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すいません!今日中に仕上げると昨日の番組中で言っていた
『ゆうこりん・まりりんと行く、オトナの社会見学』
急ぐモノから処理していったら着手すら出来ませんでした・・・。
入り口にも立ってないとかダメすぎる。。。
明日はちょっと厳しそうなので週末までには必ず!
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なんか定期的にこの話を書いている気がしますが、たまに思い出さずにはいられないのでまた書きます。
松江の学生活動を私は10年以上、学生という立場と、2年前から現在までの間はそれにとても近い立場で見てきました。
んで、最近見ていて楽しいのはさおりだったりします。
なんというか彼女の話を聞いていると、私が大好きだった超マイナー新選組マンガ『風の如く、火の如く』に出てくる登場人物の土方や沖田の
「若い時代などほんのすこししかない、
ならばその短い間にもてるエネルギーを全部出し切ってしまえ!」
みたいなカンジで見ていて気持ちよいのですよね。
ただちょっと前に「NOISY NIGHT」の収録のため米子のDARAZFMに向かう約1時間の車内で、さおりが他別サークルで今やってる企画の話をしていたのですが、なんというか、衝撃でした。
デジャヴュ・・・。
彼女が話しているコトは、この10年間、何度となく私が見た光景。
いや、私自身はぐーたらで活動的でもなんでもないアホボンの学生だったし、それは今も相変わらずなのでいつもさおりの姿勢は見習わなければならないなぁと思って見ているのですが、
でも私は学生の時から変わったコトが大好きだったのでそういう活動的な学生の中によく顔を出していたのですが、今のさおりと、昔見知った学生さん達の言ってたこと、やってたこととがカブることカブること。
ハンドルを持ちながらニヤケ笑いが止まらない私、なんとか押さえようとしたものの、さおりにバレて「そりゃ、学生の企画ですからショボいですけど」とか言い出したのであわてて説明。
「いやいや! 俺が学生だった時に見た光景とあまりに似ていたので、“島大生はいつの世も変わらないモノだな”と笑っていたのだ」
と。
ただ・・・
このときの私の笑みの意味は、そんなかわいいものじゃない。
私がさおりの話を聞きながらずーっと思い浮かべていたのはこの絵
さおりが、じゃなくて、島根大学の学生が。
いろんな社会のためになる活動をやって、長時間会議して、誰が使える使えないだのという話になって、〆切前には何日も徹夜して、そんな無茶なハードワークの間に恋が芽生えたり。
あったなぁ、そういうの。
でも、それはいい。
島大の先生方が「こんなんやってみたら」と言い出して、よくわからんままに試行錯誤しながら学生がやってると、どこで聞きつけたか山陰中央新報が取材にあらわれて、それらしい写真をとっていく、すると今度は学生活動に理解ある市役所や県庁の職員達がいろいろサポートしてくれて、メディアでいろいろ紹介されたり、よくわからん間に市長や知事がでてきて会ってくれたり。
そういう活動を通じて学生は「自分は普通の学生とは違う感」をバリバリに感じてアドレナリンでまくったり。
そういう話は私が知っているだけで片手、両手では数えられないぐらい。私の知らないところを含めれば千手観音でも数え切れないぐらいそんな話があったのだろう。
バカバカしい。
私は島根の学生活動は『賽の河原』だとよく言っている。
あの世に続く、三途の川。
そこにあるという”賽の河原”では、親より早くに死んだ親不孝な子どもが石を積んで塔を作るという苦行をさせられる。
しかし完成間近になると、どこからか現れた鬼が、子どもがせっせと積んだ石を棍棒で崩して去っていく。
そうして子どもは永遠、泣きながら親不孝を悔やみながら完成するはずがない石塔を積み続ける。
『不毛』
私がいた10年だけで、島根の学生が積んだ石は相当な量になったはず。でも何一つ変わっていない。さおりは、10年前の私たちと同じように、イチから石を喜々として積んでいる。
たぶん、こんな話をさおりにしても気分悪いだけだろうから、あの時はあんまり深く言わないようにしてたけど、いかにこの街が若い学生達の努力を無駄にしてきたのか思い知らされた。
オトナは何をしとったんだ。アンタらは鬼か。
先人が切り開いた人脈はどこに消えた? 彼らが汗した企画のノウハウは? たくさん興っては消えていったサークルや団体は何だったのか?
私は努力が嫌い。だって頑張ってしたことが報われなかったら悲しいから。
だからこそ人の努力を無駄にする組織・人間は大嫌い。
私は人にさせた努力はぜったいに無駄にしない。
君たちが並べた石は、はるか未来のことかもしれないけれど、いつか何千年たってもその偉容をたたえるピラミッドになるように、いつか難攻不落の大阪城の石垣になるように、私は配置しているつもりだ。
また、無理をさせて、明日、石を運ぶ気力が起きなくなることも避けてきたつもりだ。
その結果、野津くん達と放送サークルを作った時から、水商達が入ってきたパンドラボックスが出来たときから比べてみれば、私たちが見ている景色は大きく変わっただろう。
まだまだ変わる。今の1年生のさわこやゆかやしょうじ達が4年生になる頃は今とは想像もつかない景色になるだろう。
今考えればオトナ達は皆、職務に忠実であり、良い人であった。学生達もできる限りのことをしていた。でも何も変わらなかった。これは構造的な問題だろう。
構造改革するのはいつの世も変人だと決まっている。ただ、「あきらめないこと」と「色に染まらないこと」そして「狂気とも言える信念を持つこと」だけはしっかと受け継いでいる。
「良い経験」を口にできるのは「次」を志向する人間だけだと思っている。
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