茶道体験教室 パート3 から茶道日誌へ 生徒さんとの日々のしおりとして、このブログを使わせていただきたいと思います。

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鎖の間というのが、茶道にはあると偶然知った。


教室に通う板前さんの店は、各部屋がいろいろな有名な茶室をそっくりに黒川記章さんが作ったという。


黒川さんは関西で、子供のころから自分の部屋が古い時代の茶室であったというから、その設計も見事で凝ったものなのであろう。


その板長さんが、一つだけ分からないことがあるので広間の茶室を見てほしいという。


見てみると、確かに可笑しい。


18畳の広い広間の真ん中の天井に釣り釜をかける鎖を止めるヒル釘が打ってある。


部屋の真ん中で何をするのだろうとその時は、さっぱり訳が分からなかった。


兎に角、古い文献を調べてみた。


何と、私の大好きな古田織部の工夫なのである。


織部は有名な利休の弟子でクリスチャン大名。


大きな部屋の真ん中に炉を切って、釣釜をよく掛けたという。


その部屋では、一年中釣釜でお茶を織部は立てたという。


大名でクリスチャン。


私は分かるような気がした。


身分を超えた、家臣との交わりは広間で丸くなった家臣に、大きく長い織部茶入れが必要だったのだとやっとわかった。


本当に織部の茶入れには大きく長いものがある、いったい何十人分お茶が入るのかと思うほど。


茶人として、侍として生きた織部らしい鎖の間。


直心の交わりも求めた織部である、自由自在な茶の湯を作り上げたのには驚く。


だが、その鎖の間を現代に蘇らせた設計者には頭が下がった。


板長さんも、私が調べたことを説明すると唸ってしまう。


茶名まである生徒さんでも、流石鎖の間の使い方は知らない。


私は、織部には5人の半東さんがいて、お道具を運んだり水屋はないから台所まで汚れ物は運んだんですという。


水屋がなくてはお茶ができないとふつう思ってしまう。


織部が部屋の真ん中で、ぐるっと囲んだ家臣に右手左手と自由自在に本勝手、逆勝手と動かし、たくさんのお茶を練り、立てたのが眼に浮かぶようである。