日時:平成27年1月11日(日) 、参加者:12名
主催:瀬上沢文化遺産研究会(SBK)第80回定例会
協賛:認定NPO法人ホタルのふるさと瀬上沢基金・パタゴニア日本支社
ガイド:黒川悦郎さん


今回のコースは、快晴でしたので、富士山を眺めようと、横浜栄高校前より、尾根道を辿り、大丸広場を通り、瀬上池に下り、瀬上沢沿いを下ることにしました。

尾根道の入口の見晴らしのよいところで、まず富士山を眺めました。
綺麗な雪のかぶった富士山が見えました。
この地点の下は、横浜栄高校ですが、建設時に遺跡が出てきて、調査したところ、一番高いところに縄文時代の建物跡、それより低いところには奈良時代の建物跡が出てきた、猿田遺跡です。
縄文海進により、縄文時代は高いところに住居が作られたとのことです。
少し離れたところに、奈良時代の製鉄遺跡である深田遺跡(神奈川県で最大規模)がありますが、ここで作業する人が生活する場所だったとのことです。

尾根道を登っていくと、ほぼ一番高いところに、港南台さえずりの丘公園があります。
その手前には、道からは見えませんが、港南台配水池があります。
これは、横浜市内に水を供給するためのものであり、100メートル近い高さの巨大な配水池だそうです。
その時の工事で排出された土砂が、このあと巡る大丸広場の場所に埋め立てられて広場となったとのことです。

ここを過ぎると、富士山のビューポイントがあります。
ここからは、瀬上池も見ることができます。
さらに進むと、いっしんどう広場です。
ガイドさんによれば、いっしんどう広場には、40年ほど前には、一軒のくちた建物があったそうです。
どうも別荘として使われていたようだとのことでした。
確かに、広場は、周りの地形からすると不自然な感じがあります。
四阿も以前はありましたが、火災で焼失し、土台の石組みだけが残っています。

尾根道を進んで、途中で右折し、急な坂を下っていくと、大丸広場です。
確かに、周りの様子からは、大きな沢筋を埋め立てたことが、わかります。
桜も沢山植えられていますが、ここの環境にあわないのでしょう。
皆、病気にかかっており、弱っています。
ここで、昼食休憩を取りました。

晴れていた空に雲が懸かり、寒くなってきたので、早めに切り上げ、大丸広場を下りました。
瀬上池の手前には、160万年前の北アルプスの噴火で運ばれてきて堆積してできた地層もあります。
また、エビネや春蘭がもう見られなくなったことを示す看板もあります。
人がとっていって全滅したのでしょう。

池の下広場に着くと、以前は湿地でしたが、その後砂利を入れて多種類の植物を全滅させ、乾燥していたのですが、そこは水分が染み出していました。

瀬上沢沿い下り、横堰で説明を受けました。
この堰は、律令時代に、下流にある公田方面までに広がる水田に水を供給するためのもので、現存する堰のすぐ下流の岩盤に大きな柱のための複数の穴が残っており、当時はここに木造の堰を作ったとのことでした。
ここには、160万年前の化学合成貝の化石群もあります。
地上に露出しているのは、世界でここだけという貴重なものです。

このあと、遺跡の説明版の前で感想会を行い解散しました。
良いお天気に恵まれ、ガイドさんの貴重な説明もあり、楽しい良いガイドツアーでした。




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