1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒は、関東大震災の時。
今月3日に102歳で亡くなった祖母は、
この時まだ9歳で八尾の自宅にいて、心臓脚気の療養中でした。
伏見稲荷に帰依して眷属を使っていた父の鶴松さんが、
庭の井戸を覗き込みながら「遠くで、大変なことが起こっている」
と言っていたのを、祖母は覚えていました。
そこから14年した時は、二二六事件の時。
祖母がこの歳の時は、結婚して子供がいました。
そして、今日の東京大空襲の日は武蔵境にいて、私の母を妊娠中の時でした。
「大変なことになった」と怖かったそうです。
食料品もなかなか調達できない中、「今度は、東京西部に空襲がくる」
と噂があったそうで、不安な日々を過ごしていたようです。
そんな不安状態は胎児にいいはずがなく、
その影響を30年以上しても私達が受けることになります。
(なので、大空襲の日は他人事ではなく試練であり、ギフトの日です)
方や、吉田家。
震災前後の建築ラッシュに乗り、成田から出てきて一代で成金となった曽祖父・吉田浅治。
彼が向島に築いた広大な敷地と邸宅は完全に焼け落ち、
土地の権利書含め色々なものが灰塵に帰す。
学徒出陣中の子供達が奇跡的に東京に戻っても、三々五々する結果になり、
吉田一族のドラマが始まるキッカケになった日でもあります。
(写真は、https://goo.gl/XjadIi より)
今日が別れ道となるその日なのかと思うと、感慨深いものがありますね。
深川育ちの17歳の恩師が絨毯爆撃による猛火の中を逃げのび、
登戸まで台車を引いて疎開した日でもあり、
野口晴哉が中林梧竹コレクションを焼いてしまう中、
焼け跡で朝から屏風で仕切った青空操法室を開き、仕事をしていた日でもあります。
それぞれのドラマがあった日。
想いを馳せながら、黙祷です。
(感謝)
吉田直樹 拝