ナイス!立腰!
立甲健一郎です。
この記事は、3人のために、書きました。
①現在、難病に苦しんでいる人。
②「姿勢」が大事なのはわかっているけど、続かない人。
③周りに難病の人がいて、救ってあげたい人。
立腰メソッドは、姿勢や正しい身体の使い方という、身体にとって極めて正しいコトを、世界一おもしろく身につけられる理論と方法です。
「おもしろく」というコトは、「笑える」というコトです。
本人は、姿勢を正そうとか、正しく身体を使おうとか、まったく思っていなくても、楽しんでいるうちに勝手に正しい姿勢になり、正しい身体の使い方がデキるようになります。
コレは、画期的なコトです。
こうでなければ、みんな救われません。
イチバン救われなきゃイケない人達が、救われません。
モチロン、「姿勢を正そう」という意識を持つコトが「快」である人は、そういう意識を持てばいいのです。
多くの人は、「正しい姿勢」というコトに、潜在的に苦手意識を持っています。
だから、デキるだけ、「姿勢」を意識しない方がイイのです。
いかに、「姿勢」を意識しないで、結果として正しい姿勢をつくれるか、です。
立腰メソッドは、その最先端の方法なのです。
モチロン、姿勢を意識するポイントがありますので、それを意識すれば、より良いコトは確かです。
でも、特にはじめのうちは意識しなくても、立腰メソッドをヤっていれば、自然とそのコツがつかめてきます。
何を意識するかは大事ですが、自分が何を意識してしまっているかに氣づくコトは、もっと大事です。
自分の意識グセに氣づくコトです。
痛みや症状があるなら、痛みや症状を意識しない方がイイのです。
結果としての痛みや症状を意識しないで、その痛みや症状が出た原因である生き方を正すコトを今、意識して実践するコトで、痛みや症状が治るという結果が出るのです。
しかし、この「正す」というコトさえも、意識しない方がイイのです。
「正す」というだけでキンチョ~が伴うし、それ以上の進化がありません。
ヤると氣持ちよくて楽しくて、またヤりたくなるのがイイのです。
それがハピトレですが、そこには「正す」という意識は介入しません。
しかし、身体としては正しいコトがデキている。
だからすべてが良くなる。
コレがハピトレが画期的と言われる所以の1つです。
「正しいコト」は、デキないし、続かないのが人間です。
「楽しいコト」ならデキて、勝手に続くのが人間です。
ヤると氣持ちよくて、楽しいから、勝手にヤっちゃう、ヤって当然、という方法でないと、「正しい姿勢」や「正しい身体の使い方」が、当たり前の文化として根付くコトはありません。
逆に言うと、ヤらないと氣持ち悪いというコトです。
歯磨きや、お風呂に入らないと氣持ち悪いのと同様、ごく自然とヤってしまう方法が立腰メソッドです。
立腰メソッドやらないと氣持ち悪い、立腰メソッドをヤると氣持ちイイ、だからヤる。
立腰メソッドは、22世紀にもなれば、日本人に当たり前の習慣として根付いていることでしょう。
世の中には色んな習い事がありますが、人間にとって最も大事で根本となる習い事が、「姿勢」と「身体の使い方」です。
人類全員が、知る必要があります。
だからこそ、立腰メソッドなのです。
オレたちは、自分たちのビジネスのためだけにこの事業をヤっているのではありません。
相手は、地球人全員です。
マーケティングというチッポケな考え方はしていません。
立腰メソッドは、地球人全員にぜったいに必要なコトです。
地球人全員の幸福を願ってのコトです。
宗教ではありません。
トレーニングです。
「姿勢」と「身体の使い方」を身につけるトレーニングです。
トレーニングは、自分が自分にヤるものです。
姿勢も身体の使い方も、自分で自分に身につけるものです。
「地球人全員の幸福」とか言うと、いかにも宗教っぽく思われるのですが、それを承知の上で、言っています。
立腰メソッドは、正しい姿勢や身体の使い方を通じて、人類全員を幸福に導く理論と方法です。
少なくともオレは、そういう思いでヤっています。
まったくマジメで崇高な思いだとも思っていません。
完全にアホだと自負しております。笑
幸福になるコトが、人類にとって正しいコトのはずです。
幸福になるには、笑うコトが必要です。
笑うコトは、人間にとって、正しいコトです。
笑うコトは、身体にとって正しいコトなのです。
だから、「正しいコト」ではなく、「笑えるコト」をする。それが立腰メソッドです。
痛みをとろうとするよりも、正しいコトをしようとするよりも、笑えるコトをするコトです。
痛みをとるより、笑いをとるのです。
誰かの笑いをとるのではありません。
自分で自分の笑いをとる。それが自分で自分の機嫌をとるというコトです。
自分で自分の笑いをとれたなら、痛みもとれます。
現代人は、過剰なストレスと疲労により、自分で自分に笑いをとれなくなっています。
笑えるコトをしようと言っても、それがデキないのが現代人です。
だからこそ、立腰メソッドという文化があるのです。
医学的に「難病」と言われた人も、立腰メソッドでドンドン良くなっています。
難病を、自分で治しているというコトです。
難病というのは、“医学的に”「難病」というコトです。
つまり、「医学では原因が解らないし、治せない」というのが、「難病」です。
「原因不明、治療方法未確立」と、“医学的に”定義されています。
だから、難病を診断されて、治したければ、病院に行ってもムダです。
オレがもしお医者さんなら、「病院、来ない方がイイよ」と言ってあげます。「医学では、治せないから」って。
そういう人が、立腰メソッドで良くなっているという現実があります。
「それは、どういう理屈でよくなるんですか?」って、「医学的な理屈」を求める人もいますが、立腰メソッドではそういう見方をしていません。
立腰メソッドにとっては、その症状は、難病でもなんでもないのです。
身体にとって決定的に正しいコトを、氣持ちよく、楽しくデキる方法です。
その症状を治そうとするのではなく、「正しいコト」を徹底して楽しくヤってイクだけです。
それで、救われている人が現実に沢山います。
身体は、そもそも、正しい姿勢になれば、よくなるようにデキているんです。
「難病なんて幻想だった。アレは何だったんでしょう」と、実際に良くなった方がおっしゃっています。
「難病」とは、医者が言っただけです。
「病名」は医者がつけた〝病名(名前)〟に過ぎません。
それに囚われるコトこそ、病気と知るコトです。
病を気にするから、「病気」なのです。
あなたの病が難病であればあるほど、医学に治す方法はありません。
それが難病の定義だからです。
ないと分かれば、話は単純です。
あなたがどういう生き方を選択するかだけです。
治らないけど、医学にお世話になりたければ、なればイイ。
モット違う道があるというコトを知るために、医学の枠から外へ出てみる選択肢も、あります。
症状の原因を探し、難病の世界に埋没するか、身体が良くなる原因を今から未来に向けて創っていくか、どちらかです。
オレは現実に何人にも出逢っています。
難病を克服したのではなく、医学の洗脳が解かれるコトで、ハジメから難病なんてなかったんだと笑っている人を。
医学をバカにしているのでもないし、医学はぜったいに必要だと認めた上で言っています。
こういうコトは、オレも医学を勉強してきたからこそ、言えるコトです。
「医学」というのも“身体のすべて”ではなく、「身体に対する1つの理論」に過ぎません。
いつも言うコトですが、医学よりも、身体の方がスゴイのです。
本当に、医学を信じるか、自分の身体を信じるか、という世界です。
医学がなかった時代の方が、健康だったのです。
医学の歴史より、身体の歴史は長いのです。
オレは、いつも、そんな自分の身体を信頼しています。
立腰メソッドをヤると、自分で自分の身体を130%信頼でデキるようになります。
自分の身体こそ、生涯死ぬまで付き合う最高のパートナーです。
自分で自分の身体を信頼できるコトが、幸福の道です。
「医学」を学んだ上に、立腰メソッドは成り立っています。
だから、立腰メソッドは医学ではなく、医学を超える体系です。
医学を学んだからこそ、立腰メソッドもデキたのです。
目指すところが違うと、同じ医学を学んでも、まったく違う解釈と方法論になるのです。
自分の身体を信頼したら、身体は、スゴイチカラを発揮します。
それは、医学的にはあり得ないコトでも、身体にとっては当たり前のチカラです。
医学的封印を解かれると、眠れる身体能力が開花します。
「医学」にすべて身を委ねるのではなく、「医学」を1つの見解と心得て、身体を医学的洗脳から解放してあげるコトも、身体にとって正しいコトの1つです。
医学から脱却し、本当の身体の姿に目覚める人が一人でも多く増えるコトを願っています。
回福王子=河上雄太