※昨日の記事に対して反響多数(^^;)


実は本気で困っているわけではないのです。基本困ったらこんなところに書きはしないので、ただ「う・・・。言って伝わらんなら、時間をかけて考えて、文字にしてみたらどうだ。」と試してみたのです。で、幹部の子らには「読んでね」とURLも送って。


ああいう風には書きはじめたのは演出の1つだったんですが、なんか本気で私が悩んでいるように見られたみたいで申し訳ない限り。基本私はたいしたことではなく「こうすりゃもっとラクになるのにさ」というお話で、大変お騒がせしました。


言いたいことは「テキトーでいいのさ、なんでも」という、いつも言っていることを文字にしただけですので(^^)


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”判断”というのが「えらい人」にとって一番大切な仕事ですよ。というのは何回も言っているんですが、じゃぁ今回は逆に「えらい人がすべき判断というのはどんなのだろうか」ということについて考えてみたいと思います。

結論から言うと世の中には「正しい判断」と「最適な判断」というのがあると思うのです。



ただ厳密には「正しい判断」というのは存在せず「結果として正しかった」と後から評価をすることしかできません。


なんでこんなことを考えるようになったかというと、たぶん日本の歴史を勉強したことがある人なら皆1度は考えたことがあるんじゃないかと思う以下の問いに対する答えを自分なりに追いかけているうちにこのような考えに至りました。




「1941年に大日本帝国・東条内閣が下した”日米開戦”の決断は正しかったのか?」


この問いを考えるにつれて、1つのことに気づきます。




つまり


「その決断が正しいか正しくないかは、

  その決断によってもたらされる結果からでしか評することはできない。


 さらにその結果をどう評価するかによって

  その元となる決断自体の評価は大きく異なる」

要は東条内閣の決断がもたらした結果、つまり我々が今住む戦後の日本に対する評価、平和で豊かな国、アメリカ追従で自分では何も決められない国、自由な民主主義な国、衆愚で無責任な国民ばかりになった国。その人のアタマの中にある現在の日本という国がどうであるかが多分に影響します。

それこそ「100人の人間がいればそこに100個の正義がある。」という哲学的な考えを地でいくとても抽象的なお話。

なので決断の正しさにおいても

「誰しも”自分はこれが正しいと思う”以上の話はできない」

という性質があることがわかります。



それゆえに「何が正しい」で議論すること自体ナンセンスであるなぁという私の考えもここからでています。



ちなみに私自身は東条内閣の決断は誤りであったと思っています。


少なくても彼らが求めていた「結果」とは、アメリカの占領によって民主主義が根付き、経済的繁栄を謳歌するといった今の日本の姿ではなく、明治から連綿と続いて来た「大陸や南洋に築いてきた権益の維持」だったはずで、それなのに結果として本州・四国・九州・北海道とそれに付随するわずかな島以外のすべてを失い、その残ったわずかな国土も焼け野原にしてしまい、なおかつ彼らが一番に守るべきお上(天皇)の身すら一時危うくしたその決断は”誤りであった”と評価せざる得ません。


その後出現した豊かな日本は彼らの「失敗の副産物」として誕生しただけで、決して彼らの功績ではない(要因・きっかけではあるけれど)と思います。



ただ「正しい判断」ではなかったとは思うのですがそれが「最適な判断」でなかったかというとそうではないと思うのですよね。


つまり彼らも今の私たちと同じで「一寸先は闇」の世の中を生きていたわけです。




たぶん東北の人は今年の正月、いつもと変わらぬと来年の正月が来ると信じていたでしょう。


それと同じように、あたりまえですが今より先のことは、ほんのちょっと将来のことであっても我々にはまったくわからないのです。


そんな中、スーパー堤防を仕分けたり、建築物の耐震基準を改めたり、高台に原発を作ったり、有事マニュアルを整備したりと皆、アタマをかかえながら「何があるかわからない未来」を見据えて日々の決断を下しているわけです。


それを「想定を超える津波がきた。」これは事実ですし、結果としてたくさんの死者と被害をだしたのでその決断は”正しくなかった”と言わざる得ないのですが、しかしそれをもってして「怠慢だ!」とやるのはどうかなと。

その思考決定プロセスがどうであったかわからないのですが、過去数百年のデータや最新の学術報告などからそれなりに「最適だと思われる判断」に基づいてやられてきたんだと思うのです。

たぶん関係者の人は、心の中でこう思っているのではないかと思います。


「あんなバケモノみたいな地震と津波、予想できるかーーー!」



あと



「予想して対策たてとったらたぶんお前らがイチバン批判してただろ!」


しかし、いつも言うように「えらい人は結果責任」なのでそれを口にした瞬間、すべてが終わるので誰も言わないのですが、実務者として痛いほど気持ちがわかります。





同じように東条内閣においても、70年という遠大な月日を隔てているとはいえ、自分なりに調べて、当時彼らがおかれていた状況、彼らのもとに寄せられていたであろう情報などを考えると

「決して、彼らの判断が誤っていたとは思えない。

 というより、彼らはよく決断したと思う。


 あのまま放っておけばジリジリと破滅が近づいていた。


 多くの前任者達がその決断から逃げ、先送りしてさらに悪化させていた中、


 彼らは逃げなかった。どちらかというと最善を尽くしたのではないか」



と私は思います。




「転んだ人を笑ってはいけない。彼は歩こうとしたのだ。」




という言葉がありますが、人は神ではありません。

何も見えぬ暗闇の中とて飛び込まなければならない時もあります。

人の上に立つ者として、その責任から逃げなかった彼らを地味に私は尊敬いしていたりします。


ちなみに東条英機は敗戦後その責任をとるため拳銃で自殺を図りますがあわてた米軍によって病院に送られ一命をとりとめます。


こうして蘇生した彼を裁く、世にいう東京裁判がはじまるのですが、彼がそこで主張したのは

「敗戦の、日本国民に対する責任はすべて私にある。


 だが戦勝国に裁かれる謂れはないし、私たちの立場を誤解している。」



と最後まで己ではなく、戦前の日本の厳しい立場を説明し続けました。


大日本帝国の軍人らしい清廉な責任の取り方と立ち居振る舞いだとおもうのですが、死刑になった後、戦後から今に至るまでの彼の評判は最悪に近く、彼らが祀られているという理由で『靖国問題』が政争の具にされているのは、個人的にはとてもかわいそうに思えます。



東条英機の決断は「正しくなかった」が「間違ってもいなかった」


なぞなぞみたいなお話ですがそれが人間であり、世の中だと私は思っています。



1+1=2



そのような単純なお話はたぶん学校や学問の世界にしか存在しないのですよ。


というお話でした。



それではまた明日!




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