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神戸児童殺傷事件~「酒鬼薔薇聖斗」はA君ではない

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現代医療という恐るべき大量殺人ビジネスの実態!


ブログ「冤罪・国策・でっちあげ・・権力者による凶悪犯罪!」より

http://kokusaku-enzai.seesaa.net/

2007年11月16日

神戸児童殺傷事件~「酒鬼薔薇聖斗」はA君ではない!

http://kokusaku-enzai.seesaa.net/article/66864138.html

「神戸児童殺傷事件」と言ってもピントこない人があるかもしれないけど、「酒鬼薔薇聖斗」という名前を挙げると思い出す人も多いだろうと思う。

1997年5月24日に行方不明になった神戸市須磨区友が丘の土師淳君(当時11歳)が同27日に、頭部が中学正門前で見つかり、残る遺体も、その近くの丘陵にあるケーブルテレビ中継アンテナ基地で発見された・・・

1.1997年6月28日のA少年逮捕は、自白しか証拠がなく、物的証拠はまったくなしに、行われた。
少年逮捕のあと、同日夜、記者会見に臨んだ兵庫県警の山下警視正は、「凶器は?」と聞かれて、
「ナイフ・・・など」(・・・は沈黙による間)
という、奇妙な答え方。
さらに
「刃渡りは?」と聞かれて、
「・・・わかりません!」(・・・同前)と、肩で唸り声をしぼりだすように答えていました。
凶器自体が不明で、具体的な形状など言えなかった、というのが、あの逮捕の実態だったのです。

2 しかもその自白は、警察が少年をだまして取ったものだった。
このことは、神戸家裁の判決文にはっきり書いてあります(当時、これを取上げたのは毎日新聞の記事だけでした)。
こんなわけで、家裁決定書は、警察の調書を証拠として採用しないと書きました。
ところで、7月17日の検察供述を見ると、少年は逮捕後もまだ警察の嘘を信じ続けていたことが明らかです。 このときには、少年は検察と警察の区別もまともについていなかったはずです。

それなのに、神戸家裁は、検察の供述を証拠として採用しました。警察が「自白」をとって、そのあと逮捕すらしないうちに検察が尋問をして取った(このこと自体、違法と言えましょう)供述を、証拠採用したのです・・・
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/index.htm

「冤罪はこうして作られる」によれば、あるベテラン刑事は以下のように語ったそうです。
「人間はな、そんなに強いもんではないよ。…殺しを自供させてくれ、と被疑者をあてがわれれば、三人でも四人でも同じように自白させてみせるよ。…三日あったら、お前に殺人を自白させてやるよ。三日目の夜、お前は、やってもいない殺人を、泣きながらオレに自白するよ。右のとおり相違ありません、といって指印も押すよ」

現在の警察の取り調べ方からすれば「やってなくても自白する」ほうが、人間としては自然なのです。いかなる状況でも無実を一貫して訴えられる人のほうが、むしろ少数派なのですね。ですので「自白したから犯人のはずだ」というのは間違いです。
http://sakakibaraseito1997.web.fc2.com/page_faq.html

これは警察官自身が語った言葉であり、まずはこのことをしっかり心に留めておいてください!

さて、具体的に証拠内容等が警察のでっちあげた、いかにめちゃくちゃなものかということを書いていこうかと思うけど、あまりにいっぱいありすぎるので、ここではいくつかについてだけ載せるので、後は末尾に詳しく書かれてる参考ページを挙げておくのでそちらで各自ご覧いただければと思います。

酒鬼薔薇聖斗の犯行声明の筆跡はA少年ではない第2犯行声明の文字と自宅から押収された作文の文字の照合が終わっていないうちに警察官が「筆跡が一致した」と偽って情報を流した。
しかし、照合結果は「これらを同一人のものと断定ですることは困難だ」という結論だった。

死斑の色

友が丘中学校門前に置かれた首は赤い色をしていました。
普通の死斑は紫です。
赤い死斑ができるケースは特殊です。それは、遺体が低温保存されたとき、一酸化炭素や青酸カリで中毒死したときです。
しかも少年Aは切断翌日の首の色は青ざめていたと「供述している」のです。
死斑はこんな変化はしません。
つまり少年は遺体を実際に見ていないのです。
あの日に頭部切断は不可能だった

アンテナ基地で頭部を切断したとされる頃合い、現場は警察とPTA が警察犬を動員して山狩りの最中。
遺体の工作はできません。
南京錠

少年は、J君を殺害したあと、遺体をしまっておくために、その現場のケーブルテレビ用アンテナ施設の柵を開けようとして、戸の南京錠を切ったと「供述」しています。
ならば、その南京錠こそ、いちばん有力な物的証拠でしょう。
それが発見されていません。
なぜでしょうか。南京錠を切ったなら金属粉が出たはずですが、現場にも遺体にも金属粉はついていません。
つまり、南京錠を金のこで切ったというのは、嘘なのです。

ルミノール反応

少年が土師淳君の死体から頭部を切断した現場と「供述」しているタンク山のケーブルテレビ・アンテナ施設では、血痕を検出するルミノール検査に、反応がありません。

警察が捜索して向畑の池から「発見」した「凶器」、金のこにもルミノール反応はありません。(凶器は、ナイフではなかったでしょうか??)

少年は、切り取った淳君の頭部を家に持ち帰り、風呂場で洗って、髪もとかしたと「供述」していますが、その自宅の風呂場にもルミノール反応はありません。

ルミノール反応というのは、血液が最大五○万倍に薄まっても現れます。
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/wng/raisons.htm
(一部、わかりにくい所は他のサイトからの情報を参考に文章変えています)
頭部の切断面は、「鋭利な刃物か電動ノコで切断されたような鋭い切り口で、ギザギザではなく真っ直ぐ一様に切られていた」となっているのに、犯行に使ったとされる金ノコであれば、その切り口は「ズタズタ・ボロボロ」になり、そのようなことは不可能だ。・・では淳君の遺体は、いったい何を使って切断されたのであろうか。

淳君の遺体の頸部の切断端の数か所に「ノコギリの目が三つずつそのまま横にすべった痕跡がついていた」と龍野教授は重大な証言をした(九月二日、以下同じ)。しかも「目の粗いノコギリ」(「産経新聞」六月十六日)ということだ。この三つずつの粗い目の痕跡は細かい目の金ノコではなく、回転式の丸ノコの目をあてた痕跡であると推定できる・・・

首は段差のあるところで切断された!

「頸部は第二頸椎の下端部で鋭利に切断されとるんや。第二頸椎の椎体を前から切ったんやと思う。結局椎体が最初に切れていますからね。そしてそのうしろの椎弓を切っていますからね。」――このように龍野教授はきわめて重要な事実を私たちに語った。(第2頸椎の各部位の名称図参照)
淳君の頸部は、第二頸椎の下端部を前から後へ一気に切断されているのだ。
図U+2460でしめすように、第二頸椎はきわめて上の位置にあり、体の正面から見ると顎のうしろにかくれてしまう(イ)。顎のすぐ下から切りあげても、第二頸椎には届かない(ハ)。また遺体をあおむけにねかせて頸部を切断しようとしても第二頸椎を切ることはむずかしい(図U+2461のイ)。では、どのように切断されたのか。

ある著名な元監察医は次のように語った。

「第二頸椎を前から切断するためには顎を上にあげなければ無理ですね。このような切り方は、段差がある場所でなければできません。タンク山のテレビアンテナ基地の平らなコンクリートの上ではできません。」
これは決定的な証言である。図U+2462にしめすように、遺体をテーブルの上のようなところにあおむけにしてねかせ、頭部をテーブルから外に出して下に垂らす。このような姿勢でなければ第二頸椎を前から切断することはできない。つまり淳君の頸部は、平らなコンクリートの上ではなく、このような設備のある別のところで切断されたのだ。
“タンク山のアンテナ基地の平らなコンクリートの上で淳君の頭部を切断した”という警察が発表したA君の「自供」は、警察によってつくられたストーリーでしかない。

ある元解剖学教授は「このような不自然な姿勢を遺体にとらせて鋭利な刃器で一気に切断することのできる犯人は、専門的な知識と高度なテクニックをもつ、複数の人間ではないか」と語った。
さらに「気管が上端部で水平に切られている」(龍野教授)という切断方法についての新たな驚くべき証言をえた。気管の上端部とは声帯の直下のことをいう。第五または第六頸椎の高さに位置する(図U+2460のロ)。したがって遺体の切断は、淳君の頸部前面のこの位置から刃器を水平に入れてまず気管を切断し、すぐに斜め上にむけて第二頸椎前面のすぐ下まですすめ(図U+2461のロ)、ここで顎をあげ頭部を垂らす形で第二頸椎の下端部を一気に後方に切りぬいた(図U+2462のイ、図U+2463)、と推定しうる(頸部を横からみると真一文字ではなく「へ」の字に切断線が入ることになる)。

これはきわめてむずかしい頸部の切断の仕方なのである。これをなめらかにやってのける犯人とは何者なのか。
専門的な知識と経験とそれにもとづいた高度なテクニックとを身につけた冷酷無比な人間以外に私たちは想像することができない・・・
死斑は語る ――凍結して切断か?

「死斑は淡紅色、通常よりも赤っぽい」「腐敗(の進行)は遅い。とくに胴体の方が遅い」――殺害三日後の淳君の遺体の死斑についても、龍野教授はこのような決定的な証言をした。
さきの元解剖学教授も龍野教授の証言について「淡紅色とはおかしいですね。死後三日目の遺体は、通常は紫色がかっています。それが事実なら、殺害直後に低温状態におかれたのですよ」とはっきりと語った。

検死の専門書をひもといてみると、通常の死斑は赤紫色または暗紫色である。けれども一酸化炭素中毒死や青酸中毒死の場合には鮮紅色となる。

また死因がどうであれ死後低温(冷温)状態におかれた場合にも紫色ではなく紅色となる。淳君は首を絞められて殺害されたのであるから、死斑が淡紅色であるということは、死後に低温(冷温)の中におかれたということだ。五月二十四日から二十七日までタンク山に置かれていたのではない。冷温装置の中か大量のドライアイスの中に置かれていたのだ。「腐敗の進行が遅い」こともこのためであったのだ。

「通常は内臓のある胴体部の方が腐敗は早い」(元監察医)にもかかわらず、それとは逆に、頭部の方が腐敗が早かったのは、頭部を胴体よりも先に解凍したからにちがいないのである。
頭部を切断しやすくするために凍結した
「凍結標本のように遺体を凍結させて頸部を硬くすれば、電動丸ノコで目づまりすることなく一気に切断できる」――このような注目すべき見解を、先の元解剖学教授は明らかにした。
この見解によって、どのようにすれば切断面が「一様」になるのか、この疑問が一気に解決する。犯人は「均一性ではない」頸部を電動丸ノコを使って切るために淳君の全身を丸ごと凍結したのだ。

淡紅色の死斑の出現も腐敗の進行の遅さも、そして「淳君の頭髪がシャワーを浴びたように、びっしょりぬれていた」(「産経新聞」六月二十三日)ことも(解凍直後の状態であることをしめす)、また頸部切断であるにもかかわらず淳君の着衣に血痕がないことも(凍結切断のゆえに出血がほとんどない)、すべての謎が氷解するではないか。

さらに五月二十四日午後に淳君を殺害してから二十七日に正門前に頭部を置くまでの三日間という時間も、殺害→凍結→遺体の切断→解凍に時間を要したからだと思われる・・・


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