茶道体験教室 パート3 から茶道日誌へ 生徒さんとの日々のしおりとして、このブログを使わせていただきたいと思います。


今日は兄のお見舞いもあり、病院に行った。


集中治療室から出られて、個室に移っていた。


やっと一安心である。


危篤状態を5日で抜けた。


ベッドから起き上がり、内緒でタバコも吸いに入ったようで大騒ぎに一時はなったが、私には判る気がした。


生き返ったという実感は一本のタバコで味わえたであろう。


やっと、私も生徒さんのお稽古に集中できた。


夕方からであったが、7時ごろからどっと生徒さんが集中する。


いくら教えても次々に来る生徒さんに、なかなか対応し切れなかった。


ここのところ、新しい人も入ったのでどうしても細かなところを教えなければならない。


一時間も待って一回で帰る人、待てなくてお稽古せずに帰る人までいた。


これだけは、皆さんの都合でしょうがない。


見ることもお稽古といいながら、なんと最後の生徒さんは10時を過ぎていた。

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もうお客さんもいない。


あれ?


先週と同じパターンである。


一人はお薄に入ったばかり、一人はお濃茶に入ったばかり!


熱心に前の先輩のお稽古を見ていたのはよいが、足が痺れてしまうらしい。


待ち時間に崩すように指導したが、夢中で真剣に正座して見ていた様である。


その熱心さで、スムースにお点前は進んだ。


後片付けも手伝ってくれて、助かったが11時近い。


これは、なにかお稽古の流れを改善しなければいけないと思った。


だが、週初めには昔からお稽古が集中したものだ。


仕事のある方は週末には忙しく、来れなくなる。


最近の傾向は、女性でも8時過ぎまで仕事があるということなのである。


木曜は昼間は主婦のクラスになっていて、夜は空いている。


なかなか、これだけは昔から思うようにいかない。


だが、私が初心者を教えていると上級生がお稽古を見てくれている。


つくづく、私の教室も先生の老後の教室に近づいたと思う。


教えるということは、二度覚えることという。


正確に解ってないと教えられない。


将来を考えたら、私のそばで教えることも勉強になると思い、先輩が後輩を教えているのを微笑ましく思う。


もちろん、上級者にはそれとなく教えるコツも指導していく。


だが、初めてするお点前の指導は難しい。


一番難しいのは初めての人に教える割稽古である。


真っ白いところに、最初に習うことは一生抜けないくらい吸い込まれていく。


責任重大である。


今月も何人もの生徒さんが入門した。


私はまた新しい去年とは違う、進歩した教え方で教えている。


昔、早稲田の大学教授が言った。


その教授の授業は、芸術関係で毎年授業は新らしくなるという。


去年の先輩のノートでは、単位は取れないそうだ。


茶道という伝統文化にも、進歩はあっていい。


同じことだけを繰り返しお稽古するのも大事だが、その説明と歴史的背景は日々新しくしていかねばならない。


研究会もあるが、自分の研究の成果がお稽古に出ていなければいけないと思う。


そして、時代の流れに流されてはいけないが、常に新しい試みも必要である。


もうすぐ、茶箱になるので今は急ピッチでそれぞれのお稽古のカリキュラムに沿って重点的にお稽古を始めた。


何とも、月日の流れは早いものである。


教えるのに夢中でいたら、いつの間にか40年も過ぎている。


自分の好きな道というのは時間を忘れるものである!