こんにちは【運の法則】でラクに開運:青樹庵です。
わたしはよく「こうすれば幸せになりますよ」という文章を書きます。これはつねに「こうしなさい」と背中を押している形です。
前回も「スタートしない人は10年経っても同じ位置に居る。だから一歩を踏み出しましょう」と書きました。人生を進むうえで絶対にひつようなことだと思います。
けれど、けれどです。これって「思いやりのない言葉でもあるな」と反省しました。
昔から知っている何人かの人たちを思い出すと、自分を出せない人ってたくさん居るんですよね。
「わかっているけど出来ないんです」この種のことばを何度聞いたことか。
たとえば97才の女性、この方が50代のころからの知人ですが、いつもお嫁さんのグチをこぼしていました。
わたしも若かったせいかグチをまともに受けて「こうしたらイイですよ」とか味方していました。
ずっと後になって、この女性は誰にでも何かしらグチを云って味方になってもらうのが生きる拠りどころだと分かりました。
「わたしは何の取り柄もない人間だから」が口癖。趣味を持てばといくら言ってもダメ。
いまでもお嫁さんに文句を云われながら幸せに暮らしています。
趣味を持つ、それは人によっては勇気が要ることなんですよね。前進力とエネルギーが無ければ趣味は持てないんです。
自分ではなにもできない。会社であたえられた仕事だけこなせばいい。主婦でダンナの収入内で生活すればいい。受け身でしか生きられない人もいる。
受け身がラクな生き方の人がいます。たくさん居ます。ならばプラス思考になれとか趣味を持てとか背中を押すのは苦痛を強いているのと同じなんですね。その人の気性に合っているのなら、それはそれでいいのではないかな。
わたしは自分がなんにでも興味を持ち、きょうみを持ったことは即やってみる。という性格だから、「この程度のことはこの人にも出来るはず」という思い込みがあります。
その目線でアドバイスしてはいけませんね。
ただしです。一歩が踏み出せないのにどこかで踏み出したいと思う人がいます。
迷いながら結局なにもしないで老いていく人。これは一生満足できないつまらない人生ですよ。自分を知ることですかね。
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青樹でした。