壁についているコンセント。プラグをさすと電化製品が作動する、
が当たり前でない国もある。
シカゴに住んでいる時、だいたい一つの部屋に3つほどのコンセントがあったのだが、そのうちの1つか2つはプラグを差し込んでも何も起きないという電気が通っていないところがあった。
(そこと、スイッチが連動している、というパターンとは別のところが、である)
なので、掃除をする時など、差し込んでスイッチオンにしても「し~ん」となり、舌打ちを一回してから、他のとこに差すというのが常であった。
今住んでいるネバダの家は、築1年半であり、コンセントに電気が来てない的な「このご時世まじでか」シリーズは皆無に等しい。
日曜日のこと。夕飯の準備に取り掛かった時、米は俺が研ぐわ、と言ってくれた旦那。せっせと作業し、お米をお釜に入れた。「炊飯器壊れてるから」と言ったのだが、「オマエ、色々試したか?」と返ってきた。
旦那は、炊飯器を移動させ、一つ横のコンセントにプラグを指し込んだ。そういえば、シカゴでの当たり前をここネバダではやっていなかった。
人とは、不思議なもんで、ついこの間までかまってちゃんハウスで疑いながら上手に付き合って住むのが標準だったというのに、機能の良い家に引っ越すと、「これが私のスタンダード」みたいなanother skyみたいなことを言い出し、苦労を忘れ始める。
これはもしかして、あの「ム~ン」に一筋の光が差し込んできたのではないか・・・(「ムーン」がわからない方はこちらを読みください。)
と見守った。
旦那が炊飯器のふたをしめ、スイッチを押した。すると・・・
ブオォォォ~ンとクレッシェンドで音をたて、通常運転を始めたのだ。
生きてた~と喜びひとしお。
旦那は言う。コンセントの問題かどうかは知らんよ、接触の問題か、炊飯器とお釜がうまいことかみ合ってへんかったとか、色々理由はあるやろうけど、まずは色々試さな、と雄弁スピーチが始まった。おっしゃる通りでぐうの音も出ない。
タイやシカゴ生活で培った「生きる力」がしぼみかけていたのかもしれないと反省した。
ということで、これにて鍋炊飯終了。
あれはあれで旨かったから惜しい気もするが、鍋が重てぇもんで。
炊飯器、復活です。