小島氏: 主観で記事が書かれ、日本で誤訳され、改竄されたタイトルだけが拡散される | みらいマニアックス !

小島氏: 主観で記事が書かれ、日本で誤訳され、改竄されたタイトルだけが拡散される

小島氏が言葉の独り歩きについてツィート:

「海外でインタビューを受ける。通訳を介しているのでニュワンスは伝わりにくい。両者が母国語でない場合は特に。記者の主観で記事が書かれ、掲載される。この時点で本意からずれていることもある。それらの記事が日本で誤訳され、またヒット数を稼ごうと改竄された内容のタイトルだけが毎度拡散される。

NS: 小島氏  ツィート


みらい的コメント:


当ブログの基本的な方針として、文章は極力直訳に近い形で訳そうと務めている。だが完全な直訳でなお日本語として自然な文章というのは極めてレベルが高い仕事だ。

こちらはほとんど時間がない身であり、一記事に数十分以上かけることも難しい中で、時間をかけて文を練り上げることなど望むべくも無い。時間をかけずに読みやすい文章にしようとすれば、どうしても直訳からは離れてしまう。そこを埋めるのが背景や思いに対する深い理解というものなのだが、そこにはどうしても訳者の思いが入り込む。そして文章は創作に近づいていく。

以前ローレライという民謡の歌詞の和訳をはじめて知ったとき、その仕事振りに感動したことがある。理解する人は少ないだろうが、理想の翻訳というのは冴え渡る職人の技なのだ。


このツィートを取り上げたDual Shockerはこう評している。

「Those who check out the Japanese blogosphere often are probably aware of this problem. There are many cases in which Japanese blogs relay western interviews without much attention for the quality of the translations, often providing an exaggerated version of what is said. That’s actually a product of the radical differences between the Japanese language and English.

Even when the translation is somewhat accurate, you end up having a translation of a translation, since Kojima-san speaks in Japanese, an interpreter translates what he says in English, and then the Japanese outlets translates back into Japanese, and that often leads to misinterpretation.

記者氏は日本語ができるレアな人らしく、また日本のブログも見ているようなので、もしかすると当ブログも見ているかもしれない。それだけに耳に痛い批評である。

でもなー。文化的辺境にいる人間の鬱屈などお前らには所詮理解できんだろうとも思う。彼らについて言えば伝言ゲームのレイヤがさらに一枚増えている訳だし。


ちょっと外れるが、上の「radical differences between the Japanese language and English」というのは実にまったくその通りだと思う。

日本語と英語は違う言語だ。そこで異なるのは単語だけではない。文法だけでもない。文化的なバックグランドでさえ全てではない。一番違うのは、それぞれの言語を形作る意識だと思う。何を意識し何を意識しないか、語り手と聞き手との間の距離感、そうしたところに掴み難いズレが潜んでいる。



話しを少し戻す。

殊勝なことを考えつつも、小島氏には悪いが、タイトルについては、記事を上げる側にある程度の裁量が許されているところなのではないかと、個人的には思っている。

タイトルにおいては、文章の内容、読者としての感想、個人的な主張、記事を目立たせたいという打算、そうしたもの全てが短い文の中に集約される。そうして作られたタイトルは、インタビュイの思いとは既に別物であり、彼/彼女がコントロールすることなどできない。それは言論統制であり、表現者がすべきことではないものと思う。


小島氏が当ブログを見てくれているとは思わないし、したがってこれは当ブログに向けた言葉であるはずが無いとは思う。とはいえやはり胸に刺さる言葉ではある。

忘れずにいようと思う。