活眼活学 | 【北堀江・奈良】自然治癒力を高めるソフト整体−ソフト整体BB研究所
以前から、読みたかった安岡正篤先生の活眼活学。
野村監督も参考にしていた本のようです。
いろいろ書いてあったのですが、気になったのはここでした。

(以下転載~)

理にかなう起居動作の作法

こういうふうに、生活様式はそれぞれ違って発達して参りました。日常の起居動作をみましても、西洋人は分析的・外面的に行動します。東洋人は統一的・含蓄的に動きます。

前述のように、西洋の住宅は大自然の中から人間の住まいを分離したものでありますから、この西洋住宅に生活いたしますと、戸外運動というものが必要になってきます。

日本の住宅は今申しましたように、大自然と融合、合体させることを念としておりますから、しいて戸外運動の必要を西洋人ほど認めないのであります。


婦人の生活にしましても、日本婦人は躾の通り、お作法の通りに生活いたしますならば、例えば食事するにも、来客に応接するにも、それが同時に運動になっておるのであります。

茶を持って客間に入る時、まず坐って全身運動で襖を開けなければならない。そうして起ち上がって、入ってまた坐って、襖を閉める。また起って、それからまた坐って、お茶を出す。あるいは配膳をする。

挨拶一つするにしても、手を出して握手のような局部運動をすればよいというわけにはいかない。両手をついて全身運動であるお辞儀をしなければならない。それで作法通りいったんお客に接しますと、これは相当の運動であります。


それから日本人の坐法というものが非常に衛生的なもの、躾通りに坐りますならば、殊に婦人として身だしなみ正しく坐りますならば、これはそれだけで立派な健康法であります。

昔から「ただ坐れ」只管打坐、まあ坐れという言葉がありますが、非常に意味のあることであります。
帯というようなものも、通俗観念とは違いまして、専門家に言わせますと、婦人に大切な、腹部の温かさを保って、鳩尾のところから折れかがまないように、姿勢を崩さぬようにできておるものであります。

だからなるべく正しく帯をしめて生活しておれば、実は婦人として、そう特別な運動は要らない。そういうことをいい加減に放置いたしますと、どうしても外に出て、飛んだり跳ねたりしなければならんようになる。

裁縫するのと坐禅をするのとを一緒にする。運動と掃除を一つにする、というふうに、日本の古来の起居動作は統一的で、裁縫は裁縫、応接は応接、運動は運動というふうに分かつ西洋人の特徴と、大に違っておるのであります。飲食、住居、立ち振舞い、いずれを見ましても、東洋は統一的・含蓄的であり、西洋は非常に分化活動的とでも申しましょうか。

(転載終了)


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