーロッパの途上国を救う有益な商品だ」と。そして同時にこうも思った。「どうして講座に日本語で名前を付けないんだ?」と。

K 日本語の名前?

D そうだ。「営業塾」、「会計塾」なんて名前で誰が買うか。そんな名称はアメリカやイギリスの教材にごまんとある。

K 確かに…。

D 入門編を「ニンジャ」、上級編を「サムライ」、最上級編を「ショーグン」と名付けたら一発で分かるじゃないか。

K 確かに…。

D じゃあ、会社名は「サムライビジネス」で決まり!

K 相変わらず強引だなぁ…。

D おれはセルビア人だが、イタリアレストランを経営したことがある。やつらは言ったさ。「なんでセルビア人がイタリア料理なんだ?」って。生きるためには仕方のないことだったが、祖国の言葉を使えなかった事業に誇りを持つのは難しかった。ただ、ピザやサラダ、デザートにフルーツやマッシュルームを使うというだけの理由でやったんだ。

K …。

D 考えてもみろよ。もし中国人が「サムライ」、「ニンジャ」、「ショーグン」という言葉を冠して何かの商品を販売したらどう思う?

K …彼らなら、儲けさえすればやりかねないね。

D 違う!そんなことを聞いてるんじゃない。日本語で日本の伝統思想を販売できるのは日本人しかいないっていう、当たり前のことを言ってるんだ。中国人が売る日本の教材なんて誰が買うものか。韓国人が語る日本の職業倫理など、誰が信用するものか。きみたちはこれほど素晴らしい文化や伝統を持っていながら、どうして日本を主張しようとしないんだ?

K 価値はお客様が決めるものだから…。

D 確かにそうだ。しかしマレーシアの国民を見ろ。やつらは中国人に恐れをなしている。「おれたちは絶対にやつらには勝てない」って。ところが中国人は日本人に恐れをなしている。17年間この国で働いてきたおれはよく知っている。中国人がどれだけ頑張っても、日本人と同じ技術やチームプレイは絶対に生み出せないことを。

K それはそうだろうけど、中国人の独立意識の高さと個の強さは、日本人も尊敬しているよ。

D それはそうだ。だが、個人商店がいくら集まっても、所詮は個人事業だ。だから中国人には半導体や自動車は作れないんだ。膨大な人数で長期の複雑な分業を行うことにおいて、日本人以上に優れた民族はいない

K そこまで褒められると照れるよ。

D 今、マレーシアとセルビアに必要なのは、何よりも、共同体や会社、政府のために個を抑えて奉仕する日本的職業倫理なんだ。きみたち日本人には当たり前にできることが、世界の大半の民族にはとてつもなく難しいんだ。おれはビジネス上のアドバンテージから言ってるんじゃない。君の商品はアジアとヨーロッパの未来が求める条件を備えていると言ってるんだ。

K …。

D どうだ?おれは東ヨーロッパが育む世界最高品質のフルーツと天然水で、日本人の体をきれいにする。代わりにきみは、世界最高峰の日本的職業倫理で、アジアとヨーロッパの文明の交差点に生きる人々の精神を浄化する。これは最高のビジネスと思わないか?

K それができたら、死んでもいいね。

D おれも死んでいい。おれはそんな思いでビジネスをやってきた。そしてきみはセルビアの、東欧の、ボシュニャクの歴史をどの日本人よりも詳しく知っている。だからパートナーに選んだんだ。ただの友達だからって、誰がモント・フォーカスの取締役になれるものか。

K こんなに光栄なことはないよ。

D 君のことはサンジャク民主独立党のスレイマン党首にも話している。彼はサンジャクの若年者失業率を8%も下げた偉大な政治家だ。彼のおかげで約3万人の若者がギャングにならずに済んだ

K 医師でもあるスレイマン・ウグリャニン博士だね。HPで見せてもらったよ。

D どうだ?冬に一緒にセルビアに行かないか?そしてスレイマン博士に会い、ヨーロッパの文明の十字路・バルカン半島と、アジアの文明の十字路・マラッカ海峡を日本の商品と投資でつなぎ、その道を日本まで延ばしていかないか?

K …そんな大事業、残りの人生で足りるのやら。

D 途中で死んでもいい。若いやつらが遺志を継ぎたいと思う事業さえやればいい。その魂を残すことがおれたちの成功だ。

K 分かった。できる限りの努力はする。来月また、教育事業と貿易事業についてさらに詳しく話そう。

D ダー、ゴスポディーネ!(Yes, Mr.)

(続く)