コブと旅の最適化 | 元・底辺の癒しと栄光をお届けするツアーガイド「アイ」    

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「セルフ共和国」という新興国!です。ガイドの「アイ」です。よろしくです。当国へご旅行に来ていただく、すべてのお客様に、今がどんな状態であっても、癒しと栄光と幸せを獲得し、それを土台にして身近な方から尊敬の念を集める存在になっていただくツアーを提供中!

ぱっかあーん!!!


と、まあ、すごい音がいたしました。


自分でも見事な音だな、と思ったほど。


それに伴って大きなコブが
我が物顔で鎮座しています。


そうなんです。


今日は、再度、思い切って一人ツアーで
「川くだり」を始めてみたのですね。


早くお客様をご案内できるようになろうと。


そして、やる気満々で、ついに前回までの
いつも転覆するところのポイントを
超えたのです!


ついにやったーと思ったんです。


もう、大喜び。


そして、初めての流域を、
泳ぐ以外の下り方~つまりまだ船に乗ったまま、
ということで下ることができて、
思わずガッツポーズ。


「アイ」にとっては真新しい境地。


ところがその直後からはまたいつもの
お決まりのパターンでした。


転覆→激流泳ぎ→水揚げ→牧場→あの二頭。


んで、なんと、出合ったいつもの
あの老つがいの「虎馬」たちに蹴られたのです!


ほぼ、二頭同時にやられました。


いうまでもなく、あの二頭は、私「アイ」の
良心の象徴なんでしょう。


それが、二頭のそれぞれ
父親と母親の形に具現化してご登場となっている。


どちらかというと母親の「虎馬」の脚蹴りパンチのほうが
キョーレツでした。


また、普段はかわいいはずの「虎馬」たちなのに
「アイ」の前に現れるのは、違います。


それは、西部の野生馬に出てくるような筋肉隆々の
マッチョぶりで、きつい目線は、
「アイ」に対して、なにかいいたいことがあるからです。


「いつまで夢見心地でいるんだ!」

「お前は障害者なんだからそろそろ分をわきまえろ」

「親のいうとおりにしろ」


終わりなき注文の数々。

言葉の牢獄。

突き刺さる刃物のような言葉。


親たちの理想を全然具現化していない「アイ」。


病気、怪我、後遺症・・・など。


負担ばかりがのしかかった親たちの苦悩。


ごくつぶしな底辺な存在。


そういう親たちの心情をを十分に理解したうえで
それでもこみ上げる哀しい気持と下がる意欲。


どうすればこの状態を脱出できるか?

なぜ脱出できないか?


この質問をしたら、またそのことをノートに
どんどん思いつくままに書いていく、
というのが「アイ」のやり方です。


何しろ、それをせずに堂々巡りにすると
また混乱状態になって、脳が
オーバーヒートいたします。


確かに両親とはいろいろとありました。

激しい攻防、といいますか、
家族喧嘩が、長年にわたり展開されました。


喧嘩→休戦→喧嘩


とあきれるほど繰り返されてきました。


でも禍根は忘れて、未来を向いて進もうと思っても、
過去が足を引っ張るのですね。


更にいうと、過去を封印しようとすればするほど、
「虎馬」たちは暴れます。


もやもやしたのを更に放置すると
うつ状態になったりもいたします。


うつというのも、信号だったり
交差点だったりするのですね。


「針路変更せよ!繰り返す、至急針路変更せよ!」


と「感情という領土」のどこかで、激しいやり取りが
されているのだと思います。


長い旅路に誰しもが一度は気持が
へこむこともあるかと思います。


そういう時は過去を振り返らないといけませんね。


未来への道中の、最適化をはかるために。


それは、マンホールでふたをするみたいに
見たくないものを見えなくするのではなく、
「どうすればいいか」と検索することで
パートナーの脳に働いてもらいます。


そして、それで少しでも結果が出れば、
何か糸口がつかめれば、その局面は
一段階、駆け上がって「よし!」とします。


そうです。その検索については
「達成!」です。


これで旅路はまた少し最適化されていきます。


ふとあるとき、その繰り返しのさなか、
何かが一気に最適化されるあることが起こります。


次はそのことについて、触れてみます。

またあした。