3月10日 その時、あの人は | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ

1923年(大正12年)91115832秒は、関東大震災の時。

今月3日に102歳で亡くなった祖母は、

この時まだ9歳で八尾の自宅にいて、心臓脚気の療養中でした。

伏見稲荷に帰依して眷属を使っていた父の鶴松さんが、

庭の井戸を覗き込みながら「遠くで、大変なことが起こっている」

と言っていたのを、祖母は覚えていました。


そこから14年した時は、二二六事件の時。

祖母がこの歳の時は、結婚して子供がいました。


そして、今日の東京大空襲の日は武蔵境にいて、私の母を妊娠中の時でした。

「大変なことになった」と怖かったそうです。


食料品もなかなか調達できない中、「今度は、東京西部に空襲がくる」

と噂があったそうで、不安な日々を過ごしていたようです。


そんな不安状態は胎児にいいはずがなく、

その影響を30年以上しても私達が受けることになります。

(なので、大空襲の日は他人事ではなく試練であり、ギフトの日です)

       

      

方や、吉田家。

震災前後の建築ラッシュに乗り、成田から出てきて一代で成金となった曽祖父・吉田浅治。

彼が向島に築いた広大な敷地と邸宅は完全に焼け落ち、

土地の権利書含め色々なものが灰塵に帰す。

学徒出陣中の子供達が奇跡的に東京に戻っても、三々五々する結果になり、

吉田一族のドラマが始まるキッカケになった日でもあります。


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(写真は、https://goo.gl/XjadIi より)




今日が別れ道となるその日なのかと思うと、感慨深いものがありますね。


深川育ちの17歳の恩師が絨毯爆撃による猛火の中を逃げのび、

登戸まで台車を引いて疎開した日でもあり、

野口晴哉が中林梧竹コレクションを焼いてしまう中、

焼け跡で朝から屏風で仕切った青空操法室を開き、仕事をしていた日でもあります。


それぞれのドラマがあった日。

想いを馳せながら、黙祷です。




(感謝)




吉田直樹  拝