宿で珍しく西アフリカを旅しているバックパッカーに会った。
昔、武辺寛則さんというJICAで派遣された人が、パイナップル栽培で村を変えたという話を聞いた。
彼が、その村へ行って来たみたいで、僕も行ってみた。
村はコッチですな!
やはり、パイナップル畑が沢山ある。
パイナップルってこんな感じに実るんだね!
ぶら下がってるイメージだったが、モニュメントみたいに立っている。
話に聞いていたAtwa村に着くと、葬式をやっていた。
人にタケベ知ってるか?と聞くと皆んな知っている。
さすがにココでは、僕をチャイナだとバカにして来る奴はいない。
むしろ、武辺さんのおかげで日本人は尊敬されるのだ。
村長の所へ行け!と案内してくれました。
まず、武辺さんの要約をすると
約30年前に貧しかったこの村に協力隊として派遣された。
当時は、焼畑農業が主だったらしいが、干ばつに強いパイナップル栽培を提案し、それが産業となり村を変えた。
彼の熱心さが評価され村長にまでなったという伝説まである。
話を聞こうでは無いか!今の村長に。
武辺さんはどんな人でしたか?と聞くと、
それは真面目で熱心な人だったと。
彼は僕と同じ27歳の時に村長になったみたいだが、
その当時の村人の彼に対する尊敬が大きかった。
そこで、皆んなに村長に選ばれたみたい。村長はナナと言うらしい。
若い外国人を村長に選ぶとか凄い話だね。
武辺さんの志は相当強かったのだろう。
この村に派遣された協力隊員は武辺さんだけではなく、前にも後にもいたらしい。
写真を見せてくれた。
この方は二岡さんという方。今はもう50歳くらいなのかな。
ネットで拾った武辺さんの写真を見せると大盛り上がりだった。
周りに写っている村人を見て、こいつは死んだ、こいつも死んだ、こいつも死んでる。
ほぼ生きている人は写ってなくて盛り上がるって辺な感じ。
今は電気も通って豊かになっている様に見える村。
現在、村の問題を聞いてみると、沢山出てきた。
公衆トイレが要る。
パソコンが欲しい。
たけべ学校が古い。
先生の給料が無い。
などなど
武辺さんはパイナップルだけでは無くて小学校も作ったみたいだね。
村長の息子が先生をしているみたいで小学校を案内してくれた。
黒板は壁を黒く塗っただけの黒板。
チョークをかなり消費するから新しいのが欲しいとか。
とにかくパソコンが欲しいとしつこい先生。
プライベートスクールなので、国の支援も無く先生の給料もほぼ無い状態らしい。
だからお金が欲しい。
感想としては、自分達で改善するという意識が無くて、誰かの協力に頼りがちになっている印象。
JICAに手紙書いて協力隊員を送ってくれと言うが、自分でやろうとしない。
厳しい僕の意見はハッキリ言わせてもらった。
JICAが協力隊員を派遣するとしたら、もっと貧しい電気も通ってない村に協力に行くと思いますよ。
パイナップル産業が上手くいってるなら、村の税金集めるとかして自分達で改善するのがいいと思いますけどね。
学校は改善してあげたいとは思うが。
周りのママ達はそうねぇ~。と頷いていたが、
村長はギブミー精神は変わらなそいだった。
特に、息子の先生のパソコンが欲しい攻めにはうんざりさせられた。
JICAに助けてもらった村は、助けに頼る精神が根ずいてしまうのだろうか。
武辺さんのモニュメント!
1989年2月25日に交通事故で亡くなったみたいだね。
僕が3ヶ月の赤ちゃんだった頃か。
村を歩いていると、子どもが可愛い。
葬式から流れてくる音楽にのってダンスしてる!
ダンシングベイビーではないか!
歳を聞くとまだ8ヶ月!で立って歩いてダンスするとは。
アフリカのベイビーは成長早いですな!