キョーレオピンが効いている。
 みうら(じゅん)さんが盛んに俺にすすめるので、売っている薬局を探していたのだが、ひょんなことでその店が見つかったのである。先月から耳鼻科の処方せんを持って入っていた、かなりのおじいさんが経営する薬局にキョーレオピンがドーンと置いてあったのだ。
 ちなみにキャプレットという種類もあるので、これはなんですか?と聞いてみると、腰の低いおじいさんは「じょうぜえです」という。「錠剤」が江戸弁でなまっちゃってるのである。
 しかし、効くのは「じょうぜえ」より、液体のキョーレオピンだという。早速買って飲み始めた。空のカプセルに、飲む度自分で液を入れる。実験気分が高まる。

 みうらさんは「胃からカーッと熱いものがあがってくる」と言っていたが、それほどのこともない。 これならどじょうでも食っていた方がいいのではないかと思った翌日、俺はただおいしい大阪名物の珈琲が飲みたいという理由だけで、浅草から秋葉原に出かけていた。ヨドバシのビルの中の丸福珈琲。俺は濃いやつを二杯飲んだ。飲んだ勢いで売り場に飛び出し、性能のいいイヤホンを買った。なぜだかプラズマテレビのパンフをもらった。家でiPODにつなぐ小さなスピーカーも買い直した。
 知らぬ間に、俺は行動派になり、浪費家になっていた。

 家でイヤホンを試していると、浅草・文扇堂の荒井さんから電話があった。近くで飲んでるから来いと言う。いつもなら遠慮が先に立つのだが、その日の俺は違った。すぐさま家を飛び出して、花川戸の行きつけの飲み屋、通称「モモちゃんち」へ小走りでゆく。
 荒井さんが作ってきた高野豆腐の煮たやつとかをさかなに飲んでいるうち、東(貴博)くんを呼ぶという話になる。じきにアズマックスは現れた。元気な俺はいつもより人懐っこかった。やたらに東くんに話しかけ、嫁の世話まで考えた。
 昔の閉じこもり気味の俺はいなくなっていた。俺はオープンこの上ない男であった。

 さらに翌日、六本木で色々打ち合わせてから渋谷に向かい、『それでも生きる子供たちへ』を観た。クストリッツァとスパイク・リーの短編はよかった。だが、ジョン・ウーのくそメロドラマには憤慨した。低能めと思った。ジョン・ウーの過去の作品すべてを観て、やつがどこでどう馬鹿になったのかを検証したいと思った。
 つまり、俺は興奮しがちな性格になっていた。粘着質といってもよかった。
 
 キョーレオピンである。にんにくを凝縮したキョーレオピンが俺をすさまじい早さで変えていた。新しい俺がいると、俺は思った。いとう“キョーレオピン”せいこうと言ってもよかった。なんなら、いとうレオピンでもいい。
 
 虎の門の生放送では必死に自分を落ち着かせ、翌23日には日比谷野音でレキシのライブ。本番直前、宇多丸(ライムスター)が楽屋でぽろりと「俺もレキシネーム欲しいすよ」と言うのを、元気のかたまりである俺が聞き逃すはずもなかった。「よし! お前も今からライブ出ろ!」と俺は勢い込んで言った。つまり、レオピンいとうがである。横で池田(貴史)が笑っていた。笑いながら池田は、「うたまろ法師はどうか」と言い出した。すべては決まった。

 ということで、レキシのライブは宇多丸をフィーチャリングしてより強力になった。俺はクルクル回り、ぴょんぴょんはねた。ラップをさかんにやっていた20代でも、そんな動きをしたことがなかった。俺のステージングはキョーレオピンによって支配されていた。46才の俺は、20代の頃よりも元気になっており、なにしろスーフィー教徒のごとく激しい旋回をするのだった。そんな動きをするラッパーはかつて見たことがなかった。発明である。ヒップホップ界にまた俺は新たな発明を導入してしまったのだった。
 
 打ち上げでも俺のレオピンパワーは続いた。スチャダラのボーズがレキシネームを欲しがっているのを聞きつけ、俺は池田に嘆願した。なんとかボーズにレキシネームをくれ、と。「岡山出身のボーズに『備中 ゲッチュー』という歌を歌ってもらうから、どうかひとつ」と俺はしつこく迫った。
 しかし、すでにその日、池田にはうちの猫にもレキシネームを付けてもらっていた。名付けて「犬公方(いぬくぼう)」。ついにレキシ・ファミリーに動物までもが仲間入りしたのだ。レキシはなんとアバンギャルドな集団なのだろう! それはともかく、一日にそういくつもレキシネームを付けることは難しい。池田はいい名前を付けようと考え込んだ。
 だが、俺は頼むだけ頼んで一人で打ち上げを切り上げ、素早く家に帰ったのであとのことはしらない。無責任なのも、キョーレオピン人間の特徴だろう。

 24日(日曜日)にはMX-TVのレギュラーを張り切ってやり、「ウチくる?」のコメントも余計な張り切りでこなすと、家で仮眠をとった。さすがに疲れていたらしい。
 だが、携帯にモビー(スクービードゥー)から連絡があり、近くで飲んでいるという。すぐさま来いと当然俺は言った。あのにんにくで満たされた、生薬パワーでよみがえった男が、だ。で、珈琲二杯をたて続けに飲んで、ビール派のモビーとしゃべり続けた。「なんで酔っ払いの口調なんですか?」とモビーは疑問を呈してきた。確かに俺は顔を赤くしており、ろれつも若干回らなくなっていた。興奮のせいである。
 すでにすべてを把握していた俺は、モビーにはっきりとこう言ってやった。

 「キョーレオピンだ。あの瓶が俺を変えたのだ!」
 
 今日は小唄のお稽古をして、そのあと『パッチギ ラブ&ピース』を有楽町まで観に行こうと思っていた。だが、行動派というのも少し困りものである。俺はお稽古の帰りについ「梅むら」に寄って、豆かんを食べてしまった。腹も減っていないのに、俺は思いついたことを迷いなく行動にうつすようになっていたのである。
 三社さまに茅の輪があったので、それもくぐった。吉野裕子民俗学では、茅の輪くぐりは“蛇の脱皮を古代の日本人が神聖なものとみなしたことの名残り”である。俺はまさに脱皮する蛇であった。生まれ変わった人間であった。
 おかげで、時間がずれた。今日は『パッチギ』を中止にして、iPODに古今亭志ん生の全集をすべて入れる作業をしようと思う。というか、しながらこれを書いている。

 BGMはSUGIURAMUNに今変っており、超アゲアゲのクラブサウンドである。いや、レオピン・サウンドと俺は言いたい。

 あ、そうだ! やたらに元気な俺は、青山のバロンというクラブで「せいこうナイト」をやることに決めてしまった。俺もDJをやる。(高木)完ちゃんもやる。面白い連中が集まる夜にする。
 詳細が決まったらすぐにお知らせします。
 早くも7月中旬に第一回です。