くろんが天国へ旅立ちました | 紙漉きの女房になって ~石州勝地半紙~

くろんが天国へ旅立ちました





あまりに突然の事で
私の心の中でも整理がついておりません。

昨夜帰宅すると、普段は必ず迎えに来てくれるくろんの姿がありません。

居間に入ると、寒い中ひとりポツンと座っていたくろん。

ストーブをつけて温風の前に座ると
すかさず膝に乗ってきて甘え、

缶詰を出すと「ごはんちょうだーい」といつものくろんに戻った。

しっかりと食べ終えて、いつものように私と夫の間に座って甘えたり
箱に入って眠ったりしていた。

今朝、いつもなら足元にまとわりつくくろんが
がりがりサークルに入って、こちらにこない。

そのうち、下に下りて何かを訴えるように鳴き始めた。

そして冷たい床で身体を冷やすように横になったので
これはおかしいと病院へ行く支度を始めて、
ふと気が付くと、猫のトイレの向こうに15センチくらいの広さで
吐血した後を見つた。

ただ事ではないと、病院に電話をしてみるも、
先生はお出かけしていらっしゃるようで、電話が繋がらないため
新しくできた日曜日も診察している病院へと向かった。

まだ車に乗っているときには、目をまん丸にしてケージから私を見ていたくろん。

病院に行けばなんとかなると、きっと良くなると
そう思っていた私。

診察を受けていると、鼻が真っ白になり、身体が冷たくなってきた。
みるみる容体が悪化してきているのは明らかだった。

採血するとひどい貧血で、エコーで診て頂いて、レントゲンも撮り
貧血と低体温(35℃)は、状況が悪いので点滴をして集中治療室へ入り、
夕方5時にもう一度来てくださいとのことだった。

もうその時点で、くろんの目には死相が表れ、ぐったりとしていた。
くろんに声を掛けて、一度工房へ戻った。


午後、携帯に先生から電話があり、呼吸が止まったため
酸素を送り込んでいるとの事で、すぐに病院に向かったが
くろんはもう息絶えていた。

先生は、詳しく検査結果を説明してくださって、
極度の貧血が、容体悪化となって死に至ったが
吐血は消化器官からの出血だろうとのことだった。

他の数値に悪いところはなく、本当に急な容体悪化だった。



もともと腹斜筋が破れたり、弱い身体ではあったけれど
この数時間で、予想もしていなかったくろんの死。

保護した日も、吹雪の夜になり、くろんは肺炎になっていた。

吹雪く寒い日はいつも、くろんはよく寒さに耐えたねと夫と話す。

そんな雪が降る日に天国に旅立ってしまった。
3月には、うちの子記念3年目を迎える予定だった。

工房のチョビちゃんを保護する前の年に保護し、
我が家の猫たちでは一番の新参者だったのに。

私は本当に、くろんにできるだけのことをしてあげたのだろうか。
私が見落としていたことがあったのではないだろうか。
こんなことにならずに済んだんじゃなかったのだろうか。

もう、悲しんでも、涙を流しても、くろんを思い続けても
くろんは戻ってこない。


愛しいくろん

もう出迎えてくれないのか

転びそうになるほど、足元にまとわりついていた


2階に行こうとすると階段を駆け上がって
追いかけっこのように楽しんでいたくろん

毎日毎日、私の腕で母猫のおっぱいを吸うように
フミフミゴロゴロして、私の服をよだれだらけにしたくろん






保護する直前の写真




破れた腹斜筋の手術は傷が大きく、痛かったね 2度も耐えたね




おとーしゃんは、くろんにメロメロで
特にこの傷口をカバーする術後服の片足ズボン姿には…。





おとーしゃんの膝の上が大好きで
朝、おとーしゃんが起きてくるとパーッと走り寄って
抱っこされる毎日だったね。


まだいつものくろんのお顔を見送ったおとーしゃんは、
くろんが遺体で戻ってきた時には、

「あぁ、あぁ、くろんやー、あぁ、あぁ」と
大きな落胆の声を出して
くろんを撫でながら、顔を手で持ち上げながら
突然の別れを哀しんでいました。





やんちゃで、遊びが大好きで


毎日くろんと一番多く遊んだね。



やんちゃだけど、そどり兄たんと仲がよかったね








今までは遠慮をしていたのか、ここ数か月くらいで
突然、甘えん坊が強くなって
そどり君がしょんぼりするほど、おとーしゃんとおかーしゃんに
べったりべったりな毎日でした。

もっと、もっと、
ずーっと未来まで
この甘えん坊さんがそばにいてくれると思ったのに。





天国が本当にあって
いつか、また一緒に
こんどは永遠に暮らすことができますように。

くろんちゃん、おとーしゃんとおかーしゃんのこと
忘れないでください。

私たちは、くろんがくれた沢山のHappyを心に
哀しいけれど、まだ生きていくよ。