S- 201 セント・ジョセフ首像 | きょうの石膏像 

S- 201 セント・ジョセフ首像


きょうの石膏像     by Gee-S-201

S-201 セント・ジョセフ首像             H.62×W.44×D.50cm





前回ご紹介した、美大受験の看板スターのセント・ジョセフさんの”首だけ”バージョンなんですけど、首だけでもデッカイんですよ。。これが。。



ブルータス首像とか、ヘルメス首像、ジョルジョ首像・・・なんていうのは大胸像が前提として存在していて、美大入試でポピュラーなこういった石膏像をより安価に入手したいという要望に答える形で生まれた製品群なんです。


石膏屋の本音としては、ブルータスでもヘルメスでも本来の大胸像の形で買ってもらえるならその方がありがたいんですけど、そこはそれ商売ですからお客様からのご要望になんとかお答えせねばなりません。


特に、石膏像を大量に消費する美術予備校からはこういった首像の要望が多くて、「出来上がったら、たくさん買ってあげるから、こういうの作れませんか?」っていうご相談をよくいただきます。



このセント・ジョセフの首像も、そういった美術予備校からの要望で生まれた製品です。というのも大ブームになった”セント・ジョセフの胸像”は通常の大胸像よりもひと回りサイズが大きく、お値段もかなり高額だったのです。そこで「三分の一くらいの値段で、頭だけなんとかならない?」っていうご相談をいただきました。


ところが、そういった美術予備校の先生方の常として、”首の角度”には異常なまでにこだわります。頭だけにして欲しいけど、首の角度は絶対胸像のままじゃなきゃダメ!ってことで・・・


いざ首だけを胸像と同じ角度で自立させようとすると、あまりにも前傾姿勢なんで、かなり大きな台座が必要になってしまいました。。。で、結果的にこんな形に。。。これじゃ首像っていっても、かなり首以外の部分まで作んなくちゃいけないですよね。。。


同じように困っちゃうのは、ジョルジョとかヘルメスかな・・。やっぱりすごく首筋が前傾してるんですよね。。この二つの現行の”首像”は、”胸像”の首の角度通りにはなっていないですね。やっぱりすごく大きな台座が必要になっちゃうんで、同じ角度にしようとすると結果的に胸像と同じような値段設定にならざるをえないから・・・。




ちなみに、こんなに首が前にいっちゃってるんですよ。。。


きょうの石膏像     by Gee-S-201-R




きょうの石膏像     by Gee-S-201-L

姿勢悪すぎでしょ。。


ただ、本来は巨大な教会の壁面で、地面からかなり上方に設置されているんで、下から見上げる参拝者の視線で観るとこれでちょうどいいんでしょうね。




きょうの石膏像     by Gee-S-201-B

後方から見るとこうなります。



この半円形に残された柱!これこそまさにセント・ジョセフが”中世彫刻”である証です!


髪や顔の造作を見ると、素晴らしい立体性を備えた彫像であることは一目瞭然なのですが、ではこれがドナテルロやミケランジェロのようなルネッサンス期の作品と区別されて”中世彫刻”と呼ばれるのはなぜなのでしょうか?


時代区分の違い(セント・ジョセフは1250年頃の作品とされています)とか、衣類の内部の肉体の捉え方とか、いろいろな要素がありますが、大きな特徴として”中世彫刻は建築の一部として成立している”という原則があります。


セント・ジョセフが背中にしょっている半円形の柱は、この彫刻が建築の構成要素である柱の一部として製作されている証拠です。


ランスの大聖堂のような後期ゴシック期になると、中世彫刻といっても、それはほとんど完全な立体性を持つような彫刻へと進化しているのですが、それでもなお建築の一部でなければならないという原則は守られています。


実際の鑑賞者の視点からは、ほとんど見えない部分なのですが、背中の部分が教会扉脇の柱と同化したつくりになっています(実際には、彫刻自体は柱から取り外せるように作られているみたいですが・・・)。


ヨーロッパがこういった中世彫刻の制約を打ち破り、完全な”丸彫り彫刻”を生み出すまでには、さらに100年以上の時間が必要でした(1415年頃のドナテルロ作の”聖ジョルジョ”が、ルネッサンス初の丸彫り彫刻であるといわれています)。


File:Donatello, san giorgio 01.JPG


これがその”聖ジョルジョ”。あいかわらず教会の壁面を飾る彫刻ではあるんだけど、背面の壁面とジョルジョさんの背中とが接していません。ここが重要。。




あ、こんなに長くかいちゃいましたけど、今回は”セント・ジョセフ”なる人物に書きたかったんだ・・。


言語によって色々な呼び名になっちゃいますけど、セント・ジョセフ=聖ヨセフということになります。


そして新約聖書では、聖ヨセフはマリアの夫であり、イエス・キリストの養父であるということになっています。


聖霊の導きによって誕生したマリアが成長し、ユダヤの神殿祭司のとりなしで夫となる人物を探した時に、たくさん集まった独身男性たちの中で最も高齢だったヨセフにだけ神からの印が現れて、彼はマリアの夫となります。


マリアは無原罪懐胎によってイエスを身ごもりましたので、ヨゼフはイエスの養父となるわけです。こういった事情から、ヨセフは基本的に相当な老人として絵画などに描かれることが多いのですが、今回の石膏像の姿は比較的若い姿ですね。


File:Giotto - Scrovegni - -11- - Marriage of the Virgin.jpg

ジョット作スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画。


マリアとヨゼフとの結婚が描かれています。ヨゼフの持つ棒(小枝)の上に聖霊(ハト)がおり、美しいマリアとの婚礼のシーンが描かれています。左側に大量に控える”落選者”の若者たちは、みな一様に不満顔。”なんで、アイツ?”的な感情表現豊かな表情が描かれています。




さて、どうしてもオリジナル彫刻の写真がWikiでどうしてもみつからないんで、今回だけはちょっと書籍からお借りしちゃいました。。(ザラザラ写真まで画質が落ちてますから許してくださいませ。すみません。)




きょうの石膏像     by Gee
ランス大聖堂壁面・正面中央扉の向かって左側の側壁に並んでいます。



一番左側が聖ヨゼフ。続いてマリア、シメオン、預言者アンナの四人が並んでいます。マリアは生まれたばかりのイエスを抱き、聖ヨゼフは神殿奉献のための鳩をいれた器を抱えています。


当時のユダヤ社会では、最初にうまれた子供は神殿に生贄に捧げなければならなかったのですが、実際には捧げもの(お金)をして子供の代わりにするのが一般的でした。裕福でなかったヨゼフは、”鳩”を捧げものとして神殿に参拝したわけです。


老シメオンは、救世主の姿を見るまで死ぬことができないとされていた人物であり、イエスを一目みたとたんに、これが救世主の出現であることをすぐに悟ります。



同じくジョットの”神殿奉献”の場面。


左から二番目がヨセフ、隣がマリア。イエスを抱いているのがシメオン、一番右側が預言者アンナ。

アンナの表情を見ると、救世主の出現を知りつつも、その後の険しいイエスの運命を暗示しているのが分ります。






今回取り上げた、S-201 セント・ジョセフ首像 は、私共の運営するオンラインショップ「石膏像ドットコム」で実際に購入していただくことが出来ます。以下のバナーをクリックすると、ショップに入れます。よかったら覗いてみてください。


きょうの石膏像     by Gee-sekkouzou.com