私も今日は教室の新しい設計図を見て、思い出に慕ってます。
たまたま、縁側があり、2畳の玄関の待合。4畳半の次の間。8畳の広間とそれに沿う縁側。
あれ!これは母がひいおばあさんの為に建てた実家の家の間取りと図らずも同じでした。
ひいばあちゃんは庭のよく見える縁側の傍に寝ていました。
私が物心つく頃から寝たきりでした。
それでいて辛い顔したことはありません。
私と姉が庭で近所の子供達と遊んでいるのを眺めるのが楽しみであったようです。
私はひいばあちゃんが唯一好きなタバコ-いこいという銘柄のタバコをお客様用の箱から持ち出し、5,6個ポケットに入れ自転車で15キロ離れた母の実家に行くのが小学校低学年からの楽しみでした。
ひいばあちゃんの枕元に行き、タバコを出して、紙を破いて刻みにするのです。
煙管に詰めるのはとても大変でした。
それでも寝たきりのひいおばあちゃんが好きなものなので一生懸命火をつけて渡すんです。
子供のことで可笑しいんですが、味は覚えていません。
ただ寝たきりなので私がマッチで火を点けたんでしょう。
すい終わると煙管盆の竹の中の水に灰は捨てます。
一服キセルの場合は詰め方にもよりますが、2,3分で長いほうでしょう。
今だったら、大変ですね!
寝たきりの老人にタバコを吸わせるとは何とかいわれて、もし火事でも出したらとか言われるのが当たり前ですし、タバコを吸う人は悪い人という教育のお陰で薬としてのタバコはどこかへ消えてしまいそう。
寝たきりのひいばあちゃんは薬は最後まで飲まず、好きな刻みタバコが薬のようなものでした。8年以上寝ていましたが呆けたことはありません、家族に介護されていました。
ちょうど寝たきりの体の痛みを、いまはタバコで紛らわせていたんだと分かりました。
私も具合が悪いとタバコを吸いすぎます。
言い訳で書いたわけでは有りませんが、今自分の体が少しずつ老いの坂道を登り始めて、縁側での実家のことを思い出しました。猫もすっかり今年は齢が感じられました。猫が頻繁に日向ぼっこをするのが野生で老いの始まりでしょうか。
老いは太陽の柔らかな自然の暖かさを求めるようです。
この柔らかな温かな光にこそ長生きの秘訣があるように思います。
ひいばあちゃんは寝たきりで8年でしたが90過ぎまで生き一度も病院に入院しませんでした。
陽だまりの中でいつも僕達兄弟を見守ってくれました。
6歳の私がタバコを隠し持って訪ねたことをどう思っていたのでしょう。
きっと将来が心配でしたでしょう。
未だにタバコを苦労して吸っています。
いよいよ、吸う場所もなくなります。
最後は病院の禁煙外来と医者に相談したら言われましたが。
タバコはいい思い出だらけで、止めたくないのです。
でもこれから、ほんと2ヶ月くらいでタバコは止めないといけないのです。
まったく、なんて世の中になったもんだと嘆きます。
勝手に税金集めに不味いタバコを売っといて中毒になったら、もう止めろとは情けない。
薬なんだから薬屋で保険で安く売れと叫びたい。
取りすぎの管理は昔は漢方医だった。
江戸時代にどこかで狂い薬をがぶ飲みしだした。
酒と同じである。
禁酒禁煙法なんて、日本にだって昔あった。
闘茶禁止も室町時代幕府はした。
そのつど幕府は無視され滅んでいく。
お茶だって呑み比べて沢山呑んだら、身体に毒だ。
生かそうと殺そうと匙加減ー有名な仙涯老師の言葉である。
50,100服と競って呑んだ闘茶のことを言ってるのだろうが、お茶は毎日呑んでいるお茶が1番良い。
美味しい不味いの呑み比べはいけないとされている。
お茶も薬とされていた。それでこの仙涯老師の言葉が大きい意味があるのであろう。