K-151 ホーマー胸像 | きょうの石膏像 

K-151 ホーマー胸像


K-151 ホーマー胸像         H.52×W.32.5×D.29cm (パリ・ルーブル美術館収蔵 紀元前1世紀頃の原作のローマンコピー)




ホーマーとは英語読みの場合で、歴史教科書的には”ホメロス”が一般的です
石膏像の場合は、なぜかこの名で流通してしまっていて、ずっとこのままになっています


このホーマー像のオリジナル彫刻はこちら、

パリ・ルーブル美術館収蔵  紀元前2世紀頃の原作をもとにしたローマンコピー 2世紀頃制作

 この彫像は、Homer Caetani と呼ばれていて、教皇ボニファティウス8世を輩出したことで有名なローマの名門貴族カエターニ家の城壁から発見されました
アルバーニ家のコレクションだったものが、クレメンス12世によって購入され、18世紀末のナポレオンの進行によってフランスにもたらされました





これもいいアングルですね。彫像の様子がよく分かります

鼻はずいぶん欠けていますし、右耳付近の頭髪は石膏像では存在する部分が欠損しています
発掘された当時の姿は、このように欠損部分の多い状態だったのでしょう。石膏像は、修復作業によって欠損部分を補った状態の複製品として作られています

古代ギリシャ・ローマ時代の発掘物は、王侯貴族の所有となることが多かったため、ルネッサンス~19世紀くらいまでは修復・補足を施して、彫像を”キレイ”にしてしまうことが一般的でした。19世紀以降は、古代遺物の本来の状態を保持すべきという主張が有力になり、むやみに彫像に欠けた部分を追加するような行為は控えられるようになりました

近年のルーブル美術館では、さらに過去の修復で過剰に追加された部分を取り除く作業を行っているようで、このホーマーの原作と石膏像との姿の違いは、そんなところに原因があるのかもしれません。
(日本の美大受験では定番の”ラボルト首像”から、”鼻”が取り除かれてしまったことを
以前の記事でも書きました)




さて、ホメロス(ここからは、この表記で・・)についてですが、これは皆様よくご存じの「イリアス」と「オデュセイア」という2大叙事詩を書いた人物とされています

古代ギリシャでも最古の詩人とされていて、紀元前800~750年頃の人物なのではないかと考えられています
パルテノン神殿の建造が紀元前430年頃ですので、それよりさらに300年以上さかのぼった時代の人物ですから、謎な部分が多いのです

そもそも実在していた人物なのかどうかも不明確で、二大叙事詩についてのホメロスの関与の度合いというのはいまひとつよく分かっていません
それでも紀元前6世紀の頃には、この二大叙事詩とホメロスという名は結び付けられるようになり、盲目の吟遊詩人であったことなどが具体的に語られるようになっています。


アントニオ・ドゥニ・ショーデ作 ホーマー像
ナポレオンの肖像彫刻で有名なショーデの作品です。ルーブル美術館の外壁面に設置されています



ホメロスの功績は、それまでシンボル的な存在だったギリシャ神話の神々に、人間に近い
生き生きとしたキャラクターを与え、後世の美術などに大きな影響を与えたことです。

我々が一般的に”ギリシャ美術”と呼ぶものは、多くの場合がこのホメロスの世界観に影響を受けて生み出されたものなのです
赤絵の壺の図像や、パルテノン神殿の表情豊かな神々の姿も、みなホメロスの提示したイメージが無ければずっと違ったものになっていたでしょう



フランス・新古典主義を代表するドミニク・アングル作 「ホメロス礼賛」 1827年

アングルの描いたこの絵画は、たくさんのことを物語っています。画面中央のアングルを中心に、古代ギリシャの政治家、哲学者が囲み、さらにその中にはアレキサンダー大王、ラファエル、ダンテ、モーツァルト、シェークスピア、そして自国のモリエール、ラシーヌ、といった古今東西の偉大な文化人がズラリと描かれています。
これはホメロスを出発点にした古代ギリシャ文明、そこに連なる西洋(キリスト教を中心にしたヨーロッパ)文化の全体像を提示して、さらに自国フランスがそういった古典・古代から続く文化の正統な継承者であることを高らかに歌い上げている作品なのです

このように西洋文明にとっては、ホメロスというのはかなり根源的で重要な存在なんですね



ホメロスの残した二大叙事詩は、紀元前18世紀~13世紀頃に起こったとされるトロイア戦争にまつわるお話です

「イリアス」では、ギリシャの英雄アキレウスを中心に展開するトロイア戦争の様子が、

「オデュセイア」では、そのトロイア戦争で活躍したオデュセウスが故郷のギリシャ・イタケへ帰還するまでの様子が語られます


Pinturicchio という作者による「オデュセウスの帰還」

トロイア戦争後、10年もの間諸国をさまよって、やっとのことで故郷のイタケに帰り着くと、オデュッセウスの妻はたくさんの男たちから求婚され困り果てている。彼女は、一着の服を織り上げたらそれに答えると返答し、織物を織っては解くということを毎日繰り返して時間を稼いでいたのでした・・・
そんな場面です。



以下、その他のホーマー像のバリエーションを少し、


ナポリ考古博物館のもの



ローマ・カピトリーノ美術館のホーマー像




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