石膏像の歴史ー004 | きょうの石膏像 

石膏像の歴史ー004


きょうの石膏像-ギリシャ002
ギリシャ・パルテノン神殿の破風


19世紀に入ると古代遺跡に対する世界の関心も最高潮に達し、列強諸国は全力で発掘に取り組みます。これと比例して石膏像もたくさん作られるようになり、各国はこの石膏像にも関心を払うようになりました。各国の為政者達は、本物はひとつだけなので複製品でもいいから欲しいと思ったのです。

列強諸国はこういった古代文明への理解を誇示することで、自分達がより”広域な”世界の正当な後継者であるということを主張したかったのでしょう。


ドイツでは鉄血政策のビスマルクが大号令をかけ、大量の石膏像のコレクションが形成されました。これは現在でもベルリンにあるギプスフォルメライという組織で継続して保存・管理されています。


またイギリス、フランスでも発掘調査には必ず石膏職人が同行し、遺跡の発掘と同時に石膏像がどんどん制作されていきました。


つづく